中出ギター製作所

2010年05月22日 | 暮らし

今日の夕方、茨城の友人から電話があった。
こんど6月にあるクラス会のことなどを話しているうちに、
「そういえばオメェ、高校出でつどめだギター製作所に行ったごど
 九想話にまだ書いでいめ。どうだったんで?」と訊かれた。
そのとき簡単に友人には話したのですが、今日書きます。

あれは4月7日だったか?
私が弟子入りした中出ギター製作所に行ってみようと思った。
清瀬駅で電車に乗り、石神井公園駅で降りた。
あそこは、西武池袋線の石神井公園駅より、
西武新宿線の井荻駅のほうが近かった。
しかし、どちらからも20分以上は歩いた。
石神井公園のほうに歩いていった。
公園には大きな池がある。
そのまわりに桜が咲いていました。

19歳のとき、中出ギター製作所に失望して辞めたとき、
兄弟子とリヤカーに蒲団包みを積んで石神井公園駅まで運んだ。
そのあやふやな記憶がある。
その道を逆に歩いたのですが、分からなくなった。
そのうちに井荻駅のほうになった。

「日本弦楽器製作者協会 個人正会員部門名簿」というサイトを見ると、
中出敏彦ギター工房しかなかった。
中出輝明という人の紹介サイトもあったが、
それ以外の中出というギター制作者はいなかった。
この2人は、中出阪蔵の子どもです。
中出阪蔵という人は、私が弟子入りした人のお兄さんでした。
中出阪蔵は、ギター制作者としては素晴らしい人のようです。
Webだけがすべてとは思わないが、
私が弟子入りした中出(う~ん名前を忘れました)さんの息子さんは、
ギター制作者にはなっていないようです。
私が弟子入りしたとき、親方は50歳前後ぐらいでした。
今生きていれば90歳以上でしょう。
私が弟子入りした中出ギター製作所は、現在はないと思われます。

それはそうとして、私が弟子入りしたときにいた兄弟子2人は、
その後どうしているのだろう?
いい人たちでした。
仕事は5時に終わるのですが、そのあと、
兄弟子たちはギターのネックを削った。
1本500円の賃仕事です。
9時ぐらいまで2・3本削っていた。

小林さんという人は27歳だった。
フラメンコギターがうまかった。
夜、いつもフラメンコの曲を弾いていた。
その人が録音機を買うときに秋葉原までつきあった。
その頃のテープデッキはオープンリールでした。
私が今も持っているオープンリールのテープには、
その人のギターと私たちの会話が録音されている。
オープンリールのテープを聴けるものがあったら聴いてみたい。

もう1人の人は池田さんという人で22・3歳だった。
何年後かに、偶然に上野駅で遭遇したことがあった。
今は、ギターを作っていないのかな?
会ってみたいです。

コメント (7)
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