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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

アジアインフラ投資銀行と元の国際化・・・ドル離れは成功するか

2015-03-31 06:04:00 | 時事/金融危機
 

■ IMFに支援されるとロクな事が無い途上国 ■

現在、世界の主な国際的な金融機関はIMF(国債通貨基金)世界銀行です。先進国の戦後復興と発展途上国も開発を目的に各国が出資して設立されました。

IMFは通貨と為替の安定を目的に設立され、経常収支が極めて悪化した国に資金を貸し出す事で為替を安定させるます。実際にアジア通貨危機の際には韓国やタイなどがIMFの支援で経済を立て直しています。

しかし、IMFは「金は出すけど口も出す」やっかいな金融機関です。韓国は先の通貨危機でIMFの支援を受けた際に、財閥解体や保護貿易の廃止、さらには海外からの投資の自由化など国内保護的な規制を取り払われ、結果的に国内の企業にはアメリカなどの資本が入り込む様になりました。

途上国の多くは困った時はIMFに泣きつくしかありませんでしたが、一方でIMFに介入される事を何よりも恐れています。

IMFは日本の財政状態にも警告を発しており、日本が財政破綻した場合の政策提言などをしています。IMFには財務省の官僚も多く出向しており、財務省との連携も当然存在すると思われます。

IMFの総裁は現代はフランス人のクリスティーネ・ラガルド氏ですが、代々総裁はヨーロッパ人が務めています。

一方、世界銀行の総裁は代々アメリカ人です。現在は韓国系アメリカ人のジム・ヨン・キム氏が総裁です。

この他に大蔵・財務官僚が代々総裁のポストを務めるアジア開発銀行が、途上国のインフラ投資を支援する金融機関として知られています。

■ 中国が主導するアジアインフラ投資銀行 ■

中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)ですが、これはIMFやアジア開発銀行の機能と完全に目的がダブル金融機関です。

IMFは「金は出すけど口も出す」のでIMFに支援を受ける事は、その国のシステムが欧米の都合の良い様に作り替えられる事を意味しています。ですから、中国は自らAIIBを主導する事でアジアの通貨体制を欧米の支配から解放しようと試みているのかも知れません。

ただ、今度は逆に中国の意向が強く反映する為、AIIBの支援を受けたる為には中国の顔色を窺う事になります。アジアの国々はAIIBに参加はするものの、アジア開発銀行などとどちらが自分達に有利なのか当分は両天秤に掛ける事になりそうです。

■ ヨーロッパ諸国が参加した意味 ■

当初、欧米諸国からは無視されるかと思われたAIIBですが、イギリスが参加を表明してからヨーロッパ各国が雪崩を打った様に参加を表明しています。

これには二つの見方が有ると思います。一つは「今後発展が予想されるアジア経済の中核に一枚噛ませろ」という目的。

もう一つは「出資するけど口も出す事で、AIIBの中国支配を弱める」という目的。

イギリスのEUへの参加などは、口を出してEUの結束を攪乱したり、或いはEU内の情報を取る目的も見え隠れしているので、歴史的に謀略好きなイギリスの参加表明は中国にとってメリットとなるのか疑問に思える所も有ります。

■ アメリカの次は中国を覇権国家に育てる? ■

かつて「眠れる獅子」と呼ばれた中国ですが、帝国主義時代は中国を巡って列強が凌ぎを削りました。イギリスはインドの植民地経営で手一杯だった為、中国を直接支配する事は出来ませんでしたが、日本を通じて中国に影響力を行使していました。

アメリカも中国の市場を欲していました。その結果が太平洋戦争であり、日本を中国から切り離す事に成功します。しかし、中国は急激に共産主義化が進み、アメリカと敵対する様になります。アメリカは太平洋戦争の結果、太平洋の覇権を獲得し日本やその他の国々の影の支配権を得ますが、中国を手中にする事は叶いませんでした。

ただ、改革開放路線以降の中国の発展にアメリカ資本の果たした役割を大きく、上海閥とアメリカの繋がりは浅からぬものが有りました。

現在、中国の首席は習近平氏ですが、太子党出身で上海閥とは距離を取っています。上海閥の影響が低下する事は、中国におけるアメリカの影響が低下する事を意味します。そこにヨーロッパ諸国が入り込んでいる現状は、なかなか興味深いものが有ります。

イギリスはかつてアメリカを新興国から覇権国家に育てる事で、影から世界経済を支配しました。同様に今度は中国をアジアの覇権国家に育てるのでしょうか?

■ そろそろ元を国際通貨とする頃合いかも知れない ■

アジア圏やロシア、ブラジルなどとの間で元の決済が出来る様になるなど、BRICs諸国やアジアにおける元の国際化は着実に進んでいます。

一方で、元の信用はドルに柔らかにペックする事で確保されているとも言えます。所詮は紙切れに過ぎない通貨の信用は元と言えども容易くは得られません。

現在の通貨の価値は、ある部分において「物が買える」という実利的な効果が支えています。元がアジア系やBRICsの決済通貨となれば元の信用を大きく高まります。

アメリカのドルも、中国の元も所詮は紙切れですが、現状はドルの方が信用が有ります。AIIBはドルを基軸通貨として設立されていますが、元の信用が高まるにつれて、元を支援通貨に使う様になったらどうなるか・・・。中国は輪転機をグルグル回して強い影響力をアジア圏に持つ事になります。

■ 基軸通貨が巨大な市場を生み出す ■

現在世界に不足しているのは需要です。リーマンショック後、世界は中国の内需に期待して来ましたが、思った程は拡大していません。

戦後、アメリカはドルを基軸通貨とする事で、輪転機をグルグル回して巨大な国内消費を作り出し、世界経済を支えていました。同様に元の基軸通貨化は、中国の内需を大きく拡大する結果を生み出します。

資本家達が必要としているのはいつの時代も「消費」です。そして中国の内需は爆発劇に拡大する可能性が有ります。

これは日本にとっても悪い事では無く、先の「中国人の爆買い」では有りませんが、日本経済も確実に恩恵に浴する事でしょう。

・・・・ただ、輪転機グルグルで中国人が買い物三昧というのに、ちょっと嫉妬します。
まあ、今だって輪転機グルグルで元は湧いて出ているので、大差無いと言えばそれまでですが・・・。

野良猫は野生かペットか?

2015-03-30 04:59:00 | 分類なし
■ 何故ペットはカワイイのだろう ■

ペット好の方は、ご自分が何故ペットが好きなのかを考察する事はあまりしないのでは無いかと思います。「だって、こんなに可愛いんだから・・」という論理を超越した感情が先立つ事が多いと思います。では、何故ペット達はこんなに可愛いのでしょうか・・・。本日はこの事について考察したいと思います。



■ ペットと人間の共生 ■

ペットを飼うという行為は高度な知性を有する人間独自の行動です。

ペットを飼うという行為は「人と動物との共生」に起源を持ちます。犬の先祖や、猫の先祖は好奇心が強く人を恐れない事から、人間の生活圏の近くで生活していた野生動物だったと思われます。これが人間社会に危害を与える場合は、ネズミの様に排除の対象となりますが、犬は番犬として狼などの危険な野生生物の襲来を人に知らせ、猫はネズミなどを駆除する事で人間との共存関係が確立したのでしょう。

犬や猫の先祖としてみれば、人間の近くに居れば「残飯」などの食糧にあり付け、外的から保護されるので生存確率が高まるというメリットが有りました。決して彼らは「人間が好き」で共存を選んだのでは無く、「生存確率を上げる」為に人との共生を戦略的に選択したのです。

■ 現代のペット ■

人々が豊かになり生活に余裕が生まれるとペットと人間の関係も変化します。犬や猫は現代の社会においてはかつての「働き」を要求されません。昭和の時代までは犬は「番犬」として飼われていましたし、猫はネズミ取りとして活躍していましたが、現代においてこの「役割」をほぼ失われています。

現代の犬や猫は「カワイイから飼われる」生物となっていますが、これは「人間の愛情の受け皿」として存在している事になります。

■ ペットへの愛情=自己愛 ■

「ペットへの愛情」の多くが「自己愛」の反映である事に多くの人は気付きません。ペットへの愛情は子供への愛情に似ていますが、子供を可愛いと感じる根源には「自分に似た物を可愛いと感じる」本能が存在します。これは繁殖育児の為に備わった本能でしょう。猫のオスは自分の毛色と違う子供を殺す習性が有ります。自分に似た者にしか愛情を感じ無いのです。「自己愛」は母性本能や父性本能の一部を形成しているのかも知れません。

自分の子供に向けられる本能的な愛情の「自己愛」ですが、犬や猫が身近な存在になるにつれ、ペットが自己愛の対象になる様になります。

本来は「共生」への「労い」であったペットへの愛情が、「身近な生物への無償の愛情」に変化するのです。この「無償の愛情」こそが「自己愛」であり、「この子達は私が居なければ生きて行けない」という言葉に表れます。

■ 過剰な自己愛 ■

本来「共生」の上に成り立っていたペットと人との関係ですが、「自己愛」が関係の中心になる事で変化します。

「ペットを可愛がる」=「自分を愛する・大切にする」という潜在的な関係が成立すると、人によっては「自己愛」の抑制で出来なくなります。これにより飼い主は「ペットに依存」する様になります。

しかし、多くの場合飼い主は自分がペットに依存している事に無自覚で、「この子は私が居なければ生きて行けない」という様に、ペットが自分に依存しているという錯覚を強めて行きます。

猫が人に懐くのは餌を貰えるという生存戦略ですし、犬の忠誠は群れとしての本能の現れでしか無く、「愛情」という感情を彼らが飼い主に抱く事はありません。ただ、飼い主はペットを通して「愛情の自己投影」を感じているだけなのです。

■ 自己愛の拡張 ■

ペットへの「自己愛」は、多くの場合は自分が飼うペットだけに向けられます。しかし、一部の人達は、他人のペットにも自己愛を投影する様になります。

「どうして世間の全てのペットが、自分の飼っているペットと同じ様に幸せでは無いのだろう」という疑問と不満を持つ様になるのです。これは「慈善」の行動に似ている様に思われがちですが「慈善」はキリスト教が求める「犠牲」であって「自己愛」とは異なります。

「自己愛の拡張」が起こると、他人のペットの扱い方に不満が生じたり、さらには野良猫の様に飼い主が居ない存在にも「自己愛」の投影が起こる様になります。「この子達はもっと幸せであるべきだ・・・」そう感じる事を抑止出来ないのです。

■ ペット好きの人との対話が成立しな訳 ■

ペット好きの方と会話が成立しないケースは良く起こる事です。

この原因は「動物への愛情」が「自己愛」という「母性本能」に近い根源的な感情に由来しているからだと思われます。人間は我が子を守る為なら、なりふり構いませんが、同様に猫や犬の「自己愛」を抱いている方は、猫や犬を守る為ならば必死になります。

これらの方にとっては犬や猫を守る事は何より重要な事ですから、友人との関係や社会とのバランスよりも優先されます。

これが、動物愛護団体に一般の人が感じる違和感の原因です。要は優先順位が一般の人とは違うのです。

■ 個人と他人の区別をしっかり付けるドイツ ■

ドイツでは犬を連れて電車の乗ったり、お店に入る事が出来ます。多くのペット愛好家達がドイツをペットの理想郷だと思っています。

しかし、ドイツにおいては、社会の中でペットが勝手に振る舞う事は許されません。ペットが電車の中で吠えれば、周囲の人が飼い主に抗議をし、飼い主は非難の視線を浴びながら電車を降りる事になります。ドイツのおいて「個の権利」が「他人や社会の権利」を侵害する事は許されないのです。

■ 年間30万匹の猫がハンターに殺されるドイツ ■

この様に「個」と「他」との区別が明確なドイツにおいては、野良猫や野良犬の様な「所属不明」な存在は許されません。

ドイツの狩猟法は、民家から100~200m離れた場所をリードも付けずにフラフラしている犬や猫をハントする事を許しています。「飼い主が不明確」なペットはドイツにおいては「害獣」に認定されています。野良犬も野良猫も農家のニワトリなどを襲う可能性も有るからです。さらに、野生生物を捕食するので、生態系を乱す存在としても害獣認定されています。

結果的に年間30万匹の野良猫がドイツでは「ハント」されています。獣で撃たれたり、トラバサミという罠に掛かったりしているのです。野良犬も同様に駆除されています。この中には少なからぬ飼い猫、飼い犬の存在し、飼い主の目の前で愛犬が射殺されるケースも有る様です。

この様にペットの天国で有る様に言われるドイツでは、人の管理から外れらペットは害獣であり、その殺処分数はペットの殺処分の数に含まれないので、「ドイツではペットの殺処分数はゼロ」になりのです。

■ 日本でも野良犬は徹底的に駆除された ■

かつて日本でも野良犬は普通に街中を歩いていました。しかし、狂犬病の原因となったり、人に噛みつく恐れのある野良犬は、保健所が徹底的に駆除したので、現在で街中で野良犬を見る事は無くなりました。ドイツ同様に、野良犬は撲滅されたのです。

■ 野良猫は社会に役立っている ■

一方、野良猫は放置されています。これは野良猫が人間に病気を媒介する事が無く、積極的に人を攻撃する事の無い事にもよりますが、野良猫がドブネズミなどを捕食してくれる事も評価されての事と思います。

野良猫が街から居なくなったら、その町ではネズミが大繁殖するでしょう。現代の都市は生ごみという「ごちそう」が定期的に山積みになります。カラスや野良猫がこのご馳走に有り付こうと凌ぎを削りますが、カラスや猫を天敵とするネズミはゴミに近付く事が出来ません。

エサヤリの人達が野良猫にエサを与えると、猫達は苦労してネズミを捕食する必要が無くなります。これは野良猫の存在理由を失わせる行為です。

■ 野良猫は可哀想という錯覚 ■

エサヤリの方や、動物愛護団体の方の多くは「野良猫は餌も少なく可哀想」だと言います。これは「飼い猫」に比較した場合です。

実は都会は動物達の餌の宝庫です。都会で問題となっているカラスですが、彼らは「ハシブトカラス」という種類で、本来は山間地に生息しています。近郊に生息していたのは「ハシボソカラス」という小柄な種類です。

何故、山に生息するはずのハシブトカラスが都会に進出したかと言えば、彼らの餌となる動物性の餌が生ごみとして定期的に供給され、ビルや電信柱の林立という環境が山の環境に実は似ているからだと推測されています。高い木の上から飛来して小動物を捉えたり、動物の死骸を餌とするハシブトカラスにとって、都会は餌が豊富で住み易く、さらにタカなどの天敵も居ない楽園だったのです。敵と言えば餌を奪い合う野良猫程度ですが、野良猫の子供はカラスにとってはご馳走です。

近年、タヌキが都市部に進出を始めています。川筋や下水を通って、皇居などにも定住する様になりました。タヌキが都会に進出した理由も餌が豊富な事にあります。ただ、人間の生活圏に進出したタヌキは、犬のカイセンダニの被害にあっています。近郊で毛の抜け落ちた哀れなタヌキを多く見かけます。

タヌキの他にハクビシンなどが都会に進出してきました。野生動物達は何十年という時間によって都会の生活に順応し始めたのです。そして、住めば都では有りませんが、餌が豊富で天敵が少ない都会は彼らにとっては天国だったのです。

■ 野良猫は野生動物で無ければ「特定外来生物」になってしまう ■

動物愛護団体の方達は「野良猫は本来人間が海外から連れて来て飼い始めたのだから、野生動物では無く保護される存在だ」と主張されます。

「人間が海外から持ち込んで、野生化した動物」を現代の我が国では「特定外来生物」と呼称し積極的駆除の対象とされています。理由は「自然の生態系を乱し、在来種の存在を脅かす」からです。

「特定外来生物」として積極的に駆除されているアライグマは戦前は毛皮業者が日本に持ち込み逃げて繁殖しました。現在、全国各地で野生化しているアライグマの多くは、『アライグマ・ラスカル』の大ヒットでペットのアライグマが大量に輸入されそれが野生化した子孫です。

アライグマは気性が荒く成長しても人慣れしません。結果的に多くのアライグマが野に放たれたのです。

「野良猫は本来人間が海外から連れて来て飼い始めたのだから、野生動物では無い」という動物愛護団体の主張を今の日本で厳格に適用すると、巣立ヒナなどの野生生物を捕食する野良猫は「特定外来生物」として駆除の対象になってしまいます。

環境省が野良猫を駆除しない理由は、野良猫が民家に近くに生息している限り、自然環境の脅威にはならない事が理由です。さらには交雑して遺伝子を乱す様な野生の猫が日本に存在していない事も大きな理由になります。

さらに外猫として放し飼いにされる猫は、野良猫と飼い猫の区別が付けられない為、行政としても駆除対象に出来ないという根本的な問題も有ります。

■ 世代交代の早い野良猫は野生生物では無いのか? ■

餌が豊富な環境では年4階の繁殖期を迎えっる猫ですが、メスは生後5~12カ月で、オスは生後8~12カ月で性成熟するといわれます。要は、餌の多い環境ではバンバン生まれてバンバン増えるのです。

しかし、実際には縄張りのキャパは限られているので、世代交代は3年程度で行われる様です。

野良猫の死因の多くは車に轢かれる事だと思われます。その他にも猫固有のウィルス疾患による死亡も多いはずです。野良猫はほぼ100%、ウィイルスに感染しています。耐性を持つ個体が生き残りますが、体力が落ちたりすると発病して風邪の様な症状を発症し、最悪は死に至ります。

この様に世代交代の早い野良猫が3代の世代を重ねれば飼い猫としての資質を失い、人を警戒する様になります。我が家の周辺の野良猫達も半年程前までは人に近付きませんでした。

■ 餌やりによって失われる野生 ■

面白い事に、猫達が獲得した「野生」は、エサヤリによって一瞬で消失します。

私の近所の猫達に半年程前からエサを与えるオバサンが現れました。夕方になると近所を回ってエサを与え始めたのですが、猫達はあっという間にオバサンに懐き、オバサンの姿を見かけるとニャアニャアと甘えた声を出して集まって来る様になりました。

それまで、スリムで素敵な体形をしていた野良猫達は、見る見る太って、フテブテシイ表情に変わり、さらに我々が近づいても逃げなくなるなど、態度までフテブテシクなり野生のしなやかさを失ってしまいました。

実は家の周囲の野良猫達が住人に歓迎されているかと言えば、私の花壇の花を踏み荒らしますし、生ごみは食い散らかしますし、糞尿の被害も出ています。ただ、私達住人達は、苦々しく思いながらも、彼らを苛めたり駆除する事も無く、「共存」していました。この「共存」関係はエサヤリのオバサンは一瞬で見事に粉砕してしまったのです。

エサヤリのオバサンが出現して一カ月程すると「エサヤリ禁止」の看板や張り紙があちらこちらに貼られる様になりました。するとオバサンは「〇〇市猫愛護団体」というハッピを着て、堂々とエサを与える様になりました。この団体は「自称」団体です。

堂々と活動する様になってから、付近の猫好きの方ともコミュニケーションを取る様になったので、夕暮れにこっそりとエサをやる不気味さは無くなりました。

■ エサヤリで子猫が増えた ■

エサヤリの結果・・・子猫が増えました。私のマンション周辺に居ついているメス猫は5匹の子猫を生みました。ただ、この5匹は既に見かけなくなったので、病気で死んだり、他の縄張りに移ったのだと思います。

この様に、避妊手術を伴わないエサヤリは野良猫の増殖を加速します。ただでさえ猫害に悩まされていた住人にとっては迷惑以外の何物でも有りません。

前回の記事で猫の愛護活動をされている方から、色々をご意見を頂きましたが、「無責任なエサヤリ」を皆さん非難されています。

皆さん、自腹で野良猫の避妊手術をされて、野良猫がこれ以上増えない処置をしてからエサを与え、野良猫が余生を幸せに暮らせる様に尽力されています。この行動は、頭が下がります。

ただ、可愛いからと言って無責任にエサを与える行為は許されません。まして、学生時代の私の様にエサを与えてちょっと苛めるなんてのはもっての他で、愛護団体の方の非難はモットモな抗議です。

■ 野良猫と人間社会の適切な距離 ■

私はノマドの様に人間社会の片隅で自由に生きる野良猫が好きです。

実は私は「猫の鳴きまね」という特技が有り、警戒心の強い野良猫でも、この特技を披露するとすり寄って来ます。ただ、この特技は5年程封印しています。やはり、野良猫はこちらの顔を見ると「チッ!!」という表情をして、そそくさと居なくなる方が野生らしくて好ましい。

私はドイツの様に徹底して「まつろわぬ猫」を排除する社会が正常とは思いません。ただ、ペットの延長として野生化した野良猫に過剰に干渉する事も正しいとは思いません。

3世代以上を経て「野生」を獲得した野良猫には、彼らなりのルールが有り、それは自然の摂理に則っているので、人間が手を出してはいけはずです。

■ 去勢を伴わないエサヤリを条例で禁止すべき ■

「猫好きの方」「猫嫌いの方」「猫被害に会われている方」、様々な人達が生活する社会で野良猫の問題は複雑です。

ただ、一つだけ言えまるのは、無責任なエサヤリが猫にも人にも幸福をもたらさない事です。ですから、「避妊を伴わないエサヤリ」は自治体が条例で禁止すべきでは無いかと思っています。

■ 去勢と伴うエサヤリでも、野良猫は絶滅する ■

実は私は「去勢を伴うエサヤリ」にも反対です。

何故なら、これを続けると「野生の猫」が身近から消滅してしまうからです。私は野良猫に花壇を荒らされる事に怒りながらも、しなやかに生きる野良猫を見ている事が何よりも好きです。

ですから「去勢を伴うエサヤリ」で野良猫が絶滅してしまう事が悲しい。暖かくなると、ニャーニャーと甘ったるい声で「性を謳歌」する猫達の鳴き声が聞こえなくなると寂しい。


猫と人の共生の歴史は長く、そして現代の様に「愛玩」だけが目的として猫が飼われる様になってからはそれ程時代は経過していません。

これからも様々な軋轢を伴いながら、猫と人との新たな関係が模索されて行くのでしょう。猫好きな方、動物愛護に情熱を傾けていらっしゃる方には失礼な記事となりましたが、猫を巡る対話の切っ掛けの一助となればと思います。




本日の記事は、ペット好きの方の「自己愛」について考察していますが、「自己愛」自体は「母性(父性)愛」に由来する感情なので、それを否定するものでは有りません。「自己愛」の強い方は、多分子供に対する愛情も強い方が多いと思います。私はこれ自体を一切否定しません





<追記>


■ 「ペットを飼う」という行為の「残酷性」 ■

私達は「ペットを飼う」事を「優しさの現れ」として無条件に肯定しています。しかし、ペットを飼うという行為自体にある種の残酷さが存在しています。


私も生物が好きなので、小動物は沢山飼育して来ました。集合住宅住まいなので犬と猫が買えないのですが、前出の様に学生時代は猫は身近に居ました。

そんな私も最近は「可愛いという感情」を抱く動物を飼う事を避けています。

息子が小学校に入学した時、学習机を買いに行きましたが、何故だか息子にせがまれて買ったのは手乗りセキセイインコのヒナでした。「ピヨモン」と名付けられたそのインコを家内はたいそう可愛がり、ポケットに入れて近所に買い物に行く程でした。

そのインコは一匹飼いだったので、自分の事を鳥だと認識していなかったでしょう。成熟すると私達に求愛行動を取る様になり、さらには卵を沢山生んでは一生懸命抱卵しました。その内に卵管炎になり、おしりがマン丸に膨れて辛そうでしたが、それでも卵を産み、私達に求愛し続けました。あまりに可哀そうなので、インコをもう一羽飼いましたが、結局、新しいインコには馴染めず攻撃を繰り返したので別の籠で飼う事になりました。

この「ピヨモン」が死んだ時、実は少しホットしました。動物としての「性」を全うできない事を可哀そうに思っていたからです。

今でもペットショップでインコのヒナを見るとついつい買いそうになりすが、「ピヨモン」の姿を思い出すと「やっぱり止めよう」と思います。

ハムスターや、息子が嵐の日に保護してきた怪我をしたキンカチョウなども飼いましたが、やはり死ぬと悲しいので、子供が成長してからは、自分の趣味として熱帯魚しか飼っていません。

魚は過剰な感情移入をする余地が少ないので、自然観察として楽しめます。エサの量を加減すれば増え過ぎる事も有りません。(以前、ベタをブリーディングしてしまい、増え過ぎる事の恐怖を味わいました)


以前、「子猫を間引きの為に崖がら捨てた」と書かれた直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが社会的に問題になった事件が有りました。動物虐待として随分バッシングされました。

坂東さんは、このエッセイの中で、動物として生まれたからには「生殖」は最大の喜びであろう。「避妊」や「去勢」によってこの喜びをペットから奪うのは人間の傲慢であり、自分は生まれた子猫を間引くという罪を負う事で、ペット達の「繁殖の喜び」を奪わずに居る・・・・・。

多分、猫好きに方達には、全く理解出来ない感覚かと思いますが、必死に求愛するインコのピヨモンの姿を知る私には、僅かながら納得できる内容です。

ただ、「ペットを飼わない」という選択制も有る訳で、私は人とコミュニケートできるペットを飼わない事で、「ペットを飼う」事に伴う原罪の一部を回避する選択をしています。それでも「生き物の生死を支配する」という人間の傲慢からは逃れられはしないのですが・・・。

動物愛護って何?・・・遠い記憶

2015-03-25 02:58:00 | 分類なし
 

今から30年程前。大学時代の6畳一間の学生アパートには一匹の野良猫が居ついていた。彼の名は「ウンチ」だった。卒業した先輩達が、この野良猫を共同トイレに閉じ込めたところ、出てきた時にウンチの臭いがしたというので付けられた名前だ。なんとも酷い名前だと思ったが、呼び慣れるうちには違和感は無くなっていた。ただ、道端でこの猫に出会った時、ついつい「ウンチ、ウンチ」と大声で呼びかけてしまった時の周りの女子大生の視線は冷たかった・・・。

男ばかりの安アパートに出入りしていた「ウンチ」であるが、これがなかなかシタタカで、アパートの端のドアの前から順繰りに「ニャア、ニャア」と鳴く。応答が無いと次のドアの前で「ニャア」と鳴く。すると、誰かかドアを開けてウンチを部屋に入れてやり、ついでに何か食べ物をやる。

一見幸せそうに見えるウンチの生活であるが、これがナカナカ苦労に満ちていた。ある日、アパートを訪れたウンチの背中には青色のペンキが塗られていた。またある時は立派な眉毛と髭が無くなっていた・・・。私のアパートの住人の仕業では無かったので、別のアパートでやられたものだろう。

しかし、私のアパートでウンチが安穏としていたかと言えば、やはり災難にあっていた。ある日、暇を持て余した我々はウンチを洗ってやる事にした。ところが相手は野良猫である。シャンプを付けて泡立てた所で逃げ出した。アパートの室内廊下の隅に追い詰めて泡だらけの彼を捕まえた我々は、共同洗濯機に水を張って、この中でシャンプーを洗い流す事にした。ところがネコは水が嫌いらしく全力で暴れて洗濯機から飛び出した。仕方が無いので我々は廊下の隅にウンチを追いつめて、ホースでジャージャーと水を掛けて泡を洗い落とした。真冬の事である・・・。

しばらくするとウンチはブルブルと震えが止まらなくなった。慌てた我々は電気ストーブを3台持ち出して、部屋の中でウンチを温めた。すると濡れていた毛がフサフサと乾いてきて、ウンチは気持ち良さそうに眠り始めた・・・と思うと、フギーと言って飛び起きて部屋の隅に走って行った。彼の背中の毛が少し焦げていた・・。

こんな事があった翌日にも、ウンチは我々のアパートに現れた。昨日の出来事を知らない先輩が「あれ、ウンチ、なんかキレイじゃない?」と言った。皆、思い出し笑をした。

ウンチは野良猫のくせにたいそう人慣れしていた。冬の寒い夜、部屋に入れてやると布団の足元に丸くなって寝た。ところが、夜中に足元から布団に入ってきて、だんだんと上に上がって来る。最期は私の顔の横に顔を出すのだが、猫のゲップは生臭い。そしてオナラもしっかりとクサイ。野良猫なのでノミがいそうで怖いので、買い物用の紙袋に入れると、全力で抵抗して紙袋をズタズタにして逃げて回る・・・。仕方無く又布団に入れてやった。

ある日、ふと猫背は矯正出来ないものかと、ウンチの前足を抑えて背中を伸ばしてみた。しばらくされるがままになっていたが、どうやら苦しかったらしく痙攣を起こした。慌てて手を放すと、クシャミを繰り返しながら部屋の隅に沿って頭を下にして歩き回った。あまりのクシャミの凄さに、吐くかと思ってヒヤヒヤした。この痙攣の発作は驚いた時にも起きる。私の夕食の熱々のオムレツを分けてやった時も、舌を火傷したらしく、慌てて飛びのいた後、同様のクシャミを連発した・・。

こんな事があってもウンチは律儀に部屋にやって来た。部屋に鍵などしていない時代だったので、留守の部屋に勝手に入り込んだ友人は、コタツの暖かさにホットしたのもつかの間、その暖かさの主がコタツの中の野良猫である事に気付いて仰天したと言う。

そんなウンチもある日を境にアパートを訪れなくなった。代わりに人なれしない憎たらしい野良猫がやって来たが、とうとう我々には懐かなかった。ウンチはきっと車に轢かれたか、縄張り争いに敗れたのだろうご皆で噂した。


・・・・これが30年前の野良猫の生活である。可愛がられていたのか、はたまた虐待されていたのか・・・私自身は「良い関係」であったと信じて疑わない。


ところで、高校教諭が生まれたばかりの野良猫を埋めたとニュースで話題になっている。農業高校の農場では毎春野良猫の子供が生まれる。生徒達は里親探しに奔走するが、なかなか見つからない。運良く貰い手が見つかる場合もあるが、大抵は残ってしまう。人が触れた子猫に二度と親猫は近付かない。生まれたての子猫を育てる事は難しい。毎年繰り返される恒例行事だ。

今年の子猫はトラクターの前に産み落とされた。1匹はトラクターに轢かれて死んだ。残った4匹を教諭は仕方無く死んだ子猫と一緒に埋めた・・・。農業において苗を踏み荒らす野良猫は「害獣」である。

鎖に繋がれていない猫は勝手にどこかで交尾をして勝手に子供を産む。飼い猫であっても、望まれずに生まれた子猫の処分は、昔は庭に埋めた。今でも田舎では埋めるか、川に流す事も多い様だ。

野良猫の場合は4匹5匹の子猫が生まれても半分も育たない。育ちの悪い子猫は親猫が食べる。他の子猫も、オス猫に食べられたり、カラスに襲われて死ぬ場合が多い。以前、空から血だらけの子猫が落ちて来てビックリした事があるが、上を見たら電柱の上にカラスが居た。カラスは直ぐに落した子猫を咥えて飛び去って行った。

運よく成長した子猫も縄張り争いで怪我をする事も多い。さらに何故だか猫は車に轢かれ易い。先日もゴミを出していたら、目の前で猫が轢かれた・・・。頭を潰された猫は30秒程悶絶して息絶えた。小学校の頃は死んだ猫を友人と何度か埋めた事も有るが、現代では埋める場所も無い・・・。朝で急いでいた事もあって心の中で手を合わせて立ち去った。家内に話したら、「あんた、そのままにしといたの?」と責められた。「私だったらゴミ袋に入れてあげるよ」と言った。猫は本当に可哀そうな動物だと思った。

今回の事件、世間では「命の大切さを教える学校で起きてはいけない事」と評されている。動物愛護法違反で警察も捜査していると言う。

一方、育てられない子猫を埋めて処分するのは日本の習慣でも有る。田舎でこの様に飼い猫の子を処分したら動物愛護法に触れるのだろか?

今回の野良猫の子も、親は育児放棄しているらしい。当然、数日で衰弱死する。衰弱死と生き埋めと、どちらが苦しむ事が少ないだろうか・・・私には分からない。ただ、昔の日本人の感覚であれば、「可哀そうだから埋めてあげる」という選択肢も普通に存在したであろう。

動物愛護が叫ばれて久しい。今回のケースは穴を掘らされた生徒の親が学校と教育委員会に報告して発覚したらしい。この親は「望まれない子猫の処分の仕方」を知らなかったのだろう。何故保健所に連絡しないのかと疑問を持つのも当然かと思う。ただ、保健所に引き取られても野良猫を待っているのは二酸化炭素による窒息死と言う「殺処分」だ。その後は焼却処理が待っている。手厚く土に埋められ自然に返るのとどちらが幸せ私には分からない・・・。

高校教諭が子猫を埋めた行為は、ある意味日本の習慣に則っている。ただ、それを知らない人達は報道を見て彼を「サイコな異常者」の様に感じてしまう。いや、ワイドショーなどは、センセーショナルに報道してそう仕向けている。本来ならば報道機関は「子猫を埋める事が一昔前の日本では当たり前の習慣であった事」も報じるべきなのでは無いか。

高校教諭には家族もいるであろう。彼と家族の幸せな生活は当分回復はしないであろう。下手をすれば教師を辞めざるを得ないかも知れない。

動物愛護、そして人権・・・。どうも一人の教師の人生よりも、野良猫の命の方が日本人には大切な様だ。そこ事の方が私には恐ろしく感じる・・・。



ちなみに私は生物が好きだ。中学時代は生物部に所属していた。そんな私でも常識が付いててからは野良猫にエサをやる事はしない。彼らは都会に生きる野生生物だと思っている。その行動を観察するのは楽しい。

「交換したい」「増やしたい」という本能が支える「お金」

2015-03-24 04:17:00 | 時事/金融危機
 

■ 「お金」という共同幻想 ■

現代における「お金」は単なる「紙切れ」です。しかし、「お金」のパワーは絶大で、人々は「お金」を欲するが故に努力を惜しみません。

東京駅のホームから林立する新築の高層ビルを眺めながら思ったのですが、このビル群も「お金」の力が無ければ存在しない。もし、世の中に「お金」が無かったら、人々は自給自足のムラ社会を現在も続けていた事でしょう。

「貨幣」の歴史は「交換」の歴史に始まります。「交換」は自分の「余剰」を他人の「余剰」と「交換」する行為です。この行為自体は「必要性」から行われるもので実利的です。

一方、本によれば「交換」は人間に備わった「本能」の一つでもある様です。村の外れに供え物をすると、ある日、別の物に変わっている・・・古代の人々は「神様が供え物を受け取って、代わりの物を与えた」と考えていた様ですが、実際には隣の村の人達が同じ様に供え物をして、元々置かれていた隣村の供え物を神様からの贈り物として持って帰っていただけ・・・ただ、自然崇拝の時代には、神さまとの「交換」は重要な意味を持っていた様です。(これは現代にも受け継がれています)

また、「交換」は「他者の所有物を欲しい」という本能に由来した行為なのかも知れません。

「お金」はこの様な人間の本質的な欲求を満たすツールとしては便利な存在です。近代まではお金は「物の交換」を仲介するツールでした。しかし、「お金」には「富をストック」する機能も備わっているために、「お金を集める事」が目的化します。

本来は自分の生活に必要な物を買う分だけ有れば良い「お金」を人々は貯め始めます。「お金を貯める」事に快楽を覚えるのは、これも人間に備わった「本能」なのかも知れません。飢餓に備えて食べ物を貯蔵するという「本能」が「お金を貯蔵する」という本能に置き換わったのでしょう。

実は現在の通貨の価値は人々の「お金を増やしたい」「お金を貯蔵したい」という「本能」に支えられtえいます。そして、「お金を増やしたい」という思いが「投資」に繋がり、資金が集まる事で、巨大なビルが建造されます。そして、ビルを建築している作業員達の欲望も「お金を稼ぎたい」という思いです。

この様に考えると現代の社会は「お金に価値が有る」という「共同幻想」によって支えられているとも言えます。

■ 「紙のお金」の神性は喪失するのか? ■

「拝金主義」の現代において、「紙のお金」は「神」にも匹敵する存在となっています。宗教の神が人々の共同幻想の上に成り立っているのと同様に、「紙のお金」の価値も人々の共同幻想の上に成り立っています。では、「お金の神性」は失われる事は無いのでしょうか?

「宗教」において「神」の信頼が揺らぐのは、「神が人々の望みを叶えられない」場合です。ですから多くの宗教を「現世利益」を保証せず「死後の利益」という立証不可能な利益を保証する事で「信頼」を保って来ました。

一方「お金」は「現世利益を生むもの」としては神をも凌ぐ力を持っています。

裏を返せば「現世利益を生まなくなった」時、お金に対する共同幻想は消失します。

具体的には「お金で買える物が減った」り「お金で買える物が無くなった」時、人々は「通貨に対する信仰」を失い、「通貨の信用」も失われます。

■ インフレは通貨の信用喪失 ■

リフレ派が正義とする「インフレ」ですが、これは「お金の価値をゆるやかに失わせる」政策です。「お金の価値が将来的に減るならば、今物を買ったり設備投資した方が儲かる」という「期待」に働きかける政策です。

リフレ政策は「通貨価値を毀損する事で、お金を増やしたいという期待を作る」という矛盾を内包しているので、根本的に機能しない政策なのかも知れません。




鳩山由紀夫氏のクリミア訪問・・・陰謀論的には奥が深い

2015-03-17 04:30:00 | 時事/金融危機
 


■ 明治維新とフリーメイソン ■

先ずのこ動画を見て欲しい。



元閣僚である鳩山邦夫氏のTV出演時の発言ですが、世間的にはNGワードの『フリーメーソン』と鳩山家の関係、さらには坂本龍馬や明治政府の関係を、こうもアカラサマに語ってしまって良いのでしょうか・・・。鳩山由紀夫氏と邦夫氏の兄弟は色々と脇が甘いと言うか。

ただ、シンガポールに行くと街の中心にフリーメーソン会館が観光名所として存在し、建物の前には観光用の看板まで出ています。日本では「フリーメイソン」と言っただでで、頭のネジの緩んだ陰謀論者のレッテルを貼られますが、国が変わればロータリークラブやライオンズクラブの様に世間一般の人達が知る存在なのです。

■ フリーメイソンとイルミナティー ■

フリーメイソンは元々はヨロッパの「石工組合」からスタートします。築城に欠かせない石工達は、国境を越えて仕事をしていましたが、当時のヨーロッパは治安も悪く、現金を持って旅をするのは危険でした。そこで、石工達は組合にお金を預けて、その証書を持って他の国に行き、石工組合に証書を提出して現金に換えていました。要は現在の銀行預金システムに似た方法を採用していたのです。

このシステムが便利なので、国境を越えて活動する人達の間にフリーメーソンに加入する人達が増えて行きます。モーツアルトがフリーメーソンであった事は有名ですが、音楽家も国境を越えて活動する職業だったのでフリーメーソンに入る必要があったのです。

こうして規模を拡大したフリーメイソンは次第に貴族や名士の多くが名を連ねる様になっていったと言われています。要は現代のロータリークラブの様なもの変わったのです。名士の集いに入会すれば、その人脈から仕事も広がります。こうして、フリーイソンの会員に成る事は一種の名誉になったと思われます。

一方、フリーメイソンと並んで陰謀論で人気の在るイルミナティーはロスチャイルドの作った組織です。イルミナティーについては「イルミナティの歴史」というホームペイジに詳しく書かれています。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_iluminatyco_history.htm

以下はそちらから引用させていただきます。(抜粋、要約)

1776.5.1日、改宗ユダヤ人にしてイエズス会士にしてインゴシュタット大学法学部長アダム・ヴァイスハウプト(1748~1811、当時26歳)が、ドイツのバヴァリアで、秘密組織イルミナティ(Illuminati)を創設します。彼は超エリートによる世界統一政府を構想し、暴力革命や陰謀、策略を巧妙に活用して現存する国家のすべての廃絶を主張し始めた。 急進的な社会改革思想を持ち、徹底した自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を唱え、ユダヤ王を世界の中心とする原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張しそうです。

彼の後ろ盾はロスチャイルド1世ら13人のユダヤ人の大物達だったと言われています。彼らの目的は、「フリーメーソンに代わるより生硬な」ユダヤ・シオニズムによる世界征服と、その手段としての世界革命綱領と、それを実行する事」だった様です。

ヴァイスハウプトのイルミナティーは次第に支持者を増やして行きますが、その多くがフリーメーソン会員でもあったので、イルミナティーはフリーメーソンの中に次第に浸透します。

1787年、ヴァイスハウプトは、「イルミナティ結社の原著作集」と題する著作を発表し、イルミナティ結社のねらいと目的を明らかにします。 基本的に集産主義、社会主義、宗教の撲減、すべての政府の転覆、個人財産権の廃止を呼びかけます。当然、専制君主を打倒したフランス革命でイルミナティーの活動家達の与えた影響は小さくありません。

彼の思想の広がりは国家に対する脅威と成る為に、次第にイルミナティーへの弾圧も強まって行きます。1785年、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令が下され結社が禁止されます。この弾圧によってイルミナテイーの活動は秘密性を深めて行きます。

様々なスキャンダル工作がイルミナティーに対して行われ、「悪魔崇拝」などというレッテルが貼られて行きます。ヴァイスハウプトは晩年、南アフリカに移住して活動を続けた様です。

この様に、18世紀に誕生したイルミナティーは一時勢力を拡大し、大っぴらに活動していましたが、専制君主らの弾圧で表舞台からは消えて行きます。ただ、彼らの思想が市民革命を先導する形で専制君主らが打倒され、「市民(資本香)」達が支配する世界が次第に出来上がります。

米国で、イルミナティの陰謀についてもっとも激しく言及したのは、「赤狩り」で悪名高いジョセフ・R・マッカーシー上院議員であった。マッカーシーは議会で次のように演説している。

 「イルミナティがアメリカ合衆国に存在し、何年間も存続しつづけてきたという完全、かつ疑う余地のない証拠を握っている。諸君、私の手許にイルミナティの幹部ならびに団員の氏名、年齢、生誕地、職業などを記入した本物のリストがある」。

この後、マッカシーは議会を追われます。



この様に現代においては「頭の緩んだ陰謀論」扱いされるイルミナティですが、歴史的には大きな影響力を持っており、戦後のアメリカにおいて議会でその存在が指摘され、ビルダーバーグ会議などの存在も警戒されていたのです。

■ ルーピー鳩山は平和の使者? ■

鳩山由紀夫氏がクリミアを訪問して問題となっていますが、この問題は鳩山由紀夫氏の個人的な行動では無く、背後に世界の経営者の思惑を妄想する事も出来ます。

そもそも対米従属する現在の日本で、今回の鳩山氏の行動はあまりにも常軌を逸しており普通の政治家であれば政治生命どころか生物学的な生命の危険にさらされても不思議では無い行動です。

鳩山氏が自由に振る舞える背景には、現在の日本の支配者に対抗する後ろ盾の存在が有るからでは無いか・・・そう妄想をたくましくしてしまいます。

今回のクリミア訪問には大物右翼活動家の一水会のリーダー木村三浩氏も同行しており、ビザの発給はロシア政府が行うなど、大きなネットワークの存在が薄らと見えています。

■ 欧州寡占勢力 VS 米国寡占勢力 ? ■

最近、メルケル首相が来日したり、ウィリアム王子が日本と中国を訪問したり、イギリスが中国が主導するアジアインフラ投資銀行に参加を表明したりと、欧州とアジアの間の関係に変化をもたらしそうな出来事がありました。

陰謀論的にあは「欧州寡占勢力=ロスチャイルド=金融支配勢力」と「米国寡占勢力=ロックフェラー=軍産複合体」の対立が有るとされてきました。

しかし、私はこの二極対立構造というのはある意味情報操作の一つだと思っています。実際には「世界の経営者」はもっと複雑な関係でゴチャゴチャしており、彼らが集う場は存在しても、彼らが一糸乱れぬ連携で行動するのでは無く、それぞれの利害の対立が有りながらも、全体としてのアジェンダを遂行しているのでは無いかと妄想しています。

ウクライナ問題を利用してロシアとヨーロッパを分断しようとする米国寡占戦力に対して、欧州寡占勢力が何やら裏で動き出した・・・・鳩山氏の突然のクリミア訪問は、陰謀論者にとっては大変な「ご馳走」に感じられます。


見事なタイミングで鳩山邦夫氏の政治資金問題が表面化しています。米国寡占勢力からの牽制では無いか・・・。



妄想し始めるときりが有りませんが、日本のメディアも世界のメディアも「鳩山由紀夫氏は「変人」だから仕方が無い」というレテル貼りで、今回の件の裏に有る問題を見えなくする事に余念が有りません。