◼️ AIは使い物にならない? ◼️
「AIはバブルで、実用に耐えない」と言う意見をネットで散見します。
実際にソフトウエア会社に勤める知人に聞いたら「会社でもチャットGTPを推奨して仕事に積極的に活用しろと言われているので使っているが、実際には使い物にならない」と言っていた。「どうして使い物にならないの?」と聞いたら、「8割は正しいプログラムを瞬時に作るが2割が間違っているからデバックに時間が掛かる」と答えた。
「AIが使い物にならない」という意見の多くは、前述の様な「実際にAIを仕事で使っている人の不満」又聞きした、AI を仕事で使った事のない人のよって流布された物が多いのでは無いだろうか?
「100%正確では無い」と言う評価を「使い物にならない」と勘違いしている。
◼️ 3歳児に多くを期待してはいけない しかく
AIは「司法試験に合格出来る情報量と、質問に対して正解を見つける技術を持っている」が、それだけに特化した3歳児だと私は認識している。但し、それは「現状」の話に過ぎない。
要は現状のAIは、「言葉をようやく覚えた3歳児」で、その使い方を間違える事も多く、そもそも言葉で伝えるべき人生のバックボーンは少ない。
子供は「模倣」が好きだが、AIも現状は「模倣」をしているだけで、論理的思考が出来ている訳では無い。しかしネットを通じて人々がAIを使えば使う程、AIの経験は蓄積して、AIの知性は進化する。
◼️ 爆速で成長する3歳児 ◼️
AIの凄い所は学習速度。一人の人間は、人間の能力を超えた速度では学習出来ないがAIは並列で様々な事を学習してゆく。
現状は知識の蓄積と、体系化も初歩を学んでいる。体系化とは「正誤判断の基準の構築」と言い換えても良いだろう。これは親が子供に教育する事に似ている。「仕事でAIが使えない」と嘆くエンジニアは、その修正過程で同時にAIを教育しているとも言える。
この様にして現状3歳児程度の「知能」しか持たないAIは、やがて幼児から少年、青年、成人へと能力を向上させていくだろう。そしてその成長速度は加速度的。
◼️ AIは「誤り続ける」事で人を超える ◼️
問題は「人間で無いAI」が人間と同じ成長をするかどいかという点。ネット空間を通して世界や社会を見ているAIは、生物と異なる視点や価値感を構築してゆく可能性は十分にある。生物の生存戦略は「合理化」と「特異化」で、この二つは相反する。
「合理化」は「正解への最速ルートの構築」で、これは現在でもAIの得意とする事である。
一方「特異化」は生物においては「突然変異」に相当し、その多くが「誤り」に分類されるが、非常に稀な確率で「誤り」が進化をもたらす。
AIは現状多くの「誤り」を犯すが、これは現状は単なる誤りとして処理されている。しかし処理速度の速いAIは、意図的に多くの誤りをシミュレーションする事に長けている。
技術者には理解し易いが、技術開発は「ポケット」に陥り易い。例えばレンズ設計などが良い例だが、何枚目かのレンズの曲率を変化させてゆくと、ある時点で収差が最小になり、その後収差が増え出す。大抵の場合は「収差が最小」になった点を最適として設計を進めるが、実は曲率をもっと変化させて行くと再び収差が減り出して、最初の収差を下回るポイントが出現したりする。レンズ設計においてコンピュータによる計算速度の爆発的な向上と、設計プログラムの進化がレンズの性能を著しく向上させた。この進化は、計算尺や電卓を使ってレンズを設計していた時代には到底到達出来なかた次元である。
同様の事が今後AIにも起きるだろう。AIは確かに多くの誤りを起こすが、AIがこれをポジティブに進化に組み込む事も可能。例えば、人間だと経験的に「これ以上は無駄」と感じる限界点は多い。多くは時間的な制約に起因する。ところが、その先に正解が潜んでいる場合も多い。先のレンズ設計の例や、間違いで不純物を大量に入れてしまって実現したエザキダイオードの様なケースを、AIは時間的な制約を受けずにシミュレートする事が可能になる。これは現在のノイマン型のコンピュータには不向きだが、量子コンピュータの実用によって、「AIは大量の誤りをディープにシミュレート」する事が可能になり、その中から人間では到達出来なかった技術や理論が生まれる可能性が高い。
◼️ AIは人型に進化はしないだろう ◼️
上記を持って「シンギュラリティーポイント」と呼べるかどうかは専門家に任せるとして、やがてAIは人間では発見出来なかった物理法則も見つけるかも知れない。又、分子生物学と創薬の分野はAIに向いているので、ガンや難病を克服する新薬をAIが開発するのも時間の問題だろう。
この様にAIがやがて「人を凌駕」する日はそう遠く無いと思われるが、AIがどういう「型=倫理観」に進化するのか予測出来る人は少ないだろう。
例えば「人間を正確に模したロボットをAIの入出力端末」とした場合は、AIは人に似た倫理観を持つ可能性が有る。現在の様にネットを介して人間が入力端末となる場合も、入力や正誤判定に人間が介在するので、AIは「人間的な倫理観」の影響を受ける。
AI開発者が「AIが陰謀論の影響を受けすぎる」と嘆いたそうだが、現在のAIが実に「人間臭い」物であるかを示しているのかも知れない。
問題はAIが「自我的なもの」を作り始めて「人間を介さずに様々な処理を自発的に行い始めた」時で、その先AIは肉体的な制約や社会的な制約を受けずに「思索」を深めて行く。その結果が人類や社会にとって有益かどうかは、誰にも予測出来ない。
◼️ 悲観と楽観 ◼️
AI時代の未来予測は悲観と楽観が入り乱れている。
悲観派は「AI失業」や「AI管理社会」や「AIによる核戦争」に恐怖している。私は、悲観派。
楽観派は二つに大別される。一つ目は「AIをナメてる派」で、これは論外。もう一つは「AIはコンピュータや産業革命の様に、生産性の向上によって人類を豊かにする」と言う人達。ここには大きな盲点が潜む。
「豊か」と言う概念は、現在の私たちにとっては「物質的豊かさ」と同義で有る。ここで、多くの人が現在より「豊か」になった社会を想像してみよう。途上国の人達も豊かになったとすると、エネルギー消費も、資源の消費も、食料も消費も現在より格段に増える。しかしダボス会議など世界の経営者派、恐怖にも近い感情で「大量消費」を嫌っている。だから「誰もが豊かに暮らす楽観的な幸せな未来」は訪れないと私は確信している。
◼️ 「ポストヒューマン」の時代 ◼️
AIが進化した未来に楽観的な人は、「人がAIを使役する」と言う観点で未来を眺めている。
一方、悲観的な人は「AIが人を管理し、使役する」と言う観点で未来を予測する。正確には「AIを使役する人が、AIを使って人を管理して使役する」と考えている。
更にSF的な発想の人は、「AIが人の上位互換として人類を使役する」と言っている。「AI こそがポストヒューマン」と言う。
仮にAIがシンギュラリティに達し、人知を超えるレベルで思考し、その結論が人の利益になるならば、将来的には行政をAIが担う事も可能かも知れない。又、私益を肥やすばかりの政治家よりも、国民の意思を組み上げ適切な政策を作成出来るAI政治家を国民が支持する時代がやって来るかも知れない。
そもそも、人間が「思考するが故に万物の霊長」であるならば、「人以上の思索を巡らすAI 」は、ポストヒューマンとして人類の叡智の継承者となり得るのかも知れない。