チャリンコ少年

2007年10月22日 | 健康・病気
10月13日は快晴だった。
地下鉄**駅前の人たちは、土曜日の開放感を充分感じて歩いていた。
警備しているマンションは駅から5分ほどのところにある。

立哨していた午後1時20分ごろ、
おれから30メートル先ぐらいの交差点の横断歩道を斜めに、
チャリンコに乗った少年2人が楽しそうに走っていった。
そのあとを1人の少年が遅れまいとついて行った。

「ドスン」という表現では書き表せない、
にぶいイヤな感じの音がした。
そして道路の景色が止まった。
少年たちが何か叫んでいる声だけが聞こえる。
おれの身体を恐怖心が突き抜ける。

警備員は、目的の仕事以外のことはしてはいけない、
と新任研修でいわれていた。
何年か前、おれの警備しているところで、
そのとき立哨していた人が、
たまたまどこかで強盗をしてきた挙動不審の男を捕まえた。
警察には表彰されたが、会社からは注意をされ、
その人は退職したという話を聞いた。
強盗を捕まえている時間は、
本来の目的である警備の仕事をサボっている、
ということになるからだ。

しかし、おれのあふれだす好奇心を抑えることはできない。
警備するマンションの脇を回って道路に出た。
少年が倒れていた。鼻から血が出ていた。
それだけ見ておれは自分の立哨する場所に戻った。
それから5分ほどしてサイレンが聞こえてきた。
道路には野次馬があふれていた。
なぜか大きな消防車が来て事故現場が見えなくなった。
暗いグリーンのシートが張られた。

それから2時間ぐらい交通事故現場は大変だった。
現場検証が行われていた。
少年は重体だが生きているという噂が流れた。
おれは、ホッとした。

おれと相方はタイムスケジュール通り立哨、巡回を続けた。
夜の10時過ぎ、相方の待機する
マンションの駐車場にあるワゴン車に行くと、
(このワゴン車で、我々は食事、休憩、仮眠をします)
「あの子、死んじゃったみたいだな」という。
「えっ、………」
「花束が置いてあるよ」
事故のあったあたりを見ると、
道路沿いに白い紙に巻かれた花束がぽつんとあった。
テレビ局の人なのかビデオカメラと照明の男が2人が動いていた。

翌日、新聞配達の青年にもらった新聞を見ると、
事故のことが書いてあった。
小学6年の少年が、赤信号で飛び出し、
乗用車とトラックに轢かれた、と書いてあった。
おれは、2台の車に轢かれたことは知らなかった。
死んでしまった少年にはわるいが、
轢いてしまった運転手のことを思った。
もし、おれがそのときその車を運転していても
同じことになってしまうだろう。
信号が青で走っていて、目の前に自転車が飛び出してきたら…。
でもそれは、前方不注意で咎められるのだろう。

なんであのとき少年は赤で道路を渡ってしまったのだ。
友だちが先に行ってしまったからだろう。
あそこの信号の変化時間を考えると、
友だち2人が渡ったときは青の点滅だったと思う。
この友だちが次の青になるまで停まっていれば…。
あんなことで1人の少年の命が消えてしまった。
両親の気持ちを考えると切ない。

日曜日、現場検証のため警察が沢山来て大変だったらしい。
死亡事故とそうでない場合は警察のすることも違うようだ。
月曜日、立哨していると、
昼間3時間ほど中年の男女2人と中学生ぐらいの女の子が、
急遽置かれた花束が山と積まれたテーブルの前にいた。
ひょっとしたら、亡くなった少年の両親とお姉ちゃんかな。


コメント
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