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「集団的自衛権」の「本音」と「建前」そして「利用方法」

2014-07-23 11:11:00 | 時事/金融危機
 

■ 「民主的」に「集団的自衛権」は否定出来るが国民がそれをしないだけ ■

本来ならば憲法改正が必要とも思える「集団的自衛権」ですが、閣議だけで決定してしまう力技で、完全に国会を無視した安倍政権。

日本は民主主義国家ですから、国会で自民党が過半数を占めていようと、安倍政権を退陣させる事は不可能ではありあません。大規模なデモでも、ストライキでも暴力以外の政治的活動は規制されていません。地元選出の自民党議員に圧力を掛ける事も出来ます。国民が本気になれば内閣だって集団的自衛権を強硬する事は不可能です。

ただ、国民が行使し得る実力を行使しない限り、「国会を無視している」とか「民主主義の冒涜」といった言葉も何ら意味を持ちません。

この問題に関しては、労組も大規模なストライキやデモの動員をしていませんので、労組や野党も同じ穴のムジナ以外の何物でもありません。普段、いくら勇ましい事を言った所で、国の将来を左右する大問題で、国民を煽動出来ないメディアも労組も野党も存在意義が有りません。

あまりに国民が静かなので、私は「集団的自衛権を国民が仕方無く受け入れている」と解釈しています。ですから、安倍政権の政治手法をここで糾弾する事はしません。

■ 「建前派」と「心配派」の不毛な議論 ■

今回の集団的自衛権に関する議論の中で気になるのは、「建前」と「心配」が対立軸になっているので、議論が全くかみ合わない事です。

「建前派」の主張は、「集団的自衛権は国連も認める国家の権利であり、戦争を抑止する為にもをれを放棄すべきでは無い」というものでしょう。これはもっともな意見です。

「心配派」は「集団的自衛権を認めたら、米軍の不毛な戦争に付き合わされる。地球の裏側の紛争に自衛隊がわざわざ出動して犠牲者を出す事は無いではないか」と主張します。実はこれももっともな意見です。

「建前派」と「心配派」の議論がかみ合わないのは、彼らの「前提」がそもそも食い違っているからです。

「建前派」は、「集団的自衛権の行使は法的手続きに則って行われ、国民の意思を無視した所で戦争に巻き込まれる事の無い様な法整備が行われる事」を前提にしています。

「心配派」は「国民の意思が無視された形で、アメリカやその他の国の戦争に巻き込まれるる可能性がある」という事を前提としています。これは法律がきちんと運用されないかもしれなと心配しているのです。

「建前派」の前提は「法律がきちんと運用される」事で、「心配派」の前提は「法律がきちんと運用されない」ことです。

彼らの前提は180度正反対なので、議論は対立したまま、お互いを説得する余地はありません。両者の議論は不毛なのです。この噛合わなさは、戦後の護憲派と自衛隊容認派の論争に似ています。ただ、今回はどちらかと言えば集団的自衛権の行使に積極的な「建前派」が護憲派と同様に杓子定規な傾向が有り、どちらかと言えば「心配派」の方が現実的スタンスかと思います。

■ 「中立」を維持する事は難しい ■

集団的自衛権を否定する方法としては、「永世中立」を宣言するという方法もあります。

以前は自衛隊不要論者の中にも、「日本も永世中立国になればいい」と主張する人も見受けられました。さすがに、最近はあまり耳にしな意見です。

永世中立国で有名なのはスイスですが、その他に国際的に承認されている国はオーストリア、ラオス、トルクメニスタンがあります。国際的に認められているとは言え、永世中立国を侵攻した場合、国連軍が制裁する様な制度がある訳では無いので、「永世中立」とは「自称」に等しい制度と言えます。

実際にスイスは強力な軍隊を持っていますが、実はスイスの最大の武器は「金融」です。海外の資産を大量に預かるスイスを攻撃した場合、資産を凍結される恐れがあるので、どの国もスイスを攻撃する事をしません。いえ、「金融の裏」にしっかりと根を貼るスイスは、どの国にとっても不可欠な存在なので、そこを攻撃する事はあり得ないのです。

一方、オーストリアやラオス、トルクメニスタンは微妙です。彼らは自国を守る「武器」
がありませんから、「国際世論」だけが頼みの綱です。これは頼りにならない「武器」である事は歴史が証明しています。

日本が中立を獲得する為にはスイス並みの「武器」が必要ですが、残念ながら日本にはそんな武器は有りません。「サプライチェーンの寸断」や「円暴落」は、一時的には世界を混乱させますが、その後は日本抜きでどうにかなるので「武器」とは言えません。

■ アメリカに頼らざるを得ない日本 ■

日本は戦後、アメリカの主導の元に自由主義国家(民主主義)として歩んで来ました。国民は現在の民主主義に価値を見出していますから、中国型の社会主義も、ロシア型のプチ独裁主義も好みません。

中国、ロシア、アメリカの中からパートナーを選ぶとすれば、大多数の日本人が「仕方無いけどアメリカ」と答えるでしょう。

中国とロシアに近接した極東に地で、日本が民主主義国家として独立を保つ為には、日本には「武器」が必要です。日本はアメリカをこの武器として選択しました。「ボクをいじめたらジャイアンが黙ってゾ!」といった所でしょうか。ドラえもんのスネ夫君作戦です。この作戦は戦後しっかりと機能し、日本の独立は中国にもロシア(ソ連)にも脅かされる事なく現代に至っています。

一方、ジャイアンとの付き合いはお金も掛かるし手間も掛かります。「お小遣いをクレ」と言われれば渡さざるを得ませんし、「オレばっか攻撃されるのは損じゃん。お前も加勢しろよな」と言われれば、無理しても集団的自衛権を認めざるを得ません。

安倍政権は相当無理をして集団的自衛権を認めさせようとしていますが、その背後にはアメリカからの強い要望がある事は間違いありません。

■ 集団的自衛権の「利用方法」 ■

もし仮にアメリカが日本に集団的自衛権を強要しているのだとしたら、こそには目的が存在し、集団的自衛権の「利用方法」が有るはずです。

まあ、だいたいこんな筋書きかと思います。

1) 台湾海峡や東シナ海、南シナ海で中国と周辺国の軽い戦闘が発生する
2) アメリカ軍が支援に駆けつけ、紛争は膠着状態となる
3) 集団的自衛を理由に自衛隊も対中国の多国籍軍に加わる様に要請される
4) 自衛隊が多国籍軍に加わる(多分、後方支援など)

5) 米軍が前線から退く
6) 米軍以外の多国籍軍が中国に対抗せざるを得ない状況になる
7) アジア有数の戦力を持つ自衛隊はだんだんと後方より前線にシフトせざるを得なくなる。
8) アジアに鉄のカーテンが降り、NATOに相当する軍事連合が設立される

■ アメリカの行動を止める事は出来ない ■

日本がいくら戦争に巻き込まれたく無くても、アメリカとそれに加担する国が戦争を起せば、集団的自衛権が発動して日本も戦争に巻き込まれます。これは不可避です。

これを防ぐ為には、集団的自衛権を否定するしか無いのですが、既に国民の多くにとっても集団的自衛権は既成事実化しています。

一方、国民が行動を起さない限り「集団的自衛権の容認」が不可避なので、日本は今後、上記の様な巻き込まれ方戦争に陥いる可能性は低くは有りません。


メディアは集団的自衛権の是非を、「建前」と「心配」でしか語りませんが、実は国民が最も知る必要があるのはその「利用方法」なのでは無いでしょうか。」

もっとも「利用」するのは日本では無く、世界の経営者である事をメディアが伝える事は有りません。



本日は集団的自衛権に関する雑感を書いてみました。