◎日付としての9月8日とシンボルとしての9月8日
2023年9月8日は、本州を台風が直撃している。
『9月8日のこの仕組』については、過去何回か書いているが、暦日・日付としての9月8日とシンボルとしての9月8日という意味がある。暦日・日付としての9月8日は、その日付を神様がお使いになったということで、それなりの意味はあるが、我々凡俗にとっては、自分自身の覚醒という点でシンボルとしての9月8日の意味の方が大きい。
1.暦日・日付としての9月8日
1868年九月八日 明治と改元。
1921年九月八日 出口王仁三郎霊界物語の開始の神命を受ける。
1931年九月八日 満州事変勃発。
1945年九月八日 出口王仁三郎、治安維持法、不敬罪共に棄却(約7年収監、1942年8月7日に保釈)。
1951年九月八日 サンフランシスコ講和条約 調印。
2.シンボルとしての9月8日
9月8日とは、至福千年つまりみろくの世のスタートを9月9日としてその前日。現代はその前夜であり、9月8日の晩に当たる。
花は咲いて実を落とし再生する。これが梅で開いて松で治める、その間に竹という最終戦争が挟まっている、松竹梅。時系列で言えば、先に完成である松があるのは変だと思うかもしれないが、これは、ニルヴァーナを先に置く、古代秘教風の書き方であってオカルティスト的には普通ではある。
9月9日は、ニルヴァーナであり、モクシャであり、至福千年だが、四四十六の十六菊で表現する。ツクシは筑紫で尽くしだから、十全、完成の義。
『九月八日の九はツクシであり、月はミロクであり、八は開く、日は輝くの意味で、梅で開いて松で治めるといふ意義である。九月とは松で治める意義、八日とは梅で開く意義である。』(霊界物語第7巻総説から引用)
さらに、
『今日は九月八日という記念すべき日であります。由来大本では九月八日を非常に尊重するのであります。何故なれば九月九日は菊の節句であり、九月八日は之に先立つ事一日であつて、何事も世の中に先端を切り、来らむとする事を前つ前つに覚つて実行してゐるからであつて、之を九月八日の仕組といふのであります。
又五月五日は菖蒲の節句でありまして、六菖十菊といつて六日の菖蒲は後の祭であり、十日の菊はもう時節が済んでゐるのであります。宗教家でも、政治家でも、教育家でも、悉く世の後端を行つてゐるのに反して、皇道大本は常に九月八日の仕組で先端を進むのであります。
霊界物語を始めましたのは大正十年旧九月十八日でありましたが、御神命は九月八日に降つたのであります。その時は恰も大本事件、九月五日の第一審で懲役五年を言ひ渡された当時で、その日から三日目に神命が降つたのであります。』
(出口王仁三郎全集第5巻言霊解・其他_【随筆・其他】_九月八日の仕組から引用)
加えて、
『まして神様が因縁によりお引きよせになった皆様方は、最も責任の重い因縁があって御出でになったのであって、此の際は只今迄とは違って、めいめいに鉢巻を締め、褌を締めて、そしてせかず、あわてず、時の推移に従って、少しずつ早く、時代よりも早く活動する様に、九月八日の晩より、即ち九日より一日前であり、凡て大本は世界から出て来るものより早く出て来るのですから、此の考えで世の中より遅れない様に、御一同に御活動あらん事を希望する次第であります。』
(出口王仁三郎著作集第5巻人間王仁三郎_第1部自叙_野に生きる_梅花ひらく_開教四十周年から引用)
以上を受けて、ある年の9月8日に何か重大事件があるかと言えば、それはそうかもしれないが、個人にとっては、神一厘の仕組みが起こる前に一刻も早く神を知り神人合一を実現することが求められるということである。