国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

イスラム圏リポート No. 67 「タイが“反日”“抗日”に転ずるとき」  2006年06月26日

2006年06月29日 | 東南アジア・南アジア・オセアニア



No. 67 「タイが“反日”“抗日”に転ずるとき」  2006年06月26日

■原則適用は日本人だけ

タイの対日政策が大きく変わってきた。いまのところさして大きな問題となってはいないが、明らかに「抗日」「反日」のきざしがみてとれる。

若い世代で数年勤めた会社を一旦やめ、2、3ヵ月を南国タイで過ごし、帰国後再び就職というケースが多い。ところが日本人(欧米人も同様)であれば無条件で出ていた「観光ビザ(2ヵ月滞在)」がいま、こうしたフリーター(「ニート」というべきか)には事実上、発給されなくなっている。納税証明書あるいは所得証明書など各種書類を提出しなければならない上に、旅行会社(航空会社)は、「往復」チケットの購入を義務づける。

タイ入国に関しては、もともとこうした規定があるのだが、従来、日本人、欧米人にはそれは適用されなかった。腑に落ちないのは近年「原則」が適用されるようになったのは、日本人だけ、ということである。いわゆる低予算長期滞在者への対応も厳しくなってきた。ただしこれも日本人のみに適用される。

■貢献度高い日系企業

在タイ日本大使館によると、2005年の在タイ邦人数は3万6,000人と前年から12%増加したという。大半は民間企業関係者とその家族で、バンコクほか中部臨海工業地帯シーラチャ、そしてチェンマイなどに集中している。アジアで最も安定した生産現場ということで、中小企業の進出も後を絶たない。

1997年のアジア通貨危機からいち早く立ち直ったのも前チュアン・リークパイ民主党政権の政策もさることながら、トヨタ、パナソニックといった日系をはじめとする外資企業の好調な輸出にも助けられた。少なくともタイにとって日本は貢献度の高い国。対応が厳しくなったのはなぜか。

理由は簡単である。現タクシン首相が、大陸・中国に忠実な中国人である、ということである。

■華僑の枠をはみだした地方ボス

タイは東南アジア最大のチャイナタウン・ヤワラーを持ち、経済を牛耳る華僑の存在はよく知られてきた。華僑は戦後「戦勝国民」として、「半戦勝(半敗戦)国民」タイ人を見下しながら彼らとは別の世界をつくり、その分際をいわば心得ていた。

そうしたタイ華僑の枠組みからはみだしたのが、経済発展と民主化の進展と並行して、合法、非合法(麻薬取引きなど)を問わない事業で財を築き成り上がった地方ボスとそのファミリーである。そして政界に進出した彼らの手法は金権政治そのものである。

現与党タイ愛国党のナンバー2のソムキッドはヤワラー出身で、タイ語よりもむしろ中国語が得意といわれる華僑だが、「次期首相に」との財界からの熱いラブ・コールがあるにもかかわらず、腰をあげない。タクシンとは対照的な姿勢を保っている。

しかし、もともと華僑社会には日清戦争以来の「抗日」の歴史が刻み込まれているだけに、1990年代初めの江沢民による歴史の書きかえは、地方ボス華僑(田舎者)の認識を「漢民族ナショナリズム」へと大きく傾斜させた。

2001年のタクシン政権の成立は、実に中国のアジアにおける覇権確立の橋頭堡でもあった。その背景には、アジアにおける日本の政治大国化を阻止したい意図があるのはいうまでもない。以後、タイの中国化は急速にすすんだ。予定では一年後には公立学校で北京語が必須科目になる。識者の間では、「タイ人とは」「タイ文化とは」を問う声もあるが、「悪貨は良貨を駆逐する」ごとく、大きな声の前では「良識」は勝ち目がない。

■中国、タイ、シンガポールの「反日」ネットワーク

一昨年のはじめ奇妙な事件があった。ある日本人がビジネスマンらによくみられるバンコクからシンガポール往復の日帰り旅行を試みたところ、シンガポール入管は入国を拒否、やむなくバンコクへ引き返したが、第三国への入国、出国記録がないことから強制送還という乱暴な措置にあった。

シンガポール側の言い分は、「タイ南部のイスラーム・テロ対策の一環で、日帰りは認められず、また、滞在中の宿泊先が確認できなければならない」というものだった。引き返したタイでは、所得証明書の提出を迫られたという。このようなケースも日本人のみが経験した。

また、同じころ、タイ・カンボジア国境のアランヤプラテートで、一旦カンボジアに入国した日本人が、その日のうちにタイ再入国を図ったところ、同じく強制送還の憂き目にあった。

当時、日本とタイの間では、タイ人看護婦、介護師の日本での就業をめぐる交渉が決裂していた。フィリピン同様の措置を求めたわけだが、日本政府としては、長年出稼ぎ立国として、世界各国で実績を積みあげてきたフィリピンと同格に扱うわけにはいかないというところだろう。

こうした問題が、一連の強制送還の伏線となっている。「面子」を潰されるとリベンジに出るのが中国人である。それにしても意趣返しにしてはいささか大人げない。なお、シンガポールのリー・クアンユー顧問相は、大戦中、中国共産党の「第五列」であった。

■責任転嫁で「抗日」「反日」カード

突然の下院解散で主要3野党の参加を欠いたまま行われた4月の総選挙は、国王の「ひと言」で無効になった。国王在位60年記念式典後、再選挙となるが、愛国党(それにしても皮肉な党名である)タクシン政権の存続は確実視されている。

この空白期間、タクシン首相はフランス、イギリス、ロシア、中国そして日本を非公式訪問し、各国首脳と会談した。帰途、香港ではタイの野党・国民党のバンハーン党首とも会った。国民党は第一次タクシン内閣で連立与党でもあったことから、再び連立することで基盤の強化を図ったとみられている。

しかし、タクシン政権がタイ政治史上かつてないほどの難問をかかえていることは、厳然たる事実である。メディアの統制、中国人特有の縁故主義、国政(外交を含む)と私的ビジネスの混同、バラマキ・ボピュリズム政策による政府の多額の負債、そして中国のウイグル対策に範をとった南部イスラーム問題(不当逮捕、治安当局による同法管轄外殺人はアメリカ議会でも激しく非難された)。いずれもタクシン首相の政策から生じたものである。

早晩、国民の不満は爆発し、イスラーム・テロはより過激化するのは容易に想像される。初のマレー系ムスリムの陸軍司令官ソンティ大将は、治安当局側の不当逮捕を批判するいっぽうで、今後「自爆テロ」が行われる可能性もある、と憂慮する。

経済不安、そしてイスラーム・テロ。その時、自らの失政を隠蔽し、責任転嫁を得意とするタクシン首相が繰りだすカードに、「抗日」「反日」があることを銘記しなければならない。4月の選挙では自ら経営するタクシー会社のドライバーを中心とする暴力団がメディアを脅迫した。その暴力のホコ先が、日本大使館、日系企業へと向けられる。

(南タイより)
http://www.tkfd.or.jp/news/islam/43_20060626_2.shtml

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【私のコメント】
タイのタクシン政権は事実上中国の支配下に置かれている。華僑の多いシンガポールも同様。ただ、この二カ国を今月天皇陛下が訪問したことが気になる。シンガポールでは日本は大歓迎され、天皇陛下に対して第二次大戦中の華僑弾圧に対するクレーム等も一切シンガポール側からは持ち出されなかったらしい。機を見るに敏な華僑は、北京政府の敗北を悟って日本に乗り換えようとしているのだろうか?
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