◎出口王仁三郎と野良猫
出口王仁三郎が、野良猫を年季を定めて飼ってやる話。これは、昔は、猫が普通にネズミを捕って野良猫として自活できていた頃のこと。猫は去勢しなければ1年で37匹に増えるそうだから、明治大正では、野良猫としてリリースすることに何の抵抗もなかったのだろう。
なおこの話には、死んだ犬の霊を猫に移したくだりが出てくる。結果としては不調に終わっているのだが、リードビーターらがクリシュナムルティでも同じようなことをしようとしたのは有名な話。
『猫
猫の毛を逆に撫なでると火が出るのは、強い電気が起おこつてゐるからであつて、猫ほど電気に感じ易い獣はない。天候をよく感知すると云はれてゐるのもこれが為である。それがため又また霊的には甚だ怜悧であり且つ執拗である。昔から犬や馬の化けて出た話は滅多に聞かぬが、猫の化けて仇をした話は屡々しばしば聞く所である。最初に飼ふ時に『お前は一年間だけ飼つてやるから』といひ聞かしておいて、もし一年経つて飼主が前に云つたままで忘れて了つてゐると、猫の方はチヤンと覚えてゐて、知らぬ間まにどこかへ行つて了ふものである。
だから一年経つた頃に『これからもう一年だけ飼つてやる』と年期を延ばして云ひ聞かしておくのである。斯うして猫に年期を切ると云ふのは、もし飼ひつ放ぱなしにしておくと、中には年月が経つと共に一種の霊力を具へて人を驚かしたりする事がままあるからであらう。猫が死人を踊らした実例は私も知つてゐる。
犬の霊が猫に憑(うつ)つた面白い実例があるから話さう。綾部のある信者の家に一匹の犬を飼つて非常に可愛がってゐた。この犬が病気で死ぬる時、主人が『お前の肉体は死んでも、魂は残って飼猫に憑(かか)れ』と云ひ聞かした。すると間もなくこの犬の死と共に飼猫の生活状態は俄然変化して来て、食物から挙動から一切が犬と同じやうになつて了(しま)つた。そして家族の人等が他出する時などには、何時も前の犬のやうに先に立つて送り迎へをするのであつた。私が其の家から帰る時などには必ず送つて来た。併(しか)し何分本来肉体は猫なのであるから、食物の関係などから身体の工合を損じ間もなく斃れてしまつた。
所が又不思議なことには、その猫が死ぬる時に『この肉体が亡びても、この仔に憑(かか)つて居れ』と云ひつけた所、その猫の死と共に今度はその仔猫が急に犬の真似をやりだしたのであつた。がこれも亦(また)不幸短命で終つた。精霊が二つであるから勢ひ肉体の統一、調節がとれ難く、無理が多くなるので短命に終り勝ちなのである。世間一般の千里眼とか天眼通とかの出来る霊術家が大抵短命で終るのも、実は自己以外の他の精霊の助けを借りてゐるが為で、前の猫の例と同じ理由によるのである。
兔に角かく家畜でも草木でも元来が人に属してゐるものであつて、主人の身代りに飼犬や飼猫が死んだり、又主人の死ぬる前に愛木が突然枯れたりなどするのをみても、如何に人と是等とが密接な関係にあるかが分かる。家畜や庭木が元気なのは、その家の盛運を物語つてゐるものである。
又人の言霊が如何に痛切に是等のものに作用するかといふ事も、前の猫に対して年期を切る場合などで分わかる。果樹などに対しても『来年沢山実みをつけぬとブチ切つて了ふぞ』と威(おど)すと、その翌年は思つたよりは沢山になるものだと云ふことである。』
(出口王仁三郎全集第五巻P561-563から引用)