浅間山開き

2010年05月09日 | 健康・病気
浅間山(2568m)の山開きが8日に小諸市であったそうだ。
4月に噴火警戒レベルが「2」(火口周辺への立ち入り規制)から、
「1」(平常)に引き下げられ、
火口から500mほどの前掛山(2524m)まで登山できるようになったようです。

私もいつか浅間山に登ってみたい。

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環の会

2010年05月09日 | 健康・病気
ヒューマンドキュメンタリー「私の“家族”」
(NHK総合5月 7日(金)午後10:00~午後10:45)を観た。
小学生と2人の中学生を育てるある家族を取材した番組だった。
何も知らずにその家族を見れば、いい感じの普通の家族だ。
しかし、両親と子どもたちに血のつながりはない。

子どもに恵まれなかった夫婦は15年前、
NPO「環の会」を通して生後数か月の赤ちゃんと特別養子縁組を行った。
そのあと、さらに2人を迎えて育ててきた。
「環の会」は、子どもたちには産みの親が別にいることは隠さず育てる、
ということを勧めていた。
両親は、それを受け入れてそのように育ててきた。
最近12歳の長女が「産みの母に会いたい」と言い始めた。

番組ではもう1組の夫婦を取材していた。
39歳(だったか?)のやはり子どもに恵まれない夫婦。
長い間不妊治療をしていたが、奥さんの子宮に腫瘍が発見され、子宮を摘出した。
そして夫婦で考え、養子をもらい育てることにした。

「環の会」で育て親になれるにはかなりきびしい条件があるようです。
まず面談があり、育て親候補者になれた夫婦には「育て親希望者研修」がある。
研修の結果を受けて正式な育て親の登録になるようです。
そうなっても実際に養子が来るまでにはある程度時間がかかる。
でも、そのぐらい慎重であって欲しいと思う。

39歳の夫婦にある日、環の会から電話が来た。
ほ乳瓶その他を持ってあるところに行って欲しい、という内容だった。
夫婦は、ほ乳瓶ということは赤ちゃんなのか、と嬉しそうに話す。
赤ちゃんを抱いた実の母親は、まだ10代の女の子だった。
(ロスさんすみません。音の流れとして「母」とはここで書けません)
自分の子どもを育てられなくて環の会に相談した結果、
養子に出すことになったのでしょう。

1時間ほど自分の子どもを、これから育ててくれる親に渡せなかった。
女の子の顔にはボカシがあって表情は分かりませんでしたが、
その母親の苦悩は理解できました。
その女の子のそれまでのことは何も番組でいってなかったけど…。

特別養子縁組というのは、実の子と同じ戸籍になるそうです。
戸籍上は“養子”ではないということです。
それだけ責任をもって育てなければならない。

最初に登場した家族。
12歳の女の子が小学校を卒業する。
そのとき産んでくれた母親に来て欲しいと手紙を書いた。
でも、お母さんは来てくれなかった。
来られない何かがあったのでしょう。
それにしても、あの育てのお母さんはいい。
その女の子のすべてを受け入れて育てていた。
もちろん“育ての”父親も素晴らしかった。

私は、幸いにも子どもに恵まれた。
難しくて微妙なことですが、もし私に子どもが授からなかったら、
養子ということは考えてもいいことだな、と思いました。
だって、子育てって素晴らしいことです。
私は、この世に生まれてきて何が楽しかったかといえば、
息子たちと付き合ってきたことです。
それ以外のこれまでの人生で、子育てに勝る充実したことは何もなかった。
あんな楽しかったことは、この世になんにもない。
私は、神様から養子をもらったのではないかと思います。
だって私が、我が息子たちの父親であるという保証はゼロなんです。
そんなことはどうでもいい、私は神様からいただいた養子を育てたのです。

NPO「環の会」というのは、素晴らしい活動をしていると思う。
コメント (2)
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