人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

武田先生が池田信夫になった・・・これって、放射線にも言える事でしょう

2012-04-28 09:41:00 | 福島原発事故
 


■ 武田先生が池田信夫先生と同じ事を言っている ■

本日の武田先生のブログを全文引用させていただきます。

<全文引用>

タバコと健康をゆっくり考える(新しい1) 数字と論理










今回は、「肺がんの原因はタバコである」ということは、イコール、「タバコを吸うと肺がんになる」といえるのか、それを「ゆっくり」と考えてみます。
1960年頃、成人男性の総人口が5000万人、喫煙者は4000万人、肺がん死数は2000人でした。ここではとても難しいタバコの問題を一つずつ考えていくために、急がず、数字と論理の問題から取り組んで行きたいと思います。まず、5000万人では集団の数があまりに数が多くて実感がでないので、同じ比率で少し小さい集団を考えてみます。つまり人口5万人の市で、喫煙者が4万人、肺がん死2名だったと考えてみます(全部1000分の1)。



まず、この市で肺がんで死んだ人は70才で2人ともスモーカーだったのですが、ほぼ平均寿命とします(タバコを吸っている人が肺がんで亡くなる時期がどうかという問題は全体の論旨に影響を及ぼさないので、このまま整理を続けます)。喫煙者が4万人もいるのに、肺がんで死んだ人(肺がんは致死率が高いので肺がん死と肺がんはほぼ同じだった)はたったの2人。後の39998人は元気か、あるいは他の病気で死んでいることになります。



でも、ここでやや難しいことを説明しなければなりません。それは「事故による死亡」の場合は全人口を対象とし、平均年齢近くで死亡するときには「死亡した原因」で整理するということです。
たとえば、交通事故で亡くなる人は年齢によらないので、交通事故死が1万人の時には、全人口1億人に対して事故確率1万分の1とします。日常的な生活をしている時に交通事故にあう可能性は1万分の1ということです。
交通事故死の確率は小さいように思いますが、そうでもありません。人間は約100年生存しますから、毎年100分の1の確率なら、生涯に100分の1になるので、100人に一人が交通事故で不慮の死を遂げるということになります。



タバコを吸って肺がんで死亡するのは「病死」なのでしょうか? 「不慮の死」なのでしょうか? それによって若干取り扱いが変わります。つまり「タバコを吸うと肺がんになる」という表現は、「タバコを吸うと若くして肺がんになることがある」ということなのか、「タバコを吸っていても平均寿命付近で死ぬが、その原因が肺がんの場合が多い」ということなのかで変わるからです。



もし、「肺がんの原因はタバコであり、早く死ぬことが多い」とすると、タバコを吸っていた40000人のうち、39998人が肺がんにならず、2人だけ肺がんになったのですから、「タバコを吸うと肺がんになる」と言うのはかなり大げさで事実を表していないことになります。



次に、タバコを吸ってもあまり平均寿命はかわらないので、「死んだ人の死因の一つ」と考えると、タバコを吸っている人で死んだ方は400人程度で、そのうち2人が肺がんで死んだということになります。



・・・・・・・・・
ここまででまとめてみましょう(タバコも交通事故と同じ不運が起こるとすると)。
タバコでその年に肺がんで亡くなる人  20000人中1人
交通事故でその年に亡くなる人     10000人中1人
・・・・・・・・・
そうすると次の言い方は誠意ある言い方でしょうか?
タバコを吸うと肺がんになるからタバコを吸ってはいけません
外に出たら交通事故に遭うから外に出てはいけません
・・・・・・・・・
また「原因」を表現すると、
肺がんで死ぬ人の原因はタバコです
交通事故で死ぬ人の原因は外出です
・・・・・・・・・
結局、論理的には、
タバコを吸ったから肺がんになるとはいえません。
外出したから交通事故に遭うとはいえません
・・・・・・・・・



「外出しなければ交通事故に遭わない」(タバコを吸わなければ肺がんになりにくい)は良いのですが、「だから外出してはいけない」(だからタバコを吸ってはいけない)という表現はこのような整理をする限り不適切であることがわかります。また「交通事故の原因は外出だ」(肺がんの原因はタバコだ)は良いのですが、「外出すると交通事故に遭う」(タバコを吸うと肺がんになる)も不適切です。

タバコについて、かなり整理が進んだと思いますが、「人間にとって外出も大切だから、交通事故に注意しよう」と言うぐらいが適切とすると、タバコも同じぐらいの確率ですから「気分転換にタバコも良いが、吸い過ぎには注意しよう」ぐらいが妥当と言うことになります。


「tabacco21tdyno.69-(9:10).mp3」をダウンロード

(平成24年4月28日)


<引用終わり>



タバコを放射線に置き換えてみてください。


この論法は、池田信夫先生が原発事故以来ずっと引き合いに出してきた事です。

論理思考の収束点は結局同じなのですが、
武田先生はその事をご存知でありながら、
「放射線は危険」と主張されています。

そろそろ、自己崩壊の予感・・・・、

作画崩壊・・・国内雇用問題をオタク視点で眺める

2012-04-28 08:04:00 | 時事/金融危機
 




■ アニメネタではありません ■

先日の記事、「日本の需給ギャップはどうして埋まらないのか?・・・日本は世界のトップランナーなのでは?」には、沢山の方からコメントを頂きました。ありがとうございます。
記事を拝借した、「ひろ」さんからもコメント頂き、感激しています。
http://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/20120425/archive

さて、いきなり「ヘタクソ」なガンダムの絵が出てきて、
今日はアニメネタかと思われたでしょうが、
前述の記事のコメント欄に幾つか「規制緩和が現在の受給ギャップを生み出したのでは?」
というご意見を頂いておりますので、それについて考察してみたいと思います。

冒頭のガンダムの意味は、読んでいただくと分かると思います。

■ 「規制緩和」は善か悪か? ■

規制緩和には良い面と悪い面があると思います。

「自由競争」を促す事で「弱肉強食」の世界が出現するわけですから、
当然、体力の弱い個人や中小企業が犠牲になります。
「大店法改正」などがその顕著な例でしょう。

グローバル化が進む世界では、大企業の競争相手は国内よりも国外の企業になります。
ソニーとアップルの命運を分けたのは、音楽ソフトの配信に対する考え方ですが、
法律のグレーゾーンにあえて足を踏み入れたアップルが圧勝する結果となりました。
規制は往々にして古い技術や商習慣を温存する役目も果たしており、
新たなビジネスの芽を摘む効果を持つ事もあります。

■ 日本のアニメ産業は「保護」もされなかったけれど、「規制」もされなかった ■

例えば、日本のアニメがどうして面白いのかと言えば、「規制が緩いから」でしょう。

アメリカの子供向けの放送コードに日本のアニメはことごとく抵触します。
しかす、ある程度「自由」が許された環境で、政府の保護など無い「極貧」の環境の中から、
圧倒的な国際競争力を持った作品が次々に誕生しています。

アニメの世界では80年代に既に、韓国への作業の外注が始まり、
国内のアニメーター達の低賃金化が始まっています。
これは同一労働同一賃金の法則に従えば当たりませんの結果で、
現在の日本の製造業の労働者は同じ問題に直面しています。

アニメ業界の特異な所は。「低賃金でも働きたい若者」に支えられてきた事です。
彼らは「夢」を喰って生きていたとも言えますが、
政府がアニメ業界など無視して保護せず、その一方で規制も掛けなかった為、
現在の状況が実現しました。

現在のアニメの製作体制は、話題性もあり収益が期待される作品は国内で製作され、
普通の作品は韓国や中国に作業の大部分が外注されているのでは無いでしょうか。

その為、「作画崩壊」などという非常にクオリティーの低い作品が出来る事もありますが、
作品の魅力はストーリーや世界観、そして脚本にあるので、
多少の作画わ悪くても作品が面白ければ受け入れられてヒットします。
国内の労力は「どうしたら面白くなるか」というコンテンツの根幹の部分に集約されます。

冒頭の画像は、世紀の名作「機動戦士ガンダム」の本放送に一シーンです。
「作画崩壊」の典型的例として良く引き合いに出されますが、
この当時、サンライズは政策が間に合わずに、(多分、安彦氏の入院も重なり)
こんなクオリティーの低い映像を放映してしまいました。
しかし、ガンダムを語る時、作画に拘る人は居ません。

オリジナルガンダムの中で、異彩を放っている「ククルス・ドアンの島」という一話があります。
ザクを駆るジオン兵ドアンが、戦闘中に子供達の親を殺してしまい、
彼は贖罪の為に無人島で子供達を育てながらジオンの追っ手と戦い続けるという話です。

比較的シリアスなオリジナルガンダムの中にあって、
少し肌合いの異なる「ドアンの島」は評価も両極端に分かれていますが、
実は、この「ドアンの島」の作画は相当酷い。
しかし、ファンはそんな事はお構い無く、作品の内容の議論をヒートアップさせます。

アニメにおいてはテクニック(技術)よりもコンテンツ(ソフト)が優位なのです。

■ 作画崩壊を逆手に取った演出 「鉄腕バーディー」 ■



上の動画は「ゆうきまさみ」の「鉄腕バーディー」のアニメのある1話です。
完全に作画崩壊している様に見えるでしょう。

実は、これは作為的な演出の様です。
良く見ると、絵が動きまくっています。
それも、とてつもないクオリティーの動き方です。

しかし、これを細かく書き込んで、週1放送にアニメで放映することは
スケジュール的にも、予算的にも不可能です。

ですから、こんなデフォルメした簡略化した作画になったのでしょう。
当然視聴者はこれを「作画崩壊」と判断します。
そして、「DVDになる時に修正されるだろうから、DVDを買わなくちゃ・・・」となる。

こんなアバンギャルドな事が許される(ファンが許したかどうかは不明)程に、
日本のアニメは既製の概念から遠い地平まで到達しています。

「エウレカセブン」のサッカー回、「アクエリオン」でも同様な意欲的な作画崩壊が見られ、
当然、製作サイドにスケジュールと予算の問題があって発生する作画崩壊を、
イベント回のストーリー的面白さに昇華したり、
夢の中の話という設定にして、作画崩壊を物語の展開に意欲的に取り込むなど、
規制からも、既製からも開放されたアニメという世界の生命力には脱帽するしかありません。

その最たる例が、TV版「エヴァンゲリオン」の最終話なのでしょう。

■ アップルはアメリカの雇用を生み出していないが、経済には貢献している ■

話を既製緩和に戻します。

日本では既製緩和で業界が淘汰され、自由競争の結果、雇用が海外に流失すると心配されています。
アメリカの産業の状況が、この事実を裏付けています。

アップルはアメリカの企業です。
その製品の多くは、中国の工場で、
自殺者を多く出るという過酷な労働条件の上で製造されています。
アップルの製品は「メイドイン・ジャイナ」である事は皆さん周知の事実だと思います。

一方でアメリカの株価は、アップルやFacebookの株価に左右されています。
これらの企業の高収益や評価が、アメリカの株価を牽引し
世界からの投資を呼び込んでいます。

アメリカの株価はアップルの高収益に一喜一憂していますが、
アップルの製品は中国の工場から出荷されますから、
アメリカの雇用に寄与する率は低くなります。
アメリカにおけるアップルの従業員の労働は、
より魅力的な製品やコンテンツを作る事に集約されています。

この点について、アメリカ国内でアップルを非難する人は居ません。
これが日本ならば、「製造業の海外流出」として問題視されるのでしょう。

■ 「雇用」を守って「企業戦争」に負ける ■

確かに「製造業の開学流出」で、「外需」と「雇用」が消失するのですから、
悪影響が無い訳ではありませんが、
これらを守った結果、企業の国際競争力が奪われ、
結果的に工場閉鎖などで雇用と外需は失われてゆきます。

ソニーの株価は低迷しており、優秀な技術者の流出も止まりません。
あるボーダーを越えると、ソニーは全く魅力の無い企業になり、
外資に買収されるなどの末路を迎える事になります。

■ 内需産業も安い労働コスト無しには成り立たない ■

建築業や国内の物流、小売業など、海外に流出しようの無い産業は
比較的規制によって国内秩序が保たれます。

しかし、小さくなるパイを奪い合う為に、その労働力の多くが外国人に置き換わっています。

日本の若者は低賃金の労働を嫌うので、
結局、この様な労働市場の雇用を外国人に奪われています。
これも労働の国債化の一面だと思われ、同一労働は賃金に収束して行きます。

日本のGDPの縮小は、贅沢な消費の縮小と、中間階級の転落という二面から進行しておいます。

労働賃金は上方硬直性を持っていますので、
景気が回復しても一度下がった賃金が上昇するまでには時間が掛かります。
多分、現在の日本で労働力の需要が高まれば、
その需要を満たすのは外国人労働者になると思われます。

■ 労働市場の変化を認めたくない国民 ■

問題は現在の若者の多くが、この労働環境の変化を受け入れられないことで、
大学さえ出れば好きな職業に就職できると勘違いしている事です。

本来大学教育を必要とされるのは3割程度というのがヨーロッパなどの常識で、
共通試験で一定の学力に達しなければ、受験資格も得られません。

グローバリゼーションは過度に進行した為に、その悪い面が噴出していますが、
遅かれ早かれ世界は均質化していく訳で、その中で競争力を維持する事は、
「日本の多くの人が世界標準並みに貧困化」するという事実を、
そろそろ日本人は認めなければいけないのでは無いかと思います。

「世界標準の貧しさ」の中で、「精神的な豊かさ」を得られるかどうかが、
これからの多くの人に求められる事では無いでしょうか。
これは「大量消費社会」の価値観の延長線上には存在しない事だけは確です。

■ 夢と誇りと充実感、そして生きて行くための最低限の保障 ■

アニメ産業は多くの月5万で長時間働く様な若者の労働によって支えられています。
彼らの多くは、その過酷な労働に耐えられずに、
夢半ばにして、その仕事を離れてゆきます。

都会で月5万では、アパート代にもなりません。

ところが、考えてみればアニメのスタジオが都会にある必要はありません。
ネットの環境があれば、田舎でも成り立つ職種の一つです。

多分、今後、多くのアニメスタジオがコストの安い地方に拠点を移すでしょう。
半分、自給型の社会に上手く溶け込めば、
アニメ製作と精神的に豊かな暮らしが得られるかもしれません。

これは極端な例ですが、デザインは始め夢を食べるような職業は今後収益性は低下します。
建築設計業も、以前は花形の職業でしたが、最近は物件が減って生計が危ぶまれる職種です。

ヨーロッパでは1970年代以降、新しい建築が建たない時代が続きました。
多くの優秀な建築家達が、「アンビルト・アーキテクツ」と呼ばれる、
建築予定の無い、架空の建築のデザインなどをしていました。

現在、ヨーロッパの建築家達は、アジアの新興国で大活躍しています。
自国内だけに需要を求めていたのでは、仕事がありませんが、
ネット環境は、ヨーロッパに居ながらにして、アジアの物件の設計を可能にしました。

■ 日本の国内の仕事を奪うTPP ■

農業ばかりが注目を浴びますが、
TPPの真の目的は、弁護士や会計士、医療、建築設計などの国内資格に守られた業界で、
海外の資格がそのまま通用する様にする事だと私は見ています。

日本人はアメリカばかりに目を奪われますが、
アジアの新興国の多くの若者が、海外留学して海外で就職し、
知識とスキルと語学を学んでいます。

アジアの国々は、英語が堪能な国が多いので、
日本よりも語学的障壁が低く、既にグローバル化した存在です。
その様な、国際化した労働力が流入してくるのがTPPです。

■ 日本語という最大の非関税障壁にしがみ付いて滅びる日本 ■

日本の英語境域が成果を挙げないのは、
文部科学省に「その気」が全く無いからです。

少なくとも、大学の授業を英語で行えば、
それなりの英語力は卒業するまでに身に付きます。

しかし、日本語こそが日本の雇用と市場を守っているので、
文部科学省は、英語教育に本腰を入れる事はありません。

多くの大学教授達も英語を話せないので、
授業が英語化すれば、失職する教授が沢山出てきます。
その穴を、外国人で生めれば生の英語が学べて一挙両得ですが、
このような規制緩和を日本が選択する事はありません。

結局、日本は日本語がある限り、ソフトな鎖国が可能ですが、
それは同時に、ビジネスチャンスの喪失にもつながります。

確かにアメリカのサービス業が本腰を入れて日本に上陸したら、
日本の多くの人が失業するかも知れません。

一方で、今後、アニメ産業がハリウッドに匹敵する様なパワーを持ちうるならば、
規制と保護が、産業の国際成長力を奪う事を証明する事象になるかも知れません。

何でも極端は弊害は多いので、官僚は「緩やかな変化」を好みますが、
世界のスピードから日本は既に遅れ初めています。

■ 若い人は世界と現実に目を向けよう ■

「いつかは景気が回復する」という事が、儚い夢に過ぎない事に
日本の若者はそろそろ気付いています。
そして一部の若者は海外に目を向け、
多くの若者は、その事実から目を背けて、雇用機会を失ってゆきます。

これは「勝ち組」とか「負け組み」という様な問題では無く、
「戦略」の問題です。

むしろ、大学など行かない学力の子供達の方が、
現実をしっかり見つめて、
高校卒業までに自分の将来に繋がる選択をしていう様に見えます。

偉そうな事を書いてきましたが、
最近、アジアの建築設計者達と仕事をしていて、
彼らの優秀さとバイタリティーに自分は負けていると実感する
オタクオヤジからの、若者へのエールだと思ってください。

最後に私の英語力ですが、・・・勉強が嫌いだったので・・・・。
でも、気合があれば、日本語8割の英語だって相手に通じます。
さすがに、ビジネスこれヤバイのですが・・・

(雑感記事なので誤字を修正していません。
 正しい文章を推測しながら読んで下さい・・・って、手抜き記事だぁーーー)

リビアとシリアは違う・・・だんだん見えてきた中東の枠組み

2012-04-26 08:07:00 | 時事/金融危機
 


■ 国連がシリアの停戦監視PKO部隊に自衛隊の派遣を要請 ■

国連はシリアのアサド政権と反政府勢力の間で交わされた停戦の監視の為に
PKO部隊を派遣し、日本の自衛隊にも覇権要請をした様です。

未だ予断を許さないとは言え、シリアの内紛はアサド政権の崩壊には至りませんでした。

中東で昨年から起きている独裁政権のドミノ倒しは、
どうやらシリアでひとまず小休止の様です。


■ 中国とロシアが支持するアサド政権 ■

シリアは中国とロシアが裏に居る国です。
ロシアはシリアの港を軍港として借り受けています。
アサド政権が崩壊すれば中ロの中東戦略に大きく影響を与える為、
中ロはアサド政権の暴走を防ぐと同時に、
国連では、アサド政権への制裁の動きを、徹底してけん制しました。

シリアのリビア化を目論んだ勢力の野望は失敗したと言えます。

■ イランとイラクが連携し始めた ■

中東でもう一つ大きな動きが報じられています。
イラクのマーリキ首相がイランを訪問し、アフマデネジャド大統領と会談しました。

イラクとイランはかつて戦争するなど犬猿の仲でした。
シーア派がイスラム革命を達成したイランは、
隣りのイラクにもイスラム革命を輸出しようとします。
国内の最大宗派がシーア派でありながら、
当時イラクの政権はスンニ派のフセインが握っていました。
フセインは国内シーア派が蜂起する事を恐れ、イランと戦争状態になります。

表向きの歴史は上記の様ですが、
実際には欧米の中東利権がイスラム革命に脅かされた事による代理戦争でした。
アメリカはイラクのフセインを支持します。

こんな過去のあるイラクの現政権はシーア派が握っています。
アメリカはフセインの核開発という「でっち上げ」までして戦端を開きますが、
その結果、イラクの民主化によって誕生したのはイランと親和性の高いシーア派政権でした。

アメリカ国民は「イラクの民主化」の為に国民の命を犠牲にしましたが、
その結果得たものは、イラクのアメリカ離れでした。

石油利権も中国の企業などが獲得しています。
但し、クルト人の支配する地域の石油利権はエクソンが獲得しています。
クルト人はイラク政権から迫害されているので、
アメリカに石油利権を渡す事で、身の保全を図っているのです。

何れにしても中東の大国イランとイラクが連携する意味は小さくありません。

■ イランの後ろにも中国とロシアが居る ■

イランは中国とロシアとの関係が良好です。
「敵の敵は味方」は世界の常識ですが、
地政学的にもユーラシア大陸の大国の中国とロシアとイランは同じグループとも言えます。

中国とロシアは「上海協力機構」という、
かつての「ワルシャワ条約機構」に似た軍事協力体制を構築しています。

「上海協力機構」は2001年に発足し、加盟国は6カ国です。
中華人民共和国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン

それに準加盟国が2005年に追加されています。
インド、イラン、パキスタン。

「上海協力機構(SCO)」はアジア大陸における巨大勢力になっているのです。
そして、そこにイランやパキスタンが加わっている事は、
今後の中東情勢を読み解く上で、非常に重要なポイントだと思います。



アフガニスタンからNATOが撤退すれば、アフガニスタン「上海協力機構」に加わるはずです。

さらに現在、イエメン、バーレーンのシーア派が反旗を翻しています。
これらの国の後ろで糸を引くのはイランです。
パレスチナのハマス、レバノンのヒズボラもイランとシリアが支援しています。

■ サウジアラビアの憂鬱 ■

気付いてみれば中東はイランとその背後に居る中国、ロシアの支配地と化しています。
そして、現在シーア派の蜂起を最も恐れているのがサウジアラビアです。

サウジアラビア東部の油田地帯はシーア派の地域です。
サウジアラビア王家は、イスラム教の中でも少数派で戒律の厳しいワハーブ派です。
シーア派はこの事に不満を抱いています。

サウジアラビアのすぐ隣りの洋上の小国バーレーンでは、
現在シーア派が蜂起して、暴動が頻発しています。
サウジアラビアは軍を派遣するなど、その鎮圧に当たっていますが、
ここでシーア派をサウジ軍が過剰に攻撃すると、サウジ国内のシーア派を刺激します。

もし油田地帯のシーアは分離独立を訴えて蜂起すると、
サウジアラビアは国富の源である油田を失う事になります。

サウジアラビア王家は国王が臨死の病床にあり、
国民の支持が高かった皇太子(国王の弟)も先日死去しています。
王家の世代交代という不安定な時期に、
王家ははシーア派を抑えて行かなければなりません。

■ イスラエルが大人しくなった・・・ ■

この様な四面楚歌の状況にあって、
イスラエルは中東のバランスを一気に撒き戻す為に
イランとの戦争にアメリカを巻き込む必要がありました。

ですから、米国内の軍産複合体と共謀してイランの核開発疑惑を演出していましたが、
アメリカが一向にこの計画に積極的ではありません。

巨額な財政赤字を抱えるアメリカが、中東で大規模な戦争を遂行する事は自殺行為です。
ですから、アメリカはイスラエルの抱きつき心中に巻き込まれないように、
徐々に中東から身を引いています。

アメリカの国防省も、イランを牽制する姿勢を見せる一方で、
イスラエルの暴走を諫めてています。

最近はイスラエルの過激な発言も減ってきています。
このまま行けば、イスラエルは中東の小国になってゆきます。

但し、イスラエルが核兵器を保有している事実に変わりは無く、
今後はパキスタンやイランの核兵器が、イスラエルとの均衡を保つ役割を果たすのでしょう。

北朝鮮やパキスタンなど近年核兵器を「持たされた」国は、
世界のパワーバランスの新たなキーポイントに位置しています。

要は、それらの国の影響圏で、新たな世界のボーダーが引かれるのでしょう。
中東の線引きが明確になる一方で、アジアでも中国との間に明確な線が引かれつつあります。

リーマンショックから5年が経ち、世界の新たな姿が徐々に見えて来ました。

日本の需給ギャップはどうして埋まらないのか?・・・日本は世界のトップランナーなのでは?

2012-04-25 09:35:00 | 時事/金融危機
■ 「ひろのひとりごと」さんにはいつも脱帽だ ■

「ひろのひとりごと」さんは、経済の常識にデータで疑問を投げかける優れたブログです。
http://ameblo.jp/hirohitorigoto/

私はこちらを拝読する度に、陰謀論に満ちた自分のブログを反省します。
実は「人力でGO」理論なんて、後付のいい加減なもので、
多くは、私が感じた「時代の臭い」や「皮膚感覚」の様な物を、
自分なりに納得できる妄想で、再構築したに過ぎないブログです。

但し、私は自分なりに自分の「勘」を信じています。
何かに「不自然さ」を感じるならば、そこには然るべき原因が隠されていると考えます。

それでも、「勘」に頼ると袋小路に迷い込み易いので、
私は「ひろのひとりごと」さんを読んで、常識をチャージしています。

■ デフレの原因はグローバリゼーションか、国内の需給ギャップか ■

「ひろのひとりごと」さんの本日のテーマ、「よくあるデフレ肯定論」が興味深いので、
私なりに考察してみます。

「ひろ」さん、勝手に要約してみます。(すみません)

良くある「デフレ肯定論」の論旨は下記の通り。

・日本がデフレなのは新興国から安い耐久消費財が入ってきているから
・その証拠に財別の消費者物価指数を見ても耐久消費財の物価しか下がっていない
・よってデフレは国内の潜在供給力と需要のギャップ、「供給過剰」により引き起こされるのではない
・デフレは高品質な商品が買えるため消費者に有利である

それに対する「ひろ」さんの反論は

1) 耐久消費財意外も値下がりしている
2) 日本は消費者物価指数の上昇率がほぼゼロで推移している
3) 日本の輸入依存率は先進国の中でも低い
4) 新興国との賃金格差が縮小しているのに、日本だけデフレである

以上に鑑みて、デフレの原因は「需給給ギャップ」にある。

ここからは、今回の記事には書かれていませんが、
「ヒロ」さんの主張は、過去の記事から次の様なものだと思われます。

1) 政府がもと積極的に財政出動して、民間で不足する需要を補うべき
2) 政府の負債は民間の負債を肩代わりするものなので、民間の資産とも言える
3) 日本国債が短期的に破綻するとは考えられない。
4) 国債発行余力のある内に景気を回復させ、税収増によって財政を改善すべき

これらの主張は、データを背景に展開されており、非常に説得力を持っています。
興味を持たれた方は、是非ご一読を。

■ 「リフレ派」と「反リフレ派」は実は表裏一体 ■

「ひろ」さんと「池田信夫」氏の主張は根本的な所では同じだと私は解釈しています。
違いは「需要」を政府の財政出動によって作れるかどうかの見解が異なります。

「ひろ」さんは、「ある程度の需要を政府が作らなければ、景気回復の芽が出ない」と主張され、
「池田氏」は、「思い切った規制緩和をしなければ、民間活力は生まれてこない」と主張します。

これは両方とも正論で、不景気に際してはこの両方を適切に行う事が重要です。

「財政出動」はカンフルであり、決して効果が長続きするものではありません。
「公共事業」や「補助金」は民間の活力を奪う効果も持つので、
限度を超えて常用すると、麻薬の様に経済の基本体力を奪ってゆきます。

「減税」「規制緩和」は「新しい産業の芽」を育みますが、
その芽が成長するには時間が掛かります。
芽が成長するまで、経済が焼け野原にならない様に「財政」による庇護が必要です。

この様に、主張が相反する「リフレ派」と「反リフレ派」ですが
実は、その主張は時間軸の差があるだけだと私には思えます。

ただ、現在の日本において決して行ってはいけないのは「増税」という事は、
両者見解が一致していると思います。


■ 「不足する需要」は何処へ行ったのか? ■

それでは「需要」はいったい何処に行ってしまったのでしょう?

一般的に考えて「所得が減少」していて、かつ「将来に不安を感じている」のですから、
需要を喚起するのは難しいと思います。

それでも「需要」が旺盛な分野がある事を皆さんはご存知でしょうか?

この10年間、活発に投資が行われていたのは、教育と医療の分野です。

■ 医療費は年々増大している=需要が増えている ■

戦後に建てられた多くの病院は、施設の建て替え時期を迎えています。
超高齢化社会を迎えるに当たり、各病院は裕福な高齢者を囲い込む為に、
ホテルの様な病院を建設しています。

高齢者医療は1割り負担なので、消費の数字として現れて来ませんが、
これは医療費の増大として国の財政に付け替えられています。

■ 医療費の増加は、過剰医療の増加? ■

「医療費の増大を=高齢者の増加」とすり返る議論が盛んですが、
「医療費の増大=過剰な医療の増加」と私は考えています。

先日、父が大腿骨を骨折して入院したのですが、
転院したリハビリ病院を見て仰天しました。

まるで「ホテル」の様な内装の病院に、
車椅子に乗って、鼻からチューブで流動食を摂る老人が沢山詰まっていたのです。

私設は充実していますが、保健以外の診療も多く、
入院患者も多い事から、4人部屋はなかなか空きません。
当然、個室では個人負担が生じます。

一日2時間の理学療法(ただ散歩するだけ)を受ける為に、
数週間の入院を強要されます。

日本の資産は高齢者に集中していますが、
高齢者が「人並み」と感じる医療や介護を受ける為には、
確かに多額の資産を必要とします。

■ 労働生産性の低く、利潤率の低い医療 ■

医療は労働集約産業の最たるもので、そのコストの多くは人件費に消えて行きます。

医師の高給ばかりに目を奪われがちですが、
看護師や理学療法士や技師達の給料は、それ程高くはありません。
それでも、3交替で入院患者の世話をす為にはそれなりの人数を必要とします。

昔は6床などという病室が普通にありましたが、
現在は4床で大部屋。2床、1床という部屋も沢山あります。
看護に対する患者や家族の要求も高くなり、
病院は多くの患者へのサービスに労力を費やし、
労働生産性は低下してゆくのに、保険点数は減らされる一方です。

高齢者に向けられる彼らの労働は、決して再生産を意味しません。
高齢者は生産に携わりませんから、経済に寄与する率も低くなります。

医療介護の分野の労働者が増える事は、
国の豊かさや、経済成長には繋がらないのです。

一方、医療の現場で処方される高額な医薬品には、輸入薬品が少なくありません。
これらに支払われる代金は、日本の代理店を通して海外に流出して行きます。

■ 働き盛り世代の消費を抑制する「教育費」 ■


一方、働き盛りの世代では、本来住宅を購入したり、車を買い替えたりと、
耐久消費材の支出が多いはずです。

ところが、給料は下がる一方で、子供の教育費は増大しています。

子供が少なくなっているので、全体としては教育費は縮小傾向ですが、
首都圏では小学校から塾に通わせ、私立中学、私立高校、
そして私立大学に進学するケースが増えています。

高校から大学にストレートに上がらないケースもありますので、
私立高校に通いながら予備校にも通うケースは少なくありません。

子供一人の教育費は、優に2千万を超えているのではないかと思います。

■ 再生産に繋がらない教育費 ■

そうまでして大学を卒業しても、就職出来ない子供が増えています。
子供に対する投資は、実は利益率の非常に低い投資である事に、日本人の多くは気付いていません。

現在の若者は、所得が低いので都会では車どころか免許すら持っていません。
現在の若者は、消費にあまり寄与しいないのです。
(携帯電話に出費しているとも言われますが・・・)


■ 消費構造の変化が「需要」を減少させる ■

この様に、国はある程度豊かになると「物への消費」が減り、
「サービスへの消費」が増えて来ます。

「サービス業」は労働集約型の産業の最たるもので、
労働生産性は決して高くはありません。

国内の「サービス業」はソフトウェアーの様に外需を喚起するもので無ければ、
国内に富の蓄積をもたらしません。

■ 外需と内需 ■

「内需」と「外需」の大きな違いは、
「内需」は外貨の獲得に直接繋がりませんが、
「外需」は外貨の獲得に直結する事です。

例えば極端な例を取るならば、外需がほぼ存在しなかった江戸時代に
現在の日本の産業技術を移植したとします。

原料が無ければ工場は操業できず、
燃料が無ければ、畑を耕す事も出来ず、
結局GDPは江戸時代並みに逆戻りしてしまいます。

日本は「外需」の依存度が低いのでは無く、
「巨大な内需」を「巨大な外需」で支えているのです。
ですから比率としては「外需」が小さく見えますが、
農産物や資源などの輸出品目が無い日本から、
工業製品という「外需」を取り上げたら、
外貨を稼ぐ手段を失います。

高齢者医療や、教育などの産業が膨れ上がったところで、
お腹は膨れる事は無いのです。

但し、海外投資の利益としての所得収支は無視出来ません。
イギリスなどは、かつての覇権時代の投資のリータンで生き延びている国です。

しかし、日本は金融に弱い。
現在、老人達の資産が投資ファンドなどを通して海外運用されていますが、
金融危機が勃発すれば、これらの投資は巨大な損失を生み出します。

■ 基軸通貨が泉の如く湧き出さない限り、外需の蓄えはいずれは涸れる ■

「日本の需要をどこへ行ったのか」を問う時に、
「外需の減少が、内需に与える影響」を無視出来ません。

現在は所得収支の黒字が、この問題を見えにくくしていますが、
将来的に所得収支が減少してゆけば、内需はさらに縮小します。

日本とアメリカは巨大な内需国家ですが、
アメリカの内需は、ドルという打ち出の小槌に支えられ、
日本の内需は、輸出という巨大な外需に支えられています。

円がいくら溢れ出てくる泉を見つけたとしても、
ある均衡を越えてしまえば、円安が発生するだけです。
円が基軸通貨で無い以上、この事は歴史が裏付けている様に思えます。

■ 内需の拡大が豊かさに繋がるか? ■

人の手から、誰かの手にお金が渡れば、内需にカウントされます。
「君の笑顔が素敵だから1万円あげよう」というのも立派なサービス業です。

しかしそこには何ら「物質的生産」は伴いません。
「心は満たされます」が「お腹は膨らみません」。

一方、日本の1次産業の生産量は極めて限定的です。
これらは現物であり、リアルな価値を持っています。

さて、物質消費を伴わない「豊な暮らし」がはたして可能でしょうか?
これは、「満足のレベル」に関する問題です。

1) 生きていくのに最低限の物資を得る
2) そこそこ満足のゆく物資を得る
3) 所有や消費に優越感を持てる物資を得る

どれも同じ消費ですが、「需要の額」が異なります。
現在の日本から失われているのは「優越感を伴う消費」です。
これは、一言で言えば「ムダ」ですから、経済の縮小に伴って最初に消滅します。

さて、90年代バブルは「ムダ」の塊のような時代でした。
バブルを支えていたのは、際限ない景気拡大という「幻想」に支えられた「借金」です。

「借金」によて生み出された巨大な「税収」が、
地方に巨大公共投資を生み出し、地方経済も支えていました。

「バブル」が弾ければ、当然「ムダ」の部分が消失します。
それでも、現在の私達の生活は「そこそこ満足のいく」暮らしです。

■ 借金で実現した豊な暮らし ■

最近では失業が長期化して「最低限の生活」さえ危ぶまれる人が増えています。
これは、「格差の拡大」が原因とされています。

それに対して「市場原理主義者」は、
「富裕層が豊かになれば、貧しい人達の所得も増える」と主張します。
しかし、これはどうやら実現していない事は、アメリカを見ても明らかです。

多くの中間層が「少しのムダ」をする効果は、
一部の富裕層が「一生懸命ムダ遣い」をする効果に勝るのでしょう。

バブル時代の日本は国民がちょっとずつ借金をして、
一時の豊かさを謳歌したにすぎません。

■ バブル時代を基準にして需要を期待してはいけない ■

「需給ギャップ」を問題にする時に、「需要」の質は問われません。
日本人は「足ること」を知る国民ですから、
「バブル」を経験した後に、再び「ムダ」を謳歌する生活には戻りませ。

ですから、「借金をする様な過剰な需要」は生まれ難い状況です。

一方、純粋に富の増産と外需産業が不振な事から、
「過剰な所得」を国民が得る事も難しい状況です。

「需要」は、「高齢者医療」や「教育」などニッチな分野に存続してますが、
製造業の様な、生産性の高さや、産業のすそ野の広さは持っていません。

「需給ギャップ」が埋まらないのは当然とも言えます。

日本は、バブル後の時代を20年生きたという意味において
世界のトップランナーであり、
そして、崩壊を先延ばしする実績において、世界の優等生であり、
そして、過剰な需要が生まれ難い事を証明する、忌まわしき存在なのかも知れません。



本日も、根拠の無い駄文を書いてしまいました。
実際の自分は、「物欲の亡者」ですし、
お金さえあれば、「需要を無限大に生み出す」自信があります。

長々と書いてきて、結局足りないのは、お金なんだと実感しました。
ブログなんて書いてる暇があったら、稼いで、消費して、経済をぶん回せ!!

借り換えが続く限り崩壊しない市場・・・流動性の供給に限界はあるのか?

2012-04-24 04:57:00 | 時事/金融危機
 


■ 自転車操業の世界経済 ■

世界は借金漬けです。

それでも世界は崩壊せずにどうにか続いています。
何故でしょう?

答えは意外に簡単で、「借り換え」が出来ているからです。

借金には返済期限があります。
国債にも召還期限があります。

現在の世界は、ギリシャを例に取るまでも無く、
借金の支払い期日が来た時に、必要なお金を借り直して返済しています。
これを「自転車操業」と言います。

国債も償還期日がやって来ると、新たな国債を発行して召還資金を捻出します。
「ロールオーバー」などと格好の良い呼び方をしたりしますが、
要は、借金の返済を先延ばしにして、金利だけを払っている状態です。

■ 金利が低ければ「借り換え」は持続的 ■

この様な「自転車操業」が可能なのは「低金利」の恩恵です。

各国の中央銀行は量的緩和を実行していますから、
ほぼ金利はゼロに近い状態です。

アメリカにしても量的緩和(QE)の期待だけで株価が大きく変化しますが、
要は量的緩和による、「低利の資金供給」が無ければ世界の借金経済は崩壊するのです。

日本だけは、リーマンショック前から不景気で、
デリバティブ市場から取り残されていましたから痛みが少ないと言われますが、
オリンパス事件でも明らかな様に、バブルの精算が済んでいないので
新たな借金が積みあがらなかっただけの話です。

リーマンショック後、世界は民間の借金の多くを国に付け替えましたが、
日本ではバブル崩壊後の20年間で財政赤字を徐々にに膨らめています。
これは、民間お需要の低下を政府の借金で補った結果で、
民間の借金を政府部門が肩代わりした事と変わりありません。

GDP比200%の国債残高を誇る日本は、
世界のトップランナーと言っても過言では無いのです。

その日本が何故破綻しないかと言えば、「金利が低い」からです。

住宅ローンをお持ちの方の多くは、「低利で借り換え」をされています。
企業も同様に、「金利が低い」間は、どうにか生き延びていいます。

■ 金利は長期国債の金利に支配される ■

金利は国債金利に影響を受けます。

短期国債は一般的には受給関係で金利が決定しますが、
長期国債は景気の先行き予測によって、金利が決定します。

要は、景気の先行きが不透明であれば、長期国債の金利が上昇し始め、
つられて短期国債の金利も上昇し、
市中金利も上昇するという関係にあります。

リーマンショック後、日本やアメリカの長期国債金利は上昇していません。
それでは、景気の先行きが明るいかと言えば、誰もそんんあ期待は抱いていません。
では、何故、長期国債の金利は低く安定しているのでしょうか?

それは中央銀行が長期国債を大量に買い支えているからです。
アメリカではQE2で直接国債を買い支えました。
さらに、現在は短期国債を売って長期国債を買う「買い替え」というオペレーションをしています。

民間の金融機関が、日本やアメリカの国債の10年後や30年後を信用するはずがありません。
日本の多くの金融機関も同様に、長期国債を売却して短期国債メインに運用しています。
当然、長期国債は日銀が買っています。

日本で長期国債を長期保有しているのは生命保険や年金ではないでしょうか?
ですから、私は生命保険も年金も、何れは崩壊すると予想しています。

■ 「借金の借り換え」に限界はあるのか? ■

現在世界が挑戦しているのは「借金の借り換えに限界があるのか」という問題です。
通貨を無制限に刷る事が出来る方法は3つ考えられます。

1) 中央銀行が無制限に国債を買って、市場に資金を供給する
2) 召還期限の無い国債を発行する
3) 政府紙幣を発行する

上の3つの方法は、形態こそ違えど、「政府紙幣」と何ら変わりありません。
そもそも、兌換制度を廃止した時点で、「通貨の価値の裏付けは政府の信用」なのですから、
現在の中央銀行券は、「政府紙幣」と何ら変わりが無いのです。

「中央銀行の独立性」が重視されるのは、「政府紙幣」の発行に制限を設ける為なのです。
リフレ派の主張は、このリミットを緩和しろと主張しているに過ぎません。

一見、通貨の増刷が無限に可能であるなら、
「借金の借り換え」も永遠に可能な様な気がしてきます。

しかし、そこには国債金利の決定のメカニズムの視点が抜け落ちています。

国債金利は市場の受給バランスが決定します。

短期国債は市場で売買されますから、
国債の受給バランスが崩れれば、国債の価格が低下(金利が上昇)し始めます。

もし日銀が国債の直接買い入れを表明すれば、
中古国債の価格が暴落します。
この場合、国内の金融機関が破綻するので、
国債の市場は一時閉鎖され、日銀が国債を買い取る事になるでしょう。

その時に額面で買い取れば、一気に大量の円が放出され、
円安とインフレが発生します。

これがハイパーインフレと呼べるかどうかは分かりませんが、
とりあえず、インフレを見越して現物資産や不動産の価格が上昇するでしょう。

日銀はインフレを抑制するために金利を上げざるを得なくなり、
当然、企業の資金調達金利も上昇します。

低金利による借り換えで延命していた日本企業は一気に崩壊します。

■ ギリシャで起きている事 ■

ギリシャで起きた危機は、国債がこれ以上発行出来ない上限を超えた事に起因します。
国の返済能力を超える国債を発行したので、国債が償還できなくなったのです。

ギリシャがユーロを採用していなければ、
自国通貨ドラクマを増刷して、乗り切る事も出来ましたが、
ユーロがギリシャ中央銀行では発行出来ないのいで、
ギリシャは一気に行き詰まりました。

ギリシャが延命しているのはユーロ救済資金やIMFが
国債償還に必要な資金を提供し、
さらに既発の国債の価値を75%もカットした効果によるのもです。

これはスペインでもポルトガルでもイタリアでも置きうる事態です。
これらの国々の国債金利も市場で決定しますので、
ギリシャ危機がフューチャーされると、連動してPIGSの国債金利が上昇し、
それが国債発行コストを押し上げると同時に、
企業の調達金利を押し上げる事で、国内経済を減速させます。

12月にECBが3年の低利資金を銀行に供給して、
各国国債を買い支えさせたので、一旦は国債金利が低下していましたが、
これが時間稼ぎに過ぎない事は明確でしす。

市場は冷酷で、結局スペインの国債金利も再び上昇に転じています。

■ アメリカ国債は大丈夫なのか ■ 

ユーロ危機の影にひっそりと身を潜めるアメリカですが、
アメリカの経済もQEを原資とする「低利の借り換え」に支えられています。
QEの資金は債権金融市場(シャドーバンキング)を復活させ
企業が低利で社債を発行できる環境を作っています。

米株の動きは、今やQEの期待値指標と化しています。
FRBがQEを匂わせればダウが上昇し、
QEを否定すれば、ダウが下落するという分かり易い相場です。

昨年末からの世界的な緩和政策で、3月までのダウが好調を維持していました。
しかし、その裏で、アメリカ国債の金利が常用に転じていました。

3月中旬から、ガイトナーやバーナンキは景気の期待感に水を差すような発言を繰り返しています。
国債金利が上昇すると、ただでさえ弱いアメリカの実体経済が崩壊する恐れがあるからです。
さらに、現在成りを潜めている米国債危機が再び注目される事にもなります。

日本の国債と異なり、アメリカ国債はアメリカ意外が大量に保有しています。
コントロールを失えば、国債暴落、金利上昇が一気に進行します。
ですから、アメリカは国債価格に関して、日本以上にナーバスにならざるを得ません。

■ いつまでも続く訳が無い ■

結局、世界は「量的緩和」で命脈を繋いでおり、
景気回復による金利上昇でトドメを刺されるのですから、
いつまでもこの状態を続けるしかありません。

これは「世界の日本化」に他なりませんが、
こんな不自然な状況が何十年も続くはずがありません。

ギリシャ問題が、スペインやイタリアに本格的に飛び火した時点で、
世界が一時、目を背けていた危機が、一気に顕在化します。

2012年に入ってから、世界経済は一見平穏に見えますが、
次の危機の足音は、着実に迫っています。