「無名」を読んで

2008年01月15日 | 健康・病気

 「無名」は、著者の沢木耕太郎の父親が脳の出血で入院してから、
母親、姉2人と著者が父親を看病する様子や、息子から見た父親の
生き方への思いが書いてある本だった。
 父親が小脳から出血して入院してから、家族でこれからどうするか
ということを決めていく文章を読んでいて、いい家族だなと思った。こ
れはやはり著者の父親と母親が素晴らしいからだろう。
 父親は読書が好きだった。若い頃小説を書くことを目指したことも
あったようだったがやめて、本を読むことを楽しみに生きた。
 58歳のとき俳句を始めた。中断したこともあったが、晩年にまた作
るようになった。
 著者が父親の俳句を読みながら、いろんなことを考えるところがよ
かった。父親が亡くなってから、著者が句集を作ろうと決意したあたり
の文章を読んでいて、私は涙がにじんできた。
 父親と著者のいろいろなエピソードがいい。
 小学校の4、5年の頃、家計が苦しくて、毎日母親から渡されていた
10円が貰えないときがあって貸本屋から本を借りられなかった。その
とき父親が皮表紙の聖書を息子に渡し、それを売って、その金で本を
借りろ、という。父親が大切にしていた聖書のようだった。
「万太郎の俳句ではどんなものが好きなんですか」と訊いたエピソード
もよかった。
   あきかぜのふきぬけゆくや人の中
という句をいったあと、「さびしさは……」という。そのあとが出てこない。
その続きが最終章に書いてあった。
 久保田万太郎の全句集を読んで、著者はその句を見つけた。
   さびしさは木をつむあそびつもる雪
 万太郎が長男の姿を見て作った句だった。
 父親には著者を詠んだ句がたくさんあった。父親が著者をどのような
思いで見つめていたか俳句を通して知る。
 たったひとつの母親のエピソードがよかった。
 7、8歳の頃、友だちと遊んでいるとき、ポケットに50円玉があり、駄
菓子屋で30円ほど使った。突然、なぜポケットに金があったかを思い
出した。昨日家に来た客から100円渡され、50円のお菓子を買ってく
るようにいわれた。そして買ってきたが、お釣りを渡すのを忘れてしまっ
た。それに気がついた著者は胸が痛くなった。
「これは泥棒と同じことなのではないか。」
だが、もう半分以上使ってしまった。こうなったら全部使おうと覚悟を決
め、残りを使ってしまった。
 ばれることが不安になり、ぐずぐずして日が暮れてから家に帰えると、
険しい顔の母親が待っていた。昨日のお釣りを出しなさいという。みん
な使ったと著者が白状すると、
「この家から出て行きなさい」と静かにいった。
野宿するために新聞紙を持って出ていこうとしたら、
「何ひとつ持っていってはいけません」という。
「新聞紙ぐらい、いいんじゃないかな」と父親はいう。
 これからがいいです。このあとは本を読んでください。
(もっといろいろエピソードを書きたいが、時間がない) 
  俳句にまったく縁がなかった著者が、父親の句集を作ったあとに句が
ひとりでに浮かんできたりする。あらためて俳句というのは、いいものだ
な、と思った。

 この本を読みながら、ページを閉じるたびに私は、自分の親父のこと
を思った。
 私の父は15年前、82歳で死んだ。
 他界する1週間ほど、ちょうど旧盆の頃で私の会社は夏休みだった。
意識なく病院のベットで寝ている父の介護をした。親父のおむつも取り
替えた。夏休みが終わる最後の日、私と家族は所沢に帰ってきた。家
に着いたときちょうど電話があった。親父が死んだと。
 私は親父のことをあまり知らない。生きているうちにいろいろ訊いて
おけばよかったと後悔しています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする