国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

会津松平家第15代目の松平親保と会津松平家直系の徳川家広が江戸幕府を復活させて「義」に報いる?

2019年09月24日 | 21世紀の日本の進むべき進路
徳川家広は参院選立候補表明と公示日の間の忙しい準備期間にカリフォルニアに渡り、若松コロニー150周年記念式典に参加していることを知った。そんな暇があったら選挙の準備をすれば良いのにとも思ったのだが、詳しく見ると驚くべき情報があった。この若松コロニーは戊辰戦争敗戦直後に会津藩から米国に移住した人々が作った集落で、最初の日系人移民なのだ。そして、その中には黒人と米国先住民の混血の女性と結婚した者がおり、その子孫が今も生きているのだ。 この記念式典には、徳川家広だけでは無く、会津松平家第15代目の松平親保(早稲田大学3年在学中とのこと)氏が陣羽織の正装で参加している。それは、移民達に続いて会津藩主松平容保もやってくるとの150年前の約束を果たすためだというのだ。会津訪米団からの記念碑には松平さんが揮毫し会津の人々の心を表す「義」の一文字が刻まれたという。この「義」は儒教の五徳とされる「仁義礼智信」の一つである。国際金融資本に占領されるまでの日本を動かしていたのはこの儒教の理念であった。 実は徳川家広の父恆孝は会津松平家から養子で徳川宗家当主になっており、松平親保と同じく会津松平家に属する。私は、徳川恆孝の後任は松平親保が継ぎ、彼が江戸幕府を復活させて第16代将軍となるシナリオではないかと想像する。苦難に耐えた会津藩こそ徳川家の正統を継ぐに相応しい。そして、京阪奈京では秋篠宮が即位して、日本は伝統的な西日本の天皇と東日本の将軍という二重権力体制に復帰するのが望ましい。次の徳川宗家当主を松平親保に讓るために、徳川家広は故意に外国人と結婚して子孫を残さなかったのだろう。そして、妻がベトナム人というのは、第三次大東亜戦争たるベトナム戦争を戦ったベトナムに敬意を示し、その犠牲者を弔いたかったのではないかと思われる。 . . . 本文を読む
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