◎一瞬の飛翔
『私は度々次のように考えました。
空にある太陽は、その光線がひじょうに強いため、太陽は空にとどまっているままで、光線は一瞬のうちに地上にとどいてしまいます。
太陽と光線が一つであると同様に、一つである霊魂と精神は自分のいる場所にとどまりながら、正義の真の太陽からくる熱の力で何らかの高貴な部分が自分自身から飛び出すのではなかろうかと。
結局私は自分の言っていることが分かっていません。ただ私にわかることは、火縄銃に火をつけたとき、弾丸の飛び出すあの速さで、霊魂の内部に一つの飛翔-私は他に何と呼んだらよいかわかりません。-が行われます。
それは音はしませんが、あまりにはっきりした動きなので決して錯覚ではありえません。
そして霊魂が自己超越の状態にあるとき、霊魂に分かる限りにおいて、偉大なことが示されます。
霊魂が我に帰ったとき、霊魂はこの上なく大きな益で満たされているので、自分の見たものと比べたら、塵にしか見えないこの世のあらゆるものをまったく空しく感じます。
それ以降は、この世に生きることは大きな苦しみとなり、前にはいつも楽しみを与えてくれたものを見ても、もはやそこに何の興味も見出せないのです。
(中略)
このような一瞬のうちに過ぎてしまうことは、大した益にはならないとあなたがたは思うかもしれませんが、それが霊魂に残す益はきわめて大きく、体験したことのある人でなければ、その価値を理解できないでしょう。』
(霊魂の城/アビラの聖女テレサ/聖母文庫P179-280から引用)
体験しなければ価値を理解できないものが、それである。しかしそれでは理解していない人々に伝えることは難しい。これもジレンマ。
まず霊魂は超高速で飛翔したみたいだ。それは一瞬に起こったが、何だかよくわからなく、起こったことの全部はわからないが偉大なことが起こった。
これが彼女の分析した体験のすべてである。これが体験することはしたが、充分に起こったことの全容を理解したとは言い難いという状態なのだろうと思う。窮極の花婿である神に出会ったが、それを分析し理解しきることはできなかったが、その短時間のイベントの与えた影響は大きく、もう戻れない神ジャンキーみたいな感じになってしまうことを言っている。
この内容でマスコミに載せても、そのことを知らない人に対して全然説得力などありはしない。
しかしそれでも瓦を磨いて仏にするような一見無駄な努力は要るのだと思う。
アヴィラのテレサは、連続的な観想法を用いて神を花婿と見るので、クンダリーニ・ヨーガ的なアプローチを取る。
そして飛翔は一瞬にして起こった。中心太陽に突入したのかしなかったのかはわからない。それは複数次元を飛び越えてあの世に行った人が、それを複数の次元を通過したとはわからず三途の川を渡ったと感じるのにも似ている。起こったことのすべてまでは理解できなかったということである。