三宅裕司

2010年05月11日 | 健康・病気
昨夜、「西田敏行 こころの遺伝子」( NHK総合 22:00 ~ 22:50 )
「喜劇人・三宅裕司」
「不安だらけのデビュー▽運命の人は伊東四朗▽大爆笑!歌コント」
という番組を観た。

三宅は幼いころから日本舞踊や三味線を習っていた。
中学と高校ではバンドを組み、大学では落語研究会に入っていた。
やがて喜劇俳優を目指すようになった彼は、
アルバイトをしながら芝居をやり、
28歳で仲間と劇団「スーパーエキセントリックシアター」を作った。
三宅が33歳の時、テレビのコント番組から声が掛かった。
だが三宅は先輩芸能人との共演で自分らしさを打ち出せず、悩んだ。
何回目かに、伊東四朗と共演することになった。
そのとき、伊東四朗が三宅にいった。
「好きにやっていいんだからね」
そう伊東にいわれて、気が楽になってそれから続けられるようになった。

伊東と2005年、「伊東四朗一座」を立ち上げ、
初めて稽古するときに、台本を持っていなかった。
そのとき集まった連中がその姿を見て驚いた。
初めての立ち稽古にセリフが全部入っていたのだ。
「好きにやっていいんだからね」という言葉の裏には、
それだけ責任持ってやってくれたらいいよ、という意味があるらしい。

笑いを生むためには命をかける、という感じ。
伊東四朗という人は、そんな芸人だった。
三宅は伊東を師と仰いでいる。
伊東は三宅と出会えたから、今まで喜劇をやってこられた、と思っている。
三宅裕司と伊東四朗の関係、嫉妬してしまう。

コメント
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