詠里庵ぶろぐ

詠里庵

今日、日本フィル

2006-04-23 19:03:27 | コンサート・CD案内
第159回サンデーコンサートに行きました。

<指揮>沼尻竜典[日本フィル正指揮者]
<ピアノ>金子一朗[第29回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、日本フィル賞]

曲目:
小山清茂:管弦楽のための《木挽歌》
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ドヴォルジャーク:序曲《謝肉祭》
レスピーギ:交響詩《ローマの祭》

まず、管弦楽のための《木挽歌》。和製オーケストラ曲としては古典的スタンダードな曲で、弦楽によるノコギリの描写や日本民謡に基づく旋律やリズムに特徴があります。この曲、日本フィルが初演しただけあり、今日の演奏も迫力があって感動的でした。後日書きますが日本フィルの音はすばらしく美しい。この曲は土臭い民俗性が魅力ですが、それには音が美しすぎたかもしれません。でも、この曲の違った面をまた見いだしたような気もします。つまりフランス管弦楽のような洗練さも含んでいるんだと。

ところで演奏が終わったあと指揮者が客席の作曲者を指し示し、拍手を向けました。これには驚きました。そうすること自体は普通なのですが、私は(大変失礼ながら)小山清茂がご存命だとは思っていなかったのです。昔買ったスコアには(1914年~ )と書いてありますが、今年92才。昨年91才で亡くなった伊福部昭と同世代です。とりまきに支えられていましたが手を振って元気そうでした。

次はラヴェルのピアノ協奏曲。金子一朗さんのピアノを聴くのが今日の主な目的だったのですが、始まる前、私の背後のおばさん達がプログラムを見ているのでしょう。「あら早稲田出の数学の先生ですって。プロじゃないのね。オーケストラはプロなのにいいのかしらねえ」とか言っています。振り向いて「その考えは間違っていますよ」とはやりませんでしたが、金子さん、彼女らの鼻をあかしてやりましょう。ソロリサイタルのときは静けさの中に情感と深淵さを浮き上がらせる演奏でしたが、それとはまた違って、オーケストラに対峙するコンチェルトの華やかさをよく表現した演奏でした。私が好きだった部分は2楽章冒頭の歌うソロ。音符は少ない部分ですが、ラベルが「2小節書き進めるのに僕がどのくらい苦労したか知ってますか」と言っただけある美しい旋律を見事に歌っていました。最後の長いトリルも均質で消え入りとてもいい感じ。そして魔の第3楽章。金子さんには魔ではないかもしれませんが、私も一応全楽章遊びで通したことがあるので、この楽章が鮮やかに弾かれると感心してしまいます。終わったら割れるような拍手の中で、お辞儀だけはベテランのプロに比べると堂に入っていないところがまたいい感じでした。例のおばさん達が背後でまた何か会話しています。耳をそばだてましたが、残念ながら拍手に埋もれて聞き取れませんでした。

ドボルザークの「序曲:謝肉祭」は作品番号91で、あと数年で作品95の「新世界」を生むというときの作曲です。冒頭からしてチェコの舞踊音楽の華々しさが炸裂します。ドボルザークの楽譜は次のレスピーギなど近代の管弦楽曲に比べると簡明だし、段数も少ないのに、音楽はぶ厚いサウンドで迫ります。よほどオーケストレーションが上手いのでしょう。特にシンバルと大太鼓が加わる序曲は大迫力の音楽。

最後は「ローマの祭」。昔はレスピーギを「中身のない職人芸」などという評があり、最近レスピーギ自身あまり流行らないようですが、どうしてどうして、私はイタリアのラベルとでも言いたい気がします。この曲、ご存じローマ三部作の最後の曲です。大好きなのですが、ナマで聴くのは2回目。1回目は学生時代、なんと大学オケで聴きました。この曲を大学オケでとりあげるとはすごい意欲ですが、そのとき初めてこの曲を聴いて、どんな音楽か隅々まできちんと理解できたので、相当上手な演奏だったと思います。今日の日本フィルはそれよりはるかに立派な(あたりまえ!)第一級の演奏でした。部分的に「もっとねばってよ」とか思うこともありましたが、あらためてこの曲はやはり傑作だと認識を強めました。音楽的にもオーケストレーション的にも爛熟した素晴らしい曲です。松もほとんど同じくらい大傑作だと思いますが、どちらか決めろと言われたら、私は祭に軍配を上げます。

ところで曲や演奏以外にも言いたいことがあります。それはまた後日にしましょう。
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