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王道のSF・・・『鉄腕バーディー』

2013-09-30 11:22:00 | マンガ
 



■ 「自然主義」の台頭と「SF文学の発生」 ■

SFというジャンルは「科学のお伽噺」です。

SFの登場は産業革命以降の「自然主義」の影響を強く受けています。それまで「世界は神が作りしもの」であったのが、「博物学」の隆盛や、ダーウィンの「進化論」によって、「神の意思」が自然科学から徐々に取り除かれて行きました。



この流れに呼応する様に、文学の分野でもジュール・ヴェルヌ( 1828年2月8日 - 1905年3月24日フランス)が、新しい創作活動を始めます。

1884年パリの法学学校に進んだヴェルヌは、アレクサンドル・デュマらパリの芸術家建ちを親交を深めます。一方で、自然科学の論文に興味を示す一面もあり、当時の彼のお気に入りの作家の一人は、エドガー・アラン・ポーだった様です。ヴェルヌはポーの作品から、小説に科学的事実を取り入れて、小説にリアリティーを付加する手法を学びます。

1863年に書いた冒険小説『気球に乗って五週間』によって人気作家の地位を確立したヴェルヌは、その後『地底旅行』や『月世界慮教』、そして『海底二万里』など、まさにSFの原点とも言える「空想科学小説」の名作の数々を生み出して行きます。

■ 現代SFの基礎を築いた H.G.ウェルズ ■



ジュール・ヴェルヌの作り出した「空想科学小説」は、「現実の世界」を舞台にした作品が多く、「科学の発展によって今まで人類が到達出来なかった世界を探検する」という内要がメインでした。「科学」は地底や海底など、「未知の地に人類を誘う手段」として肯定的に捉えられています。

一方、ヴェルヌの『月世界旅行』から30年後に『タイムマシン』を発表したのが、イギリスのG.H.ヴェルズ(1866年9月21日 - 1946年8月13)。この作品でヴェルズは、タイムマシンが到達した未来における、崩壊した暗い世界を描いています。ヴェルズの作品には、ジュール・ヴェルヌの作品にあるような科学礼賛的な無邪気さとは別の、科学が人類に齎す不安が色濃く表れています。

現代のSFはヴェルヌ的科学礼賛と、ヴェルズ的な科学への不安のバランスの上に成立していっても過言ではありません。

■ スペースオペラの時代 ■

ヴェルズ以降、盲目的な科学信仰を捨てたかに見えたSF小説ですが、アメリカで再び無邪気さを取戻します。

1920年代から1930年代にアメリカで流行したのは「スペースオペラ」でした。

アメリカにおいてSF小説は中世の騎士や王族の物語と融合し、スペースオペラというジャンルを生み出します。スペースオペラは大衆の人気を得て、SFを一気にポピュラーな存在としました。

騎士達の駆る空飛ぶ馬は宇宙船に、兵士達はロボットの軍団に、妖精達は愛くるしい獣型宇宙人になったのです。

スペースオペラの集大成が、ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』です。(小説ではありあませんが)

■ ハードSFの誕生 ■

1940年代になると、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインなどのSF小説の巨匠達が出現します。

彼らは、最新の科学や物理学を作品に導入し、未来を幻視し始めます。彼らの作品は「ハードSF」と呼ばれ、「科学のお伽噺」に過ぎなかったこのジャンルを、「未来学的」な分野に発展させたとも言えます。

一方で読者には科学的知識や理解力が要求され、SFというジャンルの読者を限定する事にも繋がりました。

■ ニューウェーブの隆盛 ■

1960年代になるとイギリスを中心にSF小説に「ニューウェーヴ」が起こります。

ハードSFの作家達は、「科学」は「唯物的」で「揺るぎないもの」と捉えていました。

一方で現実の科学は古典力学から量子力学の世界へと突入します。それまで「確実な存在」と捉えられていた物質すらも、量子の世界においては「確率的存在」でしか無い事を人類は知る事になるのです。

「観測者が結果を決める」という因果律の逆転まで発生する量子力学の出現は、SF小説の有り様も根底から揺さぶります。「唯物論的因果律に支配されていると思われた世界が、実は唯我論的ものであった」という転換は、多くのSF作家達の想像力を刺激します。

この様な科学の大転換は、「西洋的唯物思想」から「東洋的唯我思想」の転嫁をSF小説にもたらしました。「世界は自己の外側では無く、己の内面に存在する」という大転換です。



ニューウェーヴSFの代表作家はフィリップ・K・ディックでしょう。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(ブレードランナーの原作)、『追憶売ります』(短編)(トータルリコールの原作)など映画化作品も多く、その影響力が伺われます。

「薬物依存や、精神異常といった個人的な幻覚が、実は世界を変容させてしまう」といった内容の作品が多く、「世界が不確かな物である事」が繰り返し語られます。

ニューウェーヴのSFの特徴は「科学の後退」です。ディックの『高い城の男』などは、日本軍が太平洋戦争に勝利した「もう一つの歴史」を題材にした作品ですが、科学的ギミックはほとんど登場しません。同じく、このジャンルの代表作家のイギリスのJ.G.バラードに至っては、『結晶世界』や『乾燥世界』など、世界が終末的に変容しても、その科学的説明は殆どされません。

これらの作家の特徴は、SFをサイエンス・フィクションとしてではなく、スペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)として捉えている点です。極端な環境に人間を置くことで、人間の本質を露わにしようと試みるこれらの作家にとっては、SF的世界観や
科学的ギミックはあまり重要では無いのです。

■ サイバーパンクの隆盛と電脳空間の神 ■

遺伝子操作や生命科学、情報科学の格段の進化も、SFの発展に大きく寄与しています。今まで「空想小説」であったSFが、かなりのリアリティーを持つ様になったのです。

80年代のウィリアム・ギブソンが『ミューロマンサー』で開拓した「電脳空間」を舞台にしたSFは「サイバーパンク」と呼ばれ、現実の文化にも大きな影響を与えました。

押井守の『攻殻機動隊』シリーズは、サイバーパンクの世界観を見事に表現していますが、面白い事に、サイバーパンクの作品は極めて科学的でありながら、「電脳空間に生まれる神」を渇望しています。ここら辺は、ニューウェーブSFの影響を受けているとも言えます。

■ SFにおける科学の復権と、さらに不確かになる世界 ■

現代の物理学は並行宇宙の存在や、多元宇宙の存在を示唆しています。
私達の生きているこの世界は、実は数限りなく存在する似たような宇宙の一つに過ぎないという考え方です。

ここに至っては、「世界の不確かさ」は極限まで高まっています。
世界は唯一無二の存在から、選択可能なものへと変容したのです。

一方、ニューウェーブの作家達が「気分」として取り入れた「不確かさ」は、科学によって「実証」されたものになります。最近のSF作家達は、最新の科学や物理学の成果を貪欲に摂り込んで、SF的な空想世界の幅を拡張しています。


■ SF小説の影響を強く受ける日本のマンが ■

日本のマンガもSF小説の進化の後を追い続けています。

『鉄腕アトム』は科学礼讃と、科学不信が同居しています。
『仮面ライダー』などは、科学の不幸な面を強調しています。
『マジンガーZ』は科学の暴力的側面をクローズアップしているとも言えます。

これらの黎明期のSFマンガの後に流行したのが、『宇宙戦艦ヤマト』に代表されるスペースオペラです。さらには『超人ロック』という宇宙を舞台にした一大叙事詩まで誕生します。

1080年代後半に入ると、ガンダムのヒットを切っ掛けとして、「リアルなSF」が人気を集めます。これは日本人のロボット好きと不可分なのですが、この事によって、日本のSFマンガは「リアル」という檻に囚われたとも言えます。

「リアルの檻」を打ち砕いたのは、『エヴァンゲリオン』でしょう。エヴァの評価すべき点は、最新の科学をごった煮的に詰め込んだ事です。物質の不確かさ故にシンジがコクピットから消失する・・・こんな表現一つ取っても、エヴァがSF後進国である日本の若者に与えてショックは決して小さくありません。

エヴァンゲリオンこそ、日本のニューウェーヴSFマンガ(アニメ)の金字塔でしょう。
(実は日本人のSF作家はニューウェーヴの流れを先取りしていたりしましたが)

エヴァ以降の「世界系」と呼ばれる作品群は、ニューウェーヴSFのポップな変容と解釈する事が出来ます。

ディックの苦悩する主人公達は、悪夢の内に世界を変容させますが、ハルヒは悩みを突き抜けた先の投げやりな遊びで、世界を変容させます。

この様に、マンガやアニメはSF小説の影響を強く受けながらも、日本独自の発展を遂げたジャンルとも言えます。

■ 古典的なSFの『鉄腕バーディー』 ■

さて、ようやく本日の本題に到着しました。
本日紹介する『鉄腕バーディー』は、『機動警察パトレイバー』『究極超人あーる』でお馴染みのゆうきまさみのライフワークとも言える作品です。

1984年から少年サンデー増刊号で連載が始まりますが、1987年に未完で終わります。これを「オリジナル」と呼びます。

1984年当時は『スターウォーズ』などのスペースオペラが大ヒットしていた時代で、『鉄腕バーディー』もこの影響を強く受けています。

「大アルタ帝国」滅亡後、「宇宙連邦」と「アリュークによる恒星間神聖同盟」そして「非同盟諸国」に宇宙は分かれています。

連邦を構成する7星系は、爬虫類型、昆虫型、犬型、鳥型などの宇宙人の混成国家ですが、地球人に近い姿のアルタ人は迫害されているのです。

・・・と、さわりだけ書くと、ひどく「古臭い」作品です。
『機動警察パトレイバー』などの影響で休載している間に、SFの主流はスペースオペラからサイバーパンクなどに変化し、『鉄腕バーディーの世界感が古くなってしまった事もあり、ゆうきまさみは、この作品を未完のままに放棄しました。

実は、これがこの作品にとってどれ程幸いな事であったか・・・。

■ 一つの体で二人が共通の体験をする面白さ■ 

2002年にゆうきまさみは、『鉄腕バーディー』のリメイク版をヤングサンデーで連載し始めます。一度は「古臭い」と捨てた作品ですが、時代が経った事で、むしろ、本作品が秘めていた「王道としてのSF」の魅力に気づいたのかも知れません。

連邦の捜査官「バーディー・シフォン」は犯罪者逮捕に過程で、誤って高校生の「千川つとむ」を殺害してしまいます。連邦の捜査官、特に強力な戦闘力を誇る「イクシオーラ」であるバーディーは、「犯罪者を殺害せずに拘束する事」が強く義務付られています。さらに、原生人種である地球人の生命を損なう事は、彼女にとって禁忌とされています。

バーディーは緊急処置として、自分の体に「つとむ」の記憶と生物情報をコピーし、「つとむ」の肉体は保存処置が施されます。本国に移送し、再生を試みる為です。

こうして、バディーの体に高校生の「千川つとむ」が同居する事になります。生体融合の結果、バーディーは姿を「つとむ」に変化させる事が出来ます。「つとむ」の生活の継続を最優先するという上司の判断により、昼間は「ととむ」がバーディーの体を使い、夜はバーディーが犯罪者の追跡を行います。

生い立ちも、価値観も、科学的知識も異なる二人の人物が、同じ体を通して体験を共有します。二人の間には当然「物事の捉え方のギャップ」が存在します。所謂「異文化コミュニケーション物」とも言えますが、圧倒的な科学力を誇る連邦捜査官が、ごくごく一般的な高校生の生活を体験する一方で、極々普通の高校生が宇宙的規模の犯罪捜査を体験するギャップは痛快です。

バーデーは、地球人に非情に酷似した外見をした「アルタ人」という種族です。アルタ人は「凶暴」というレッテルが貼られ、連邦の中でも迫害されています。さらにバーディーは遺伝子操作によって肉体が強化された「イクシオーラ」で「ばけもの」扱いされて育って来ました。学校での辛い思いでしか無いバーディーにとって、「つとむ」の交友関係は新鮮であり、守るべきものとなって行きます。

■ お茶の間SFというマンガの伝統に忠実な作品 ■

この作品の魅力は、バーディーがつとむと体を共有する事で、バーディーの行動がつとむの日常から離れらない事にあります。宇宙規模の大事件の断片が、日常の中で発生するのです。これは、従来のアメリカのスペースオペラではあり得ない事です。「うる星やつら」に代表される「お茶の間SF」の伝統がしっかりと継承されているのです。

■ それぞれの正義 ■

「お茶の間SF」としての楽しさや軽快さ、そして親しみ易さを発揮するこの作品ですが、個々の内要は非情にシリアスで示唆に富んでいます。

その一つが、「正義とは何か」というテーマです。

バーディーが追跡するクリステラ・レビはかつては連邦の科学省長官を務めた事のある人物でアルタ人です。アルタ人としては異例の大抜擢を受けた天才科学者の彼は、その後、テロリストに転向し、反応炉の暴走というテロで大勢の人々を殺害した容疑を掛けられています。

レビと思しき人物を中心に、地球に身をひそめるいくつもの宇宙人の派閥も、それぞれの目的の為に行動します。さらに、自衛隊やCIAも対宇宙人の作戦の為に、これらの派閥と結びつきを深めています。

それぞれの派閥にそれぞれの正義が存在し、正義は少なからぬ犠牲を伴いながらも遂行されて行きます。

バーディーの正義は、犯罪者を殺さずに捕まえて法廷で裁く事。
自衛隊やCIAの正義は、宇宙人の侵略を防ぐ事。
帝国の残党の宇宙人達の正義は、帝国の復興と連邦への復讐。
異端審問官ぼ正義は神への忠誠を示す為に、レビを殺害する事。

そして、最後まで謎なのは、クリステラ・レビと彼の腹心であるゴメスの正義。彼らは、犯罪的な非道を犯す一方で、その行動には何か「崇高な信念」の様なものが存在します。

天真爛漫で素直なバーディーは無自覚の内に、レビやゴメスに感化されてゆきます。彼女は自分の正義をあくまでも貫こうとしますが、その正義は絶えず揺れ動く事になります。正義とは絶対的存在の様に見えて、実は相対的な価値基準であるのです。

そして、バーディーだけでなく、それぞれの陣営のそれぞれの正義も、絶えず揺さぶられ続け、彼らは自分の正義を信じながらも、それに疑念を抱く事を怠らない事が、この作品を魅力的なものにしています。

■ 良いSFは現実の社会や世界を映しだす ■

SFという手法の面白い所は、架空の現実を描く事で、むしろ実際の社会や世界の矛盾や、本当の姿を新聞などよりも雄弁に語る事が出来る点です。

SFは一種の社会シミュレーションに長けているので、極端な社会状況を簡単に作り出す事が出来ます。例えば、この作品の場合は、宇宙人が外交関係を築こうと地球に訪れますが、圧倒的な軍事力を誇る宇宙連邦は、どんなに紳士的に振る舞おうが、地球人にとっては単なる「脅威」でしかありません。これは「黒船外交」の様なもので、宇宙人達も充分にその事に自覚的です。「地球と宇宙連邦が対等である訳が無い」という傲りが、紳士的な態度の裏側に絶えず存在しているのです。

現実の社会においても、国家間の交渉は「対等」を装いますが、そこには厳然たる力関係の差が存在し、平等を装った不平等が弱者には押し付けられます。

■ SFの王道としての壮大な科学的結末 ■

この作品は、ヤングサンデーに連載された『鉄腕バーディー』の単行本20巻と、掲載誌の廃刊に伴う休載を挟んで、ビックコミックに連載された『鉄腕バーディーEVOLUTION』の13巻という、全32巻という堂々たるボリュームです。連載期間は10年にも及びます。

つとむの日常や、様々なエピソード、政治的な駆け引きなどが丁寧に描かれている為に、全体としては少々冗長な印象を受けます。

最後は打ち切りに近い形で結末を迎えるので、EVOLUTIONの13巻は急激に物語が進行するのですが、それでも「事物の核心」に向けて様々な伏線が収束して行く様はスリリングです。

最後に明かされる、地球と宇宙連邦の歴史的繋がりは、全ての読者をビックリさせるでしょう。これこそが、「科学を使ったホラ話し」としてのSFの醍醐味と言えます。

そして、そんな壮大なスケールの話においても、その発端は実は「つとむ」の生活圏内であったというのが、「四畳半SF」の面目躍如といった所でしょうか。

■ 「新しいSF」の時代に、あえて「古典的なSF」の可能性を追求した大傑作 ■

昨今のSF、特に近年の日本のマンガやアニメに見られる「世界系」の作品は、「全ての原因は彼女だった」みたいな結末が多く、SFとしての科学的な説明を最後では放棄しています。この傾向が強まるのはエヴァンゲリオンからでしょうか?

ニューウェーヴの時代、例えばディックの『流れよ我が涙と警官は言った』などでは、度胆を抜かれた「唯我論的結末」も、最近では少々飽きて来ました。

ゆうきまさみの『鉄腕バーディー』は、古典的なSFのスタイルを色濃く残す作品ですが、休載を挟んでリメイクされた事で、むしろ「古典的SFの面白さ」を発掘する事に成功しています。

物語の結末は、個人の内宇宙に委ねるのでは無く、あくまでも「唯物的」に「科学的」に構築する事で、SF小説が本来持っていた魅力が際立ちます。「オオオーーー!!」といった、驚きと満足感を持って、最後のページを閉じるのが、「古典的SF」の醍醐味とも言えます。

■ マンガとしての魅力にも溢れている ■

SF的な魅力を中心に語って来ましたが、この作品、マンガとしての楽しさにも溢れています。

ちょっとキワドイ格好をしたバーディーの活躍を堪能するのも良し。
「探偵物」というジャンルとしても、謎解きが楽しい作品です。
そして、登場する人物達がチャーミングな事も特筆すべきです。

「つとむ」を巡る恋愛模様も、80年代的抑制が効いていて、私体には共感が持てるものです。幼馴染とくっ付くのか、それとも・・・。

何れにしても、『鉄腕アトム』にちなんだ「鉄腕」と冠した作品だけに、「マンガによるSF」の有り方に忠実な作品とも言えます。


私達、オールドオタクには、秋の夜長に楽しむには最適な作品では無いでしょうか。


<追記>

この作品、『鉄腕バーディー DECODE』というアニメ版もありますが、こちらは、ある意味全く別のお話し。クリステラ・レビすら登場しないので、作品世界のショーケースだと割り切っています。

私は本屋に行くたびに、このマンガを手に取るのですが(買ってよオーラがパナイ)、アニメ版の内要しか知らなかったので、買うまでも無いと思っていました。

先日、ブックオフで一冊100円で見つけて思わず大人買いしてしまいましたが、ここ1週間はあまりの面白さにブログも更新が滞りがちでした。

マンガ版はアニメ版など足元にも及ばない程面白いです。




ハーマン・カーン賞を受賞した安倍首相・・・「ハドソン研究所」

2013-09-29 10:59:00 | 時事/金融危機
 




■ 「ハドソン研究所」と「ハーマン・カーン賞」 ■

冒頭の画像で「何だ、今日もアニメか・・」と思ったあなた、ちょっと待ったー!!

冒頭の女性は「Zガンダム」以降に登場する「ハマーン・カーン」様。
ザビ家の再興の象徴とされるドズル中将の忘れ形見「ミネバ・ザビ」の後見人として、ジオンの実権を握る人物ですが・・・・今日の話題は、安倍伸三首相がアメリカの「ハドソン研究所」から送られた「ハーマン・カーン賞」。

「ハマーン」と「ハーマン」発音が違いますが、怪しい所は良く似ています。


「安倍首相がハーマン・カーン賞を受賞-外国人で初めて」(THE WALL STREET JOURNAL)

http://realtime.wsj.com/japan/2013/09/24/%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%8C%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%EF%BC%8D%E6%8E%88%E8%B3%9E%E5%BC%8F%E3%81%A7/


<全文引用>

安倍晋三首相は25日、米国の有力保守系シンクタンクであるハドソン研究所から、同研究所の創設者故ハーマン・カーン氏の名を冠した「ハーマン・カーン賞」を受賞する。同賞は、保守的な立場から国家安全保障に貢献した創造的でビジョンを持った指導者に毎年贈られているもので、米国人以外では初めての受賞となる。

Reuters安倍晋三首相
同賞はこれまで、ロナルド・レーガン元大統領、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ディック・チェイニー前副大統領など米国の保守派指導者が受賞してきた。授賞式は25日にニューヨークで行われ、同研究所によれば、安倍氏は日本の経済改革と日米関係の持続的な重要性に関する「重要演説」を行う。ハドソン研究所は「安倍氏は、日本が活力を取り戻すために必要な改革を前進させようとしている変革期のリーダーである」と称賛した。

カーン氏は、長年にわたり日本の保守派指導者と深い関係にあった。同氏は、1940年代に物理学者としてランド研究所に入所し、「水爆戦争論」で核戦略を論じた。その後は地政学の研究に転じた。

カーン氏は、早くも1962年に日本の台頭を予想したことで名を馳せた。70年には「超大国日本の挑戦」を著し、日本が経済的にも、技術力でも、金融面でも超大国になるのは「ほぼ間違いない」と予言するとともに、軍事的にも、政治的にもグローバルな影響力を保持するだろうと述べた。

ハドソン研究所では、11年12月に石原伸晃自民党幹事長(当時)が講演し、尖閣諸島(中国名:魚釣島)の早期国有化と自衛隊配備を提唱した。それに呼応して、同氏の父親で保守政治家として名高い石原慎太郎都知事(同)が12年4月に、同じく米国の著名保守系シンクタンクのヘリテージ財団で講演、都による尖閣諸島購入計画を明らかにした。同年秋に日本政府が、都による購入を阻止するために同諸島を国有化した。

安倍氏は、ナショナリスト的な傾向を隠そうとせず、日本の安全保障の強化を図っている。しかし、まず日本の主要な課題である経済・財政上の問題を解決しなければ安全保障の問題に取り組むことはできない。安倍氏のハドソン研究所での講演は、それにどう対処するつもりなのか、新たな手がかりを示す機会となろう。

記者:Mitsuru Obe

<引用終わり>
  赤字は人力による

■ 「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのならそう呼んでもらいたい」 by 安倍伸三 ■

そして、「ハドソン研究所」での安倍首相の演説の内容がこちら。


「ハドソン研究所での首相演説要旨」 (産経ニュース) 2013.9.26 12:30

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130926/plc13092615490014-n1.htm

<全文引用>

 安全保障で問われているのは、脅威がボーダーレスとなったこの世界で、日本はきちんと役割を担うことができるかという問題だ。

 国連平和維持活動(PKO)の現場で、別の国の軍隊から助けを求められても日本の部隊は助けることができない。憲法の現行解釈では憲法違反になるからだ。日本近海の公海上で攻撃を受けた米艦を助けることができない。助けると集団的自衛権の行使となり、現行憲法解釈では違憲になってしまうからだ。

 こういった問題にいかに処すべきか、いま真剣に検討している。私の国は鎖の強度を左右する弱い一環であることなどできない。

 日本は国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、国家安全保障戦略を公にする。本年、わが政府は11年ぶりに防衛費を増額した。すぐそばの隣国は毎年10%以上の軍事支出の伸びを1989年以来20年以上続けているが、私の政府が増額したのはたった0・8%。もし皆さまが私を右翼の軍国主義者と呼びたいのならそう呼んでもらいたい。

 日本は地域、世界の平和と安定に今までにも増してより積極的に貢献していく。私の愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している。(ニューヨーク 水内茂幸)

<引用終わり>


■ これを「マッチポンプ」と呼ぶ ■

日本国内での発言との温度差に唖然とします。
少なくとも国内での発言では、中韓を刺激しない様に言葉を選んでいますが、どうもアメリカのシンクタンクの演説では、「強硬姿勢」が好まれる様で、中韓を敢えて刺激するスピーチをしています。

これは石原慎太郎氏のヘリテージ財団でも演説(尖閣の戸有地化)も同様ですが、東アジア情勢の不安定化を引き起こす事で、日本の軍事力強化を図る方法です。その結果が防衛費の拡大や自衛隊増強による米国兵器の購入。

言うなれば「マッチポンプ」。
消防署の職員が新型消防車の購入を業者から依頼されて、現在のはしご車では届かない高さビルに火を付ける様な行為です。


■ 日本は独立国家では無い ■

ここで一つのジレンマが生じます。
「自主防衛が確率すれば、アメリカの影響力が排除出来る。」という主張です。

この意見はネトウヨの主張とシンクロして、旧来の「左翼的平和主義」に拮抗する勢力を形成しています。

アメリカが裏で糸を引く東アジアの緊張拡大と日本の軍事力増強が、対米従属からの開放に役立つというジレンマを日本人は抱え込んでいるのです。

尤も、日本の軍事的独立がアメリカからの真の独立になり得るのかと言えばそうでは無く、多分、TPPの延長線としての「環太平洋協力機構」の様な地域安全保障の枠組みの中に日本は取りこまれ、中国やロシアを中心にした「上海協力機構」と対峙する形で、新しい緊張の上の平和の形成に利用されてゆくのでしょう。

■ 地政学者であるハーマン・カーン ■

ハーマン・カーンは物理学者として原発開発に携わった後、地政学者に転向しています。

「核兵器の相互保有」は地政学的軍事バランスの確率に不可欠で、ハマーンの転向は当然の事と言えます。

そして、現在進行形で地政学の基本である「シーパワー」と「ランドパワー」の対立が、新たに作られ様としています。


「EU」「中ロ印」といったランドパワーと、そこから海を隔てた「環太平洋」という三極のパワーバランスが、今後の世界の基本を形成して行くのでしょう。

一種、「さんすくみ」とも言える状況ですが、東西対立のような2局化した世界よりも安定的である事は予想に難くありません。


日本の国内政治ばかり報道する日本のマスコミからは、この様な世界なダイナミックな変化は見えて来ません。インターネットの時代、私達は断片的な情報から「妄想」の翼を伸ばす自由を獲得しています。


どうぞ、皆さんも「妄想の翼」を思い切り広げて、自分の力で次代を掴み取ってゆこうではありませんか!!

貧者の核兵器・・・化学兵器を放棄した先にあるのは?

2013-09-28 08:40:00 | 時事/金融危機
  


■ 貧者の核兵器 ■

「シリアの化学兵器が何故これ程までに問題視されるのか?
化学兵器が非人道的だからじゃないか!!」と仰る方は、思考停止しているかも知れません。


戦場による「殺傷」を目的とするならば、銃撃や爆撃による「殺戮」も、化学兵器による「殺戮」も結果はあまり変りません。

ただ、化学兵器はオーム真理教でも製造が出来る様に、肥料に使用される原料が手に入れば、比較的簡単に、そして安価に製造出来、そして「殺傷」効果は高い事を特徴としています。

それ故に、化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれています。

国家間の力の大小は「軍事力」に依存します。
核兵器を保有する国は、容易に侵略を受ける事はありません。さらに「核兵器による恫喝」により国際的な発言力も強化する事が可能です。その最たる存在が米ロ中であり、あるいはイスラエルとも言えます。

一方で核兵器の保有を許されない国や、あるいは経済的、技術的に核保有が不可能な国は、その代替として「化学兵器保有」で、自国の安全保障を確保しようとします。もし、攻撃されたら、化学兵器を使用するぞという「化学兵器による抑止力」の実効性は低くはありません。

実際に核兵器を保有するイスラエルへの対抗手段が、シリアの化学兵器搭載可能な地対地ミサイルです。

■ 化学兵器の放棄は、侵略戦争へのハードルを下げる ■

シリアは国連の提案を受けて、化学兵器の放棄を進める事になりそうです。

シリアに先立って化学兵器を放棄した国があります。
イラクです。

イラクは湾岸戦争後、国連の決議に従い「大量破壊兵器」を放棄します。化学兵器の廃棄、及び工場の破棄を国連主導で進めました。

・・・その結果はどうなったでしょうか?イラクは「存在しない大量破壊兵器」の嫌疑を掛けられて、アメリカを始めとする多国籍軍に国土を蹂躙されました。

地上進行した米軍は、化学兵器を使用される憂い無く地上戦を行なう事が出来ましたし、イスラエルに化学兵器を搭載したミサイルを打ち込まれる心配も要りませんでした。

この様に、「貧者の核兵器」とも言える「化学兵器」の抑止力を失う事は、戦争へのハードルを下げる事になります。

■ イランとの緊張緩和や、イラクへの譲歩などは何を意味するのか? ■

イランに穏健派の政権が誕生した事で、犬猿の仲であったアメリカとイランの外相が会談するという雪解けが始まっています。イラン革命や、イラン大使館人質事件を契機に冷え切っていた両国の関係改善は、中東の安定の為には良いニュースと思えます。

一方の核開発の放棄は、中東の軍事的バランスを変化させます。

一見、融和に見えるアメリカとイランの融和ですが、核開発を放棄させた後に、アメリカが手の平を返す事は充分に予想出来ます。


■ 素直に見れば、戦争屋とそれに対抗する勢力の抗争 ■

一般的な陰謀論では、中東情勢の変化を、「軍産複合体(戦争屋)」が失敗して、それに対抗する勢力(銀行屋)が中東情勢をコントロールし始めたと見ている様です。

しかし、私は中東は「武器の在庫セール」だけの目的で動いているとは考えられません。戦争と経済は不可分です。

「銀行屋」は、経済的なメリットがあれば躊躇無く戦争というカードを切って来ました。一見、k緊張緩和が始まったかに見える中東情勢ですが、どもそう簡単に事は運ばないのではと・・・。



シリアやイランを巡る情勢の背後を妄想して止まない、今日この頃です。




<追記>


シリアの化学兵器が中東の戦争抑止に役立っている事をマスコミは報道しません。


1) シリアが大掛かりな軍事侵攻を受ける
2) シラアはイスラエルに化学兵器搭載の地対地ミサイルを発射し市民を無差別に攻撃する
3) 逆上したイスラエルが核ミサイルでアラブ諸国を攻撃する

若干短絡的ですが、想定し得る筋書きです。
ですから、化学兵器の武装解除が大規模ば軍事行動の前に必要なのでしょう。




経済風物詩・・・ 米債務上限引き上げ

2013-09-26 02:03:00 | 時事/金融危機
 

日本は秋の長雨のシーズンです。

秋の長雨は梅雨と同様に、太平洋気団とシベリア気団の勢力が拮抗して

日本上空うに気圧の谷が出来る事で前線が停滞します。

一方、アメリカでは議会で民主党と共和党の勢力が拮抗して

経済に停滞前線が度々発生します。

今年も「米債務上限引き上げ」をめぐり両党は一歩も譲らず

市場関係者は不安な面持ちで議会の雲行きを見つめています。

大方の見方は「いつかは晴れる」と楽観的ですが

長雨の末期の雷雨や突風には注意を払っています。

日本市場は長引く曇り空で、洗濯物も湿り気味ですが、

アメリカは乾燥機の普及した国ですので、

市場は強引にカラリと乾燥しています。

ただ、不測の停電に備え、ここ数日は洗濯を控えているのか相場が下げています。

ここぞとばかりに溜まった洗濯をする者や、

大物を洗う人達も居るのがアメリカならでは。

はてさて、米経済の空が晴れるのは何時になるのか、

市場は空模様を眺める展開がしばらく続きそうです。






さて、恒例化したアメリカの債務上限問題。誰もが流石にデフォルトは無いと思っていますが、それでも市場は緊張気味。ダウも日経平均も下げています。こういう時、強気筋は色々と仕込んでいそうですが、前回はS&Pが米国を格下げしたにも関わらず、債務上限引き上げ後に米国債金利が下がるという不思議な現象も発生しました。

まあ、いつもながらの茶番劇と言えますが、気掛かりなのはオバマが強気な姿勢を崩していない事。実質的な交渉はルー財務長官が色々やっているのでしょうが、民主・共和両党の顔を立てた状態での手打ちを探っているのでしょう。

国の信用を賭けてチキンレースをしている様なものですが、ブレーキのネジが外されていない事を祈るのみです。



このアニメを観たら他のアニメが全てつまらなくなる・・・『天元突破 グレンラガン』

2013-09-23 02:55:00 | アニメ


■ この作品を見たら、他のアニメはツマラナイ ■

何度もこの作品を紹介しようと思いながら、思い留まっていました。
何度か書きかけては、途中で止めてしまいました。

何故か・・・。
それは、この作品を評論する力が今の私には足りないからです。
ただ、一つだけはっきりしている事は、この作品には私がアニメに求める全てが詰まっている事。
そして『天元突破グレンラガン』を見てしまった後には、昨今のアニメが全て「つまらない」と感じてしまう事。

■ 心の種 ■ 

50歳も近いオヤジが何故アニメを観るのか?
何故TVドラマや実写映画では無く、これ程までにアニメに拘るのか?

それは多分、アニメでしか表現出来ない世界があり、そして私の中にある何かが、それに大きく反応するからなのだと思います。幼少の頃からTVアニメを観て育った私達の脳内には、アニメに強く反応する回路が出来上がっているとも言えます。

私は実写映画も好きです。
大学生の頃は、生活費も切り詰めて、ミニシアター系の映画を見まくりました。その頃は、アニメも卒業して、未だにアニメにハマっている同年代の友人を、「カワイそうな人」だと思っていました。

ところが、息子が出来て、一緒に日曜朝の戦隊物を見たり、TV東京のアニメ番組を観ているうちに、自分の中に眠っていた「アニメ愛」がだんだんに目を覚ましました。

最初の頃は、息子や娘と同じ「子供の視点」でアニメを観ていました。子供達が「面白い」と言えば「そうだね。面白いよね」と答え、一緒に来週の放送を楽しみにする程度でした。『デジモン』や『おじゃ魔女どれみ』シリーズを子供と一緒に観る普通のお父さんでした。

そんな普通のお父さんのオタク心に最初に火を付けたのは、実はアニメでは無く「特撮」でした。丁度、『ウルトラマンティガー』と『仮面ライダー・クーガ』が始まって、私達が子供の頃熱中した作品が、平成という時代に、全く新しい視点で「創造」される瞬間に立ち会ってしまいました。それまで、特撮番組の脚本や演出なんて、気にした事など無かったのですが、小中千昭や川崎豪太といった名前は、私の脳裏に強く焼きつきました。これらの作品を見て育った同時代のクリエータ達への強い共感だったのかも知れません。

所詮、子供番組のウルトラマンや仮面ライダーでも、真剣に作れば、こんな作品になるんだという驚きでもあり、あるいは同世代の作ったウルトラマンを見て、かつて金城哲夫が初代ウルトラマンに込めた思いの深さを、再認識したとも言えます。大人になって、初めてウルトラマンが何だったのかを知る事となったのです。そこには、「子供番組を作る」という、世間一般に思う所の「ぬるさ」など一切無く、全身全霊を込めて「新しい何か」を作る熱意と、その作品を通じて平和の大切さを子供達に伝えようという真摯な心が込められていました。

金城哲夫は、正義のウルトラマンが、怪獣といえども生き物を殺生する事の矛盾に真剣に悩み、それならば、悪い宇宙人が相手なら良いだろうと、ウルトラセヴンを作りますが、やはり「宇宙塵は悪なのか」という問題に突き当たります。彼なりに悩みながらウルトラシリーズを作っていたと言い伝えられています。

例え子供向けの作品とは言え、真剣に作られたものは心に届きます。これは、『海のトリトン』を始めとする富野監督の初期作品も同様でしょう。そして、そららの作品を見て育った私達の心の内に、何らかの種を植え付けるのです。

■ アニメ不遇の時代 ■

「特撮」に限らず、アニメの作家達も自分達の全身全霊を掛けて作品を作ります。その結果として、『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』や『ジブリの諸作』のヒットによって、アニメは大人も楽しめる文化の地位を獲得します。

そのアニメも粗製乱造されるうちに質が極端に低下した時期がありました。製作者が戦争を経験した世代から、アニメを観て育った世代に代わる過程で、アニメは現実の世界から乖離して「オタク」と呼ばれる一部のマニアの楽しむものになってしまいました。

多分、初代の『マクロス』以降にその傾向が顕著になりますが、それは同時に私達がアニメから離れた時期と重なります。80年代後半から90年代初頭に掛けて、ジブリ作品意外は、社会とのリンクを失います。(このアニメ冬の時代にも、劇場用作品には意欲作が作られています。ガイナックスの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や、『AKIRA』など・・)

そんな時代にも細々と良作は作られ、又、次の時代を担うクリエータ達が育っていました。1995年は『エヴァンゲリオン』と『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が発表され、アニメの新しい時代が始まったと言っても良いかと思います。

■ 新時代のアニメが失ったもの ■

日本のアニメは「エヴァ以前」の時代と「エヴァ以後」の時代に大別されると思います。これは、絵柄とか、演出の緻密さと言った技術的なものでは無く、「熱い混沌の時代」「醒めた知性の時代」と言える様なものかも知れません。簡単に言ってしまえば「オバカの時代」「お利口の時代」

ところが私は「エヴァ以降」の作品の完成度には感心しますが、何か物足りなさを禁じ得ません。それは、「アニメである事の必然性」に対する疑問とも言えます。

例えば、押井守作品は現在のCG技術を使えば実写映画でも表現可能です。実際の押井監督は実写映画を撮っていますし、同様に庵野監督も村上龍の『ラヴ&ポップ』を実写映画化しており、アニメと異なる表現を試みたりしています。

アニメと実写映像の最大の違いは、「デフォルメ」です。
これは単に絵柄としての話しでは無く、表現様式全体に関係します。

例えば、人が死ぬシーンを実写でやれば、かなりシリアスなシーンとなります。
ところが、アニメ(漫画も含む)では様々な表現方法があって、手塚治作品では、かなりコミカルに人が死んでゆきます。(丸焼きになたり・・・)
この様にアニメは実写に比べて表現の選択肢が非常に広い。空高くから人が落ちて地面に人型の穴が相手も、その直後のシーンでは、むっくり立ち上がったりします。

私は、こういった現実に縛られない表現こそが、アニメの最大の魅力だと思っています。それは一種の突き抜けた「オバカ」なのでは無いのかと。

そして、「エヴァ以降」のアニメが失ったのは、この「オバカ」では無いかと思うのです。

■ マジンガーZと現代を繋ぐ『天元突破グレンラガン』 ■

この「オバカの不在」に対する最良の回答は、何と『エヴァンゲリオン』を制作したガイナックスから出現しました。2007年に放映された『天元突破グレンラガン』です。

日曜朝8:30のTY東京での放映という、ムチャクチャ子供向けの時間に放映されたので、子供向けのロボットアニメだと誤解されましたが、文化庁のメディア芸術祭の優秀賞を獲得しています。

「贈賞理由」がこの作品の「意味」を雄弁に語っています。

二次審査過程の得票数では入選圏外だったが、強く推す声があり、意見が二分した。「すべてが、かつて表現されたことの焼き直し、引用ではないか」「かつてこの種の作品は、何度も作られたじゃないか」。本作は、その2つの理由で一旦は否定された。確かに、本作は数々の過去作品の記憶を相当な密度でガジェット化している。だが、本作の本当のおもしろさはそこにあるわけではない。ガジェット化されたものは、あくまで“舞台装置”にすぎず、表現の核をなしているものは“製作者たちが信じているアニメーションの表現クオリティ”だ。その“技術”は懐古ではなく、現役であり、未来だと製作者たちは言っている。強く推された理由は、その声の力強さだろう。

そう、『天元突破グレンラガン』こそが、お利口になってしまった現代のアニメに『マジンガーZ』の時代の混沌とした情熱を取り戻させる、2000年代最大の意欲作であり、過去と未来を繋げる、私達オールドファンの待ち望んだ作品なのです。

■ アニメ的デフォルメと、壮大なSF的設定 ■



遠い未来、人間は地底に隠れる様に暮らしています。文明は衰退し少ない食料で細々と生命を繋いでいます。地上に出る事は禁忌とされていますが、いつの時代にも「跳ね返り」は居ます。ジーハ村のカミナは問題児。友人の「穴掘りシモン」を炊きつけては、どうにかして地上に出ようとする日々。子分のシモンはおとなしい性格でパットした所は一つもありません。まさにモグラの様な性格。ところがカミナはシモンに絶大の信頼を置いています。一つの事をコツコツと続けるシモンは、将来大物になると言うのです。

そして、終にカミナとシモンはドリルで地中を掘り進み地上に到達します。とこが、地上に出た途端二人はガンメン(顔面)というロボットに襲われます。ギリギリの所をヨーコに救われた二人は、地上をガンメンが支配し、地上に出た人は生き残れない事を知ります。

ところが、諦めの悪いカミナとシモンは、とうとう小型のガンメンを手に入れます。シモンがかつて地下で掘り当ててお守りにしていた小さなドリルが、何故だかこのガンメンのコントロールユニットのキーになっていたのです。

カミナとシモン、そしてヨーコはこの小型のガンメンで敵を倒しながら、人々が地上で生活出来る未来を目指します。そんな彼らに同調する人々は、紅蓮団を組織して、強大がガンメン達を次々に倒しますが、戦いの中で・・・・。

そして、敵のボスを倒した事で、地球の運命が大きく動き始めます。人々は急速に文明を取り戻し、発展させますが、それこそが、生命としての人間の存在を脅かす原因となるのです。

物語は、この後、どんどん盛大にエスカレートして、最後は全宇宙規模での戦いに発展しますがこの戦いの演出は、アニメでしか不可能でしょう。(・・・ストーリーが面白いので、ネタバレしません。)

■ とにかく熱いぜ ■

この作品、とにかく前半はカミナがカッコイイ。
どうカッコイイかと言えば、突き抜けたバカ!!

カミナ語録をネットから拝借します。


「俺を誰だと思っていやがる!!!」

「無茶で無謀と笑われようと、意地が支えの喧嘩道!
壁があるなら殴って壊す、道がなければこの手で創る!心のマグマが炎と燃える!
超絶合体グレンラガン!
俺を!俺達を!誰だと思っていやがる!」

「人はなんで前に目があるか知ってるか?遠くの景色を見る為にゃぁ、前に進むしかないからだ。後ろに目があると生まれた故郷が離れていくのしか見えねぇ。それじゃぁ人は前には進めねぇ。目が前にありゃぁ、歩いていけば遠くの景色が近づいてくる、だから人は前に進める。」

「お前のドリルは、天と地と明日を貫くドリルじゃねえか。
こんな所で、何モタモタしてやがる。俺達は勝ったんだ!
そのデカブツは、お前の物なんだ!
何も不安なコトはねえ!!」



バカです。大バカです。
・・・でも、文字で読むだけでも熱くタギルるものがあります。
『ROBOTICS;NOTES』のあき穂ちゃんが「たぎってきたぁ!!」と叫んでもウザイだけですが、カミナの言葉は何故か心を「たぎらせる」ものがあります。

物語の前半はひたすら熱く、カミナとシモンがガンメンを駆逐して行きます。
その後・・・・・アアアー書けない。書いたら面白くなくなっちゃう!!

とにかく、この作品は「ドリル」が一つのテーマになっています。ドリル「チャレンジのメタファー」で男の魂の象徴です。虚構の話しでありながら、ドリルは現実の私達の心をも貫き、熱くさせます。

娘も、このグレンラガンを観た後は、どの作品もツマラナイと言います。

そして1回しか見てい無いのに、各話のシーンやセリフが脳裏に焼きついて離れない稀有な作品です。
これこそ、王道アニメであり、「エヴァ後」のコジンマリ纏まってしまったアニメへの、強烈なカウンターパンチなのです。


岩崎琢のサントラを買ったら、血が沸き立ってきて、書き始めましたが、実際に作品を見なければ、グレンラガンの凄さは全く理解出来ないでしょう。こういう作品を前にしては、言葉は力を失います。

敢えて言うならば、この作品を前にすれば『エヴァンゲリオン』などクソだと。
アニメの王道とは、この作品の為にある言葉です。
エヴァは所詮、ドブ板の上をトボトボと歩く様な作品なのです。
「グレンラガン」が評価された時、日本の経済も復活するでしょう。







最後に一つ付け加えるならば、グレンラガンは男達の熱い情熱の話しであると同時に、女達の深い愛情の話しでもあります。最終話は涙無くしては見れない。



そして、サントラも涙無くしては聞けない。
岩崎琢、いい仕事してます。
魂が震えます!

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