詠里庵ぶろぐ

詠里庵

オケの音

2006-04-27 07:17:58 | コンサート・CD案内
というものはどのように作られるのでしょう? あまり多いとはいえない私のこれまでの経験の中で一番美しいと思ったのはサル・プレイエルでパリ管の出す音でした。ドイツ系の音楽のコンサートでしたが、それは絶妙な音と演奏でした。名手を集めて来ただけでオケの音が一朝一夕に磨かれるはずはありません。セクション毎のトレーニングや全奏の積み重ね、それに指揮者との相互作用で形成されるのでしょう。音が熟成され、個性が出てくるのにいったい何年、何十年かかるのやら。

 先日の日本フィルの演奏会、日本フィルの音の美しさに参りました。真ん中よりわずかに左寄りの前から5番目に座ったのですが、こんなにオケに近かったのに、「うるささ」が全くのゼロ。低音の圧迫感や高音の耳をつんざく感じがゼロ。要するに物理的音波が寄せて来る感覚がゼロで、概念としての音が直接形成される感じなのです。それでいて大迫力。不思議な体験です。一体何デシベルの音量で私に届いていたのか、是非とも騒音計で測ってみたかった。恐らく最強の場面ではデシベル値自体は相当大きかったと思います。それなのに聴く者の体をスーッと通り抜けるような、「本当にいま音が鳴ってるの?音楽はそこにあるけど」という感じでした。夢見心地という表現はこの音のためにあるのでしょう。
 アンサンブルというレベルでなく、概念としての音が一つでした。何十人の演奏家の集団というのではなく、統一感のある有機体としての巨大な一つの楽器だったのです。それはバイオリンもあればラッパもマリンバもありシンバルもあるという、異質な音の集合であるはずなのですが、あたかも細胞の集合が全く異なる機能の器官のつながりになって一つの人間の個体が形成されているように。これらのことは、科学がどんなに発達しても、明快に分析するのは至難でしょう。
 それほどコンサート経験豊富というわけではありませんが、私は何となく「アメリカもイギリスも日本もオケの演奏技術は最高だけれど、音の熟成感と音楽の薫り高さは大陸ヨーロッパに一歩譲るなあ」と思っていました。でも、この日の東京芸術劇場の日本フィルは、サル・プレイエルのパリ管に近いものがありました。

 さて指揮者の沼尻にあまり触れませんでしたが、すばらしい音楽を形作っていたことは確かです。最初から最後まで水が流れるような自然な音楽でした。協奏曲でのソリストとの息合わせも丁寧でかつ自然でした。
 一回のコンサートだけで、その演奏結果に指揮者がどのくらい関与しているかについてさらに詳細なことが書けるためには、私はもう少しコンサートに通わなければなりません。これは渡邉曉雄指揮日本フィルのCDを聴いての推測ですが、フィンランドの血の混じった渡邉曉雄がシベリウスの演奏に熱心だったことが、オケの音を長年かけてこのようなものにしたのではないか? ザラつきのない、一枚のビロードのような弦セクション。つややかな金管の迫力。一つのオルガンのような木管セクション。日本フィルを育てた立役者の一人は彼というイメージが私の中にあります。だから、23日の演奏のどの部分が日本フィルの特徴でどの部分が沼尻の貢献だとかいう聴き方は、一日だけでなくロングスパンで沼尻/日本フィルをナマで聴かないとできないわけです。(今は無理ですが、そのうち、ね)
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