途中下車

2007年10月16日 | 健康・病気
今朝の9時に仕事から解放された。
昨夜は風も強く寒かった。
午前2時半から5時半までの立哨が辛かった。
仮眠は合計3時間ほどしている。

地下鉄に乗って乗り換え駅に着く頃、
無性に、途中下車したくなった。
その小竹向原駅の近くに21年前まで勤めていたT電気製作所があった。
明日、明後日は、警備の仕事をして初めての休日になる。
心に少し開放感があった。
5日連続の24時間勤務はきつかった。

駅の出口を出る。
外の景色がまったく変わっている。
その辺は池袋まで歩いても20分ほどで行ける。

以前会社は板橋の常盤台(トキワダイ)にあった。
私が入社してまもなく小竹向原駅の近くに引っ越した。
あの頃、最初の半導体業界の好景気のときで、
会社の主力製品だったマスフローが売れていた。
マスフローという機器は、ガスの流量を制御するものです。
半導体を製造するとき必ず必要なもので、
それまで多くは、アメリカのメーカーのものが使われていたが、
T電気製作所が、それをうまくコピーして製造しはじめた。
アメリカのメーカーの輸入販売していた商社が、
マスフローが壊れたときにメーカーに戻さず、
T電気製作所に修理を依頼してきた。
若い1人の社員がそれをみごとに直してしまった。
修理してるうちに「こんなものなら造れる」ということになり、
T電気製作所で製造するようになった。
とうぜん、アメリカのメーカーの特許のところは外して製造した。

引っ越したとき地下鉄小竹向原駅はなかった。
東武東上線のときわ台駅からバスで10分ほどかかった。
その頃私は、埼玉県富士見市に住んでいた。
それまで働いていた時計部品メーカーが傾いて私は退職した。
あの頃も大変だった。息子たちは2、3歳の可愛いときだった。
私はいくつかの会社に応募したがうまくいかなかった。
女房が池袋の水商売の店で働くという決意をし、
面接を受けに行くとき一緒についていったこともあった。
店から出て来た女房に、
「やっぱりこんな店で働くのは反対だな」とやめてもらった。
そんなときに新聞の求人広告にあったT電気製作所に応募し採用された。

小さな工場から4階建てのビルに引っ越したとき会社は、
飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
マスフローは売れに売れていた。
私は最初、製造員として働いていたがそのうち資材購買に移った。
それから私は会社を替わっても、資材購買の仕事を何年もすることになった。
しかし、マスフローの売り上げは少しづつ落ち始めていた。
新しい製品開発がうまくいかなかったからだ。
なぜなら、はじめにマスフローをコピーした
優秀な社員が辞めた補充として私が入社したのです。
私は34歳のときその会社を退職した。
いろいろありました。

このあたりがT電気製作所だったなと思うところに着いた。
道路は変わりなかった。
T電気製作所の建物に着いたが、その看板はなかった。
紙の販売をする会社になっていた。
潰れてしまったのだろうか?


コメント
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