人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

相反する便利とエコ

2009-06-30 09:44:00 | 温暖化問題



■ 顔を洗うと考える ■

私は毎朝顔を洗う時に考える事があります。
それは、「お湯がなかなか出てこない」という事。
カラスの様にチャッチャと洗面を済ませる私は、
給湯器からお湯が蛇口に到達する頃には、
顔を洗い終えています。

給湯配管の中に溜まった、バケツ1杯はあろうかというお湯は、
ただ配管の中で冷めてゆきます。
夏場は、室温を上昇させます。

洗顔はお湯を使いたいという明確な意思でお湯を使いますかが、
例えばトイレの後、ちょっと手を洗う時も、給湯器が作動します。
何故か・・・それは我が家の水栓がシングルレバーの混水栓だからです。

私がエコマニアですから、なるべく温度調整を「水」だけの方にしておきます。
しかし、家族の他の誰かが使用した後は、「温水」になっています。
うっかり蛇口をひねると・・「ボッ」っと給湯器が意味無く作動します。

■ 2栓式なら ■

「お湯」と「水」にコックが分かれた2栓式なら、
この無駄は省けます。

確かにシングルレバーの混水栓は便利ですが、
全国の家庭や、オフィスのトイレや、ホテルで
意味も無く「お湯」が浪費されるとすると、
どのくらいの浪費になるのでしょうか?

■ 家庭での給湯のエネルギー ■

家庭での給湯のエネルギーは意外に大きく、
家庭の消費エネルギーの28%と言われています。
実は、自然エネルギーを一番活用出来るのは「給湯」です。
即ち、太陽熱温水器の活用です。

■ 太陽電池の2倍のエネルギー効率 ■

太陽熱温水器は昔からあります。
私が子供の頃には、瓦屋根の上に温水パネルが設置されている光景よ良く見ました。
オイルショックの後で、省エネよりも、経済性で導入した家庭が多かったと思います。

実は、太陽熱温水器のエネルギー効率は高く、
最新式では50%近くになります。
太陽電池の変換効率が10-19%なのに比べれば2倍以上です。

さらに、温水はエネルギーの蓄積性に優れています。
断熱されたタンクに温水を溜めておくだけ。
これが、太陽電池ですと、蓄電池が必要となります。

電気自動車を例に取るまでもなく、
蓄電池は高価で、さらに寿命があります。
今回、経済産業省は10年間の時限処置として、
太陽光発電の電力を1KWh当たり50円で買い取る決定をしました。
電力会社の電力が25円ですから、ほぼ倍の金額です。

太陽電池発電は高コストで、発電によって電力会社から買う電力を削減するだけでは
イニシャルコストを回収出来ません。
ですから、余った電力を、高額で買い取る事が普及への条件となります。
電力会社が太陽光発電の電力を買い取るお金は、
電気の使用者が負担します。
国の資産では、1家庭で1ヶ月250円程度になるとしています。

太陽光パネルを設置した家庭は、電気をあまり買いませんので、
負担は太陽光パネルを持たない家庭の負担になります。
なんともスッキリとしない話です。

■ なぜ、太陽熱温水器でなくて太陽電池なのか ■

では、なぜ、エネルギーの変換効率の高い、太陽熱温水器ではなく
太陽光発電を政府は推進するのでしょうか?

先ず、太陽熱温水器の導入は、ガス会社の売り上げを圧迫します。
夜間電力を利用した電気温水器の普及も妨げます。
太陽熱温水器は構造が簡単なので、中小の会社も参入出来ます。
逆に言えば、大企業のメリットの薄い技術です。

一方、太陽電池は半導体で出来ています。
製造には大掛かりなプラントが必要となり、
当然、大きな会社がその製造を担います。
蓄電池も最新の蓄電池は、高い製造技術を要します。

そして、何よりも現在の半導体不況で、
半導体メーカーは太陽電池の需要増加に期待しています。

■ 時間軸を無視した省エネ ■

太陽電池のイニシャルコストの回収には、長い時間を要します。
従来の電気の買取り金額では、15年経っても償却は無理でした。

蓄電池も太陽電池パネルも経時劣化してゆきます。
15年後に満足な発電量を維持出来るかは疑問が残ります。
イニシャルコストを回収する前に、蓄電池を交換するケースもあるでしょう。

要は現在の発電効率では、
太陽電池発電は、製造時に大量のエネルギーを投下する事で、
二酸化炭素の排出を、一時的に増やしてしまう可能性の方が大きいのです。

自然エネルギーの促進議論には、
時間的概念が欠落しています。
15年後、20年後にエネルギー収支がゼロになる技術は、
現在における二酸化炭素の発生を増大させます。

地球温暖化防止が危急の問題と言いながら、
実際取られる対策では、二酸化炭素を多く発生させてしまうのです。

■ 正のフィードバック ■

温暖化論者は「正のフィードバック」と口にします。
「今対策を怠ると、排出された二酸化炭素の正のフィードバックにより
 修復不能な事態に陥る危険性が高まる・・・。」と。

もし、それが本当ならば、
将来的な15年、25年の二酸化炭素を、
製造時に排出してしまう太陽電池の様な技術が、はたして有効なのでしょうか?

プリウスも全く同じ問題を抱えています。
蓄電池やモーター、インバーターの製造に大量の二酸化炭素を排出します。
短い人で5年、長い人で10年プリウスに乗って、
初めて、エネルギー収支がつりあいます。

営業車のように、街中をチョコチョコと、
しかも長時間走り続ける用途にこそハイブリットは適しています。
サンデー・ドライバーが購入する場合は、10年以上乗り続ける覚悟が必要です。

■ ローテクこそ最大のエコ ■

温水栓をシングルレバーから、ダブルレバーに変える。
太陽光発電では無く、太陽熱給湯を選択する。
プリウスに乗って、燃費にチャレンジするくらいなら、自転車で買い物に行く。

結局、ローテクこそが究極のエコロジーです。
ローテクを楽しむ心よ豊かさを教育する事が、環境教育ではないでしょうか。








裏切り続ける椎名林檎

2009-06-27 09:57:00 | 音楽



■ 椎名林檎が「椎名林檎」に戻る!

昨日、ドラマ「スマイル」が最終回を迎えました。
娘は松潤目当て、私はガッキー目当てで毎週楽しみにしていました。
中井貴一が本当に上手くて、
いしだあゆみの、あのどうしようもない舌足らずな台詞回しも
それはそれで良い味を出してました。

挿入歌に使われていたのが、
椎名林檎の「ありあまる富」。
キター!!って感じ。
待ってました、6年間、椎名林檎が「椎名林檎」に戻るのを。

初期にシングルのカップリングにあるようなシンプルな曲。
時折聞こえる歪んだギター。
憂いを帯びたメロディー。

「すべりたい」や「17」「青空」など、デビュー前の習作のような曲を
こよなく愛する私としては、
過剰な演出の中に沈溺する「椎名林檎」よりは、
カーペンターズやジャニス・イアンをストレートに信望する
椎名林檎を聞きたかった。
あるいは、「時が暴走する」の様な、ピアノ一本のアレンジを聞きたかった。

「ありあまる富」は、まだ装飾過剰ですが、
売り物ですから、しかたありません。
ここから先は、アルバムでやってもらえれば。
楽しみです。6年振りのニューアルバム。

■ 期待を裏切り続ける林檎 ■

昨日、買いました。ニューアルバムの「三文ゴシップ」。
シンプルなジャケットに期待が膨らみます。

1曲目の「流行」からいきなりヒップホップ????
エーー、マジーー!!

やられました。
てっきりシンプルなアルバムと思いきや、
思い切り、装飾満載の歌絵巻です。
「ありあまる富」は収録すらされていません・・・・。
やられた・・・。

■ 彷徨い続ける林檎 ■

椎名林檎の最高傑作は?と聞かれたら、
私は「絶頂集」の中の「メロウ」を挙げます。

ニルバーナに傾倒していた頃のグランジロックの傑作です。
痛い程に切ない歌詞と、エッジの立った演奏は
歌謡曲の範疇をはるかに凌駕しています。
聞いていて、あまりに「痛い」曲で、
岩井俊二監督の「リリー・シュシュのすべて」を思い出してしまいます。

しかし、3枚組シングルの「絶頂集」とそれに続く「真夜中は純情」は
アルバムに収録されませんでした。
3枚目のアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」は非常に内省的な内容でした。
(しかし、レコード屋で口に出来ないタイトルですよね)
凝ってはいるけれど、ハジケナイ感じでした。

その後は「歌い手冥利」や「東京事変」や斉藤ネコとのコラボなど、
企画モノがメインで、なかなか「椎名林檎」にはお目に掛かれませんでした。

この頃が、椎名林檎の混迷期でした。
その間に、椎名林檎のニセモノが沢山現れます。

本人も東芝EMIに激怒したとウワサされる、「矢井田瞳」。
昭和歌謡路線をお洒落にシフトさせた、「エゴラッピン」。
林檎節を歌謡曲にした「YUI」。

本人が「東京事変」で遊んでいる間に、
椎名林檎の開拓した世界の住人がどんどん増えていきました。

■ 日本語の再認識と、言葉の限界 ■

椎名林檎が「無罪モラトリアム」でデビューした当時、
J-popsでは、日本語が瀕死の状態でした。
サザンやミスチルが開拓した、日本語を英語の様に響かせる手法の氾濫や、
金太郎アメの様な、代わり映えのしない甘ったるい歌詞のオンパレード。

ところが「椎名林檎」は日本語で日本の社会をメッタ切りにして現れました。
世間は「新宿系」としょうして、オジサン達を巻き込んだ盛り上がりを見せます。
あの当時の椎名林檎は本当にカッコよかった。
キルビルの黄色いジャージのネーちゃんよりも、カッコ良かった。

ただ、「無罪モラトリアム」ではストレートにヒットしていた日本語が、
「勝訴ストリップ」では、早くもキレを失って行きます。
不意をついた言葉で、殴っておいて、やおら踵を返して去っていった「無罪」に対し、
「勝訴」はこちらの反応を、扉の影から伺ってしまう未練を感じてしまう。

ここら辺が、やはり「言葉」の限界だったのかもしれません。

絶頂集では、3つの方向を模索しています。
「虐待グリコゲン」の従来路線の推進。
「天才プレパラート」のニルバーナやレディオヘッド路線。
「発育ステータス」のアングラ仲良し路線。

既に、この3枚組シングルでは、言葉は意味を失いつつつあります。
時折、聞き取れるエッジのある単語が、音楽をドライブさせていきますが、
全体としての物語性は薄れていきます。

「絶頂集」はまさに、第一期「椎名林檎」の絶頂であり、崩壊の始まりでした。

■ 劇場路線の模索 ■

私は椎名林檎は非常に繊細で、コワレモノの様な人だと勝手に妄想しています。
ジャニス・イアンの少女の戸惑いを理解出来る繊細さを持った人だと・・。

但し、彼女はそれをストレートに見せる事は嫌うようです。
演劇的な仮面に隠して、過剰な演出で覆い隠してしまいます。
劇場性気質が元々あるのか、元来機用な性格なのか、
コテコテの演出を本人も楽しんでいるようです。

しかし、交友関係や共演者を見ると、
アレっと思う事も多いです。
「ともさかりえ」が親友である事は有名ですが、
彼女のアルバムに椎名林檎が提供している曲は、
正に、椎名林檎の初期シングルのカップリング曲に近い肌合いです。

発育ステータスで競演した田淵ひさ子(ナンバーガール)も派手な子ではありません。
さらに、歌い手冥利で「木綿のハンカチーフ」をデュエットしていた、
「松崎ナオ」なんて、半分壊れかかった不思議チャンです。
二人の共通点なんて、壊れそうなキワドサしかありません。
(彼女は当時EPIC-SONYでしたから、この競演は不思議でした)

こんな、ちょっと危なげな繊細さをチラチラと垣間見せながらも、
「椎名林檎」はコテコテに自分を装飾してゆきます。


■ アーティストとPopsの狭間で ■

3rdアルバムの「加爾基 精液 栗ノ花」は、
これまでの他人のプロデュースを離れ、セルフプロデュースです。
これまで、他人の世界でヒロインを奔放に演じてきた彼女は、
自分の演出に没頭します。

細かい点はで非常に面白いアルバムではありますが、
自分の演出する架空の自分を演じるような歯がゆさが全編を覆っています。

これをして椎名林檎の最高傑作と言う人も多いようですが、
私には、何とも煮え切らないアルバムに思えて仕方がありません。
アーティストを標榜するには、やはりオリジナリティーが不足気味です。
アートは壊れた自分をさらけ出す人間の所業で、
自分を隠すタイプの人間は、アートには辿り着けません。

本人が、このアルバムをどう評価するかは分かりませんが、
その後、セルフプロデュースを行わず、
むしろ、他人に自分を演出させている事からも、
ある限界を意識したのかもしれません。

■ 素晴らしきクルト・ワイルの世界 三文ゴシップ ■

さて、6年のインターバルを経て届けられたニューアルバムは、
「茎」と同じ井上雨迩(ウニ)とのコラボレート。

一曲目の「流行」からラップが導入されますが、
とにかくアレンジが見事。
所々ストリングスを配し、ヒップホップとROCKが現れては消えて行きます。
まるで、目くるめくレビューを見ているような幻惑感。
題名の「三文・・」からも分かる様に、これはクルトワイルの世界です。

ブレヒトと「三文オペラ」を共作したクルトワイルは
アメリカに渡り、アメリカのミュージカルの礎を築きます。
少し下世話なその音楽は、不当に低い評価しか与えられませんでしたが、
80年代にクルトワイルの再評価が世界的に成されます。
ハル・ウィナーの「星空に迷い込んだ男--クルト・ワイルの世界」は
ロック、Popsの様々なミュージシャンを起用して最高のアルバムに仕上がっています。

「三文ゴシップ」は井上雨迩版のクルト・ワイルの世界。
それも、ヒップポップなど現代の表現を見事なまでにミックスして、
クールでシャープな音を手に入れています。

椎名林檎は既に素材でしかなく、
彼女の割り切りもスゴイ。

既に、歌詞はスキャット程度の役目に成り果てて、
歌詞に何かメッセージを託すなんて事は放棄しています。
ただ、時折耳に入る日本語が、刺激的。
カエターノ・ベローゾの曲の中で、突然日本語が飛び出してくる感じに近い。

だいたい、ノリノリのファンクビートにはオバカな歌詞程良く似合う。
P-ファンクの歌詞なんて、読むだけバカバカしいけど、あれはあれでクール。
労働者なんて、同じノリを感じてしまいます。

一昔前、「洋楽に比べて日本のロックやポップスは」と言われましたが、
「三文ゴシップ」は、既に世界レベルです。
今まで、歌謡曲から足を洗えなかった椎名林檎が、
完全に日本を振り切って、歌謡曲のルーツであるワイルの世界や
ラテンポップスにアプローチしています。

いままで時代のあだ花の様であった「椎名林檎劇場」が、
おてんとう様の下で堂々と咲き誇った、
そんな「三文ゴシップ」は名盤です。

(但し、最後を「丸の内サディスティック」で閉めるなぞ、
 ファンの気持も良く分かってらして感謝。)




数学

2009-06-25 18:17:00 | 分類なし
今日から娘は期末試験です。

さっき、仕事が一段落したので、
数学の問題を解かせたら・・・ヤバイ。

式の展開をしていくうちに、
何だか式が得体のしれない物に変化していって、
最後は見るも無残な物に・・・。

数学なんて、加減乗除と若干のルールしかないのだから、
丁寧に解けば簡単なハズなのに、
なんで、こんなになるの?

数学の解き方って、性格が現れますよね。
律儀な人はコツコツと、
頭の良い人は、びくリするくらいにスマートに、
力技のガテン系の人もいます。

娘の場合は、整理整頓が下手。
手当たり次第に、出来そうな所から手をつけて、
分からない所は、いきなり式の中から消えちゃったりする。
そのうちに、マイナス符号なて所在不明になって、
最後は、無残に変わり果てた数式が放置される・・。
これは、彼女の部屋と同じだ。

かくいう私も数学はニガテ。
大学時代はヤマが外れると、
「・・の問題はさておき、・・・」
と、覚えてきた例題をそのまま書いて、
勉強はしてきたぞという事をアピールしてました。
・・・これで単位が貰えたから驚きです。

未だに、試験の夢を良く見ます。
学生時代に戻りたいと思うことも度々ですが、
試験があるから、戻ったらやっぱり地獄を見るのでしょうね。

既に崩壊しているIPCCのシミュレーション

2009-06-22 10:52:00 | 温暖化問題


■ 太陽黒点が減少 ■

昨年から増大期になるはずの太陽黒点の数が増えていません。
今年に入っても、上の写真の様に太陽黒点が観測されない日が多くなっています。
太陽観測者の間では、「太陽は200年来の活動低下期を迎えた」と予測する
学者も多くなっています。
NASAも同様な見解を示しています。

■ 地球の気温を左右する太陽黒点 ■

太陽黒点は11年周期で増減を繰り返し、
黒点の多い時期は、太陽の磁気活動も活発で、
太陽風が地球に多く吹きつけます。

黒点周期による太陽の放射エネルギーの増減は0.2%程度で、
これにより地球の気温が影響を受ける事はありません。

しかし、黒点増大期に強くなる太陽風は
地球周辺の宇宙線や宇宙塵を吹き払います。
宇宙線や宇宙塵は、雲の核の生成に影響する事が
近年の研究で明らかになっています。

黒点活動が活発な時は、太陽風が宇宙線や宇宙塵を吹き払い、
雲の生成が少なくなります。
雲は太陽光を宇宙空間に反射するので、
雲の生成が少なくなれば、気温は上昇します。

逆に黒点が少なくなれば、雲量が増え、
地球の気温は下がると言われています。




上のグラフは太陽の活動周期と地球の気温の変化を対比したものです。
近年が千年来の太陽活動のピークである事、
気温が太陽活動あるいは黒点の数に相関して変化している事が分かります。



上のグラフは宇宙線の量と雲の相関です。
宇宙線量が増えると雲が増大する事が良く分かります。


■ 黒点の極小期は小氷期になる ■



上のグラフは太陽黒点の数の推移です。
過去にも太陽黒点が現れない時期はありました。
マウンダー極小期(1645-1715)やダルトン極小期(1790-1820)と呼ばれています。

これら極小期には、気温が低下して穀物の収穫量が落ち込みます。
イギリスではテムズ河が結氷し、
日本では「天明の大飢饉」が発生しています。

一部マスコミの報道では、昨年来の黒点の減少をして、
小氷期の始まりと書きたてる所もありますが、
これは、10年、20年経って見なければ分かりません。

ただ、太陽活動の低下は気温に如実に現れていて、
2000年来、地球の平均気温は低下傾向にあります。


■ 既に破綻したIPCC予測 ■

IPCCは二酸化炭素の増加により、
2000年以降も気温は上昇し続けると予測していました。

IPCC予測の根拠は、スーパーコンピューターを用いた
気候シミュレーションです。
大気を細かな立方体に切り分け、与えられたパラメーターによって
それぞれどの様に変化するかをシミュレートします。

1970年以降の気温変化と、
IPCCの二酸化炭素を温暖化の主原因とするシミュレート結果が
適度な相関を示した為、二酸化炭素は温暖化の犯人とされました。



しかし、上のグラフを見てください。
黄色や赤がIPCCがシミュレートした気温。
青や緑が実測値を示します。
IPCCが予測する継続的な気温の上昇は、
2000年以降の観測値によって否定されています。

実はIPCCのシミュレーションでは温暖化に最も寄与する水蒸気を
上手くモデル化してシミュレーションする事が出来ません。
又、太陽の活動周期も予測不能なので、考慮されていません。
この様な不完全なシミュレーションが100年後を予測したとしても、
そこには何の科学的価値もありません。
現に、2000年以降の数年間の予測すら誤っています。

これは、地球温暖化説を主導するIPCCとしては困った事態です。

そこで、IPCCは第三次報告書まではヒートアイランド現象を補完していたのに
第4次報告書では、「ヒートアイランド現象は測定に影響しない」として、
この補完を止めてしまいました。

日本の様に、観測点が充実し、ヒートアイランド現象の影響を
受けない測定点を選べる国は問題ありません。
しかし、途上国の様に測定点が限られている国では、
ヒートアイランドの影響を受けるデータも処理に使用されてしまします。

IPCCはこのような恣意的なデータの改ざんを行ってまで、
二酸化炭素による温暖化という現象を捏造したいのでしょうか?

■ 赤祖父氏の主張は分かり易い ■

オーロラ研究の第一人者に赤祖父俊一という方がいらっしゃいます。
地球と宇宙の相関を、見つめ続けていらした方です。
赤祖父氏は、二酸化炭素による地球温暖化に否定的な意見を述べられています。

氏の論文を見つけましたので、URLを貼り付けておきます。
私などよりも、余程明快に温暖化の問題点を指摘されています。


不確かなシミュレーションという手法に依存する温暖化論者達の説よりも、
説得力あるかと思います。

( 無断で申し訳ありません。
  一人でも多くの方が読まれれば、先生の目的にかなうかと思うので・・。)

https://ir.kochi-u.ac.jp/dspace/bitstream/10126/1221/1/akasofu.kikou.pdf



NHKは確信犯

2009-06-21 10:54:00 | 温暖化問題
■ NHKの「日曜討論」のひとコマ ■

最近日曜日の朝10:00からは娘とアニメ「クロスゲーム」を見ています。
娘というよりは、私の方が楽しみにしていて、
「タッチ」や「H2」を思い出しながら、
あだち充の「ゆるーいスポ根」を、ニヤニヤしながら見ています。

今朝、10:00少し前にTVを付けたら、
NHKで「日曜討論」をやっていました。
「地球温暖化対策・誰が負担する?15%削減で家計は?」というテーマ。

あいも替わらず、面白くも無い面々の顔が並んでいましたが、
福島瑞穂がやけに老けたのには驚きました。
土井さんの方が、「鉄の女」みたいで格好良く年を取っていた気がします。
派手な色のスーツを着るには、髪が黒すぎるのかもしれない。
顔立ちも基本的には優しい顔立ちだから、
誰か、きちんとコーディネータかスタイリストを付けてあげれば、
少なくとも討論番組に、華くらい添えられそうなんだけど・・・。
(言っている事は、相変わらずの古臭いリベラルで、新鮮味ゼロ)

ウクライナのティモシェンコ首相みたいな女性が日曜討論に出演していたら、
毎週、TVの前に釘付けなのに・・・
ドイツのメルケルも悪くないな・・。

なんて、バカな事を考えながら、
これまたツマラナイ論議を漠然と聞き流していたら、
自民党の野田氏が、京都議定書の1990年基準年の
カラクリについて説明し始めました。
・・オ!オ!!
TVで自民党の政治家の口から、この件に言及があるとは、
しかもNHKで!!

■ 司会者があわててさえぎり、岡田氏がフォロー ■

野田氏が、
「京都議定書の基準年はヨーロッパに有利に設定されており、
1990年はヨーロッパが拡大する直前で排出量が多かった。
その後、EUは拡大し、全体の排出量は減っていて、
今回の彼らの削減目標である1990年比14%減は既に達成されている・・・」

ここまで、野田氏が熱く語っていると、司会者が慌てて遮ってしまいました。
「野田さん、時間がありません。 岡田さん、国民負担は・・・」って。

民主党の岡田氏は
「ドイツもイギリスも1990年よりも削減している」と司会者をフォロー。
それきり、この話題は打ち切り。

イギリスもドイツも1990年時点では省エネに熱心ではありません。
設備も不効率なものでした。
最新設備に変える時点で、二酸化炭素の排出量の削減は
副次的効果として達成されます。

ところが、日本は1990年当時、既に充分な省エネが成されていて、
経済成長を続ける限り、二酸化炭素の排出増大は避けられませんでした。
(尤も、バブル時代は電力会社主導で、200V化の検討がされたり、
 夜間電力によるライトアップ促進キャンペーンを打っていて、
 およそ、省エネとは逆のベクトルが働いていた事も
 反省しなければなりませんが・・。)

野田氏はこの点にも言及しいます。
「日本は世界で最初に実質炭素税を導入した国です。
 オイルショック以降、血の出るような思いで省エネを実現してきました。」
実質的な炭素税が何であるかには言及がありませんでしたが、
高額なガソリン税であったり、電力税あたりの事でしょうか?

■ 自民党が共和党、民主党が民主党 ■

ここら辺の対立構図は、アメリカの共和党と民主党を見ているようです。

温暖化対策による、経済への圧迫と国民負担、
それに相応する温暖化防止が可能であるかが議論されるべきで、
温暖化に反対したら、「悪」。賛成したら「正義」という図式は滑稽です。

民主党は国民に媚を売る為に、「温暖化防止促進」を戦略として取り入れ、
自民党は防戦に立たされる一方なので、首相自ら「15%削減」を提唱する。

良識的意見は野田氏の様な意見なのに、
温暖化防止の大波の前には、無視されてしまいます。
もう少し、自民党に論理的に戦って欲しい所です。
その点、共和党は頑張っています。

■ 温暖化防止でメリットがあるヨーロッパ ■

EUは温暖化防止の論議を絶えず先導しています。
それは、ヨーロッパは温暖化防止でメリットがあるからです。
余剰排出権を売る事も出来ます。
成長の余地の無い産業に、新たな産業が生まれるかもしれません。

しかし、ヨーロッパにおいても、自然エネルギーは大赤字です。
国民が高い電力を購入する事で、賄われています。

ドイツは環境意識が高く、新規の原子力発電所を建設していませんので、
その見返りとして、あえて国民が高い料金で自然エネルギーを購入しています。

フランスは原子力発電の推進国で、
原料の精製から、廃棄物からの再抽出まで、ノウハウと実績を持っています。
フランスも、温暖化防止でドイツとは別のメリットが生じます。

■ 日本はどうすれば良いのか ■

日本も優れた原子力技術を持った国です。

アメリカはスリーマイル島の事故以来、新規の原子力発電所は建設していません。
しかし、GEやウエスチングハウスなど、優れた原子力企業を擁しています。

ウエスチングハウスは東芝が事実上買収しました。
GEは日立と提携しています。
三菱重工はフランスのアレバと提携しています。

世界の原子力ビジネスは、この主要3グループに集約されました。
今後、火力発電所の建設が、BRICS諸国においても制約を受ければ、
原子力発電の需要は飛躍的に高まります。
この点で、日本の布石は打たれています。

但し、安全性の点は別問題です。
新興工業国や途上国で、安全な原発運営が可能かどうか、
廃棄物の管理、プルトニュームの抽出の危険性は未解決です。

■ 自然エネルギー ■

自然エネルギー分野でも日本は優れた技術を持っています。

高い半導体製造技術がありますから、
伝統的に太陽電池技術は最先端を走っています。
LEDの製造技術も世界有数です。
風力発電も、プロペラや発電機の技術は世界有数です。

但し、自然エネルギーは発電コストが高いので、
現状、補助金無しでは採算ベースに乗りません。

■ バイオマス ■

バイオエタノールは穀物(でんぷん)からは効率的に製造出来ます。
例えば、トーモロコシを原料にしたバイオエタノールがこれに当たります。
ブラジルのサトウキビ由来のエタノールも効率的です。

しかし、建築廃材や稲のワラなどからは、効率的に作る事が出来ません。

そもそも、バイオエタノールを精製するのに、
得られるエネルギー以上の、石油や電力を投入する必要があり、
バイオエタノールはそもそも、エコではありません。

アメリカで一時ブームになっていたバイオエタノールは、
余剰生産のトウモロコシをエタノールに加工する事で、
需給バランスを崩し、穀物相場を吊り上げる、穀物メジャーの戦略でした。
原油価格が下落した現在、多くのエタノール工場は操業を停止しています。
そもそも、アフリカの最貧国がトウモロコシの高騰で飢餓にあえぐ政策の
どこがエコなのでしょうか?

現在の技術では、バイオマスは非エコ技術です。

■ エコでないけど、商売にはなる ■

基本的に産業界の認識は
「地球温暖化問題の解決策はエコでは無いけれども、商売にはなる」
という事で一致しています。

「ただ、削減目標をあまり高く設定されると、対策費用が利益を上回るので、
産業界だけでなく、国民に広く浅く、負担を肩代わりして欲しい。」
というのが、本音。

ほらね、民主党の岡田さんが言っている事が理解出来るでしょ。
だいたい、エコ・エコって言うヤツ程、信用できません。

■ エコとは持てる物のエゴ ■

エコなんて意識した事もない、ニートやフリーターの生活が一番エコです。

プリウスに乗っているような方は、ある程度可処分所得も多く、
その分エネルギー消費が多いはずです。
庭付き一軒屋は、4畳半一間よりも格段にエネルギーを消費します。

エコを意識する家庭はだいたい清潔です。
毎日お風呂を沸かすので、ガスの使用量は多いはずです。
朝シャンや出掛けのシャワーも欠かさないかもしれません。

マイバックで買い物をしますが、
新品のゴミ袋でゴミを出します。

健康に留意して、食事にも色々な手作りメニューが並びます。
大量に調理するより、少しずつ調整する方が圧倒的にエネルギーを消費します。
コンビに弁当はエコですが、贅沢な手料理はエコではありません。

ベランダに花を植えれば、二酸化炭素を吸収しそうですが、
枯れてゴミに出せば二酸化炭素を排出して収支はゼロ。
さらに、土を購入すれば、土の代金は輸送のエネンルギー代金と等価です。
梱包のビニールや、苗のビニールポットはゴミになります。

最低限以上の生活を志すと、余計なエネルギーを消費します。
エコを意識する程度に裕福な家庭は、
基本的にエネルギー消費が大きく、実は非エコの家庭なのです。

エコとは持てる者のエゴでしかありません。

■ エコとどう付き合うか ■

環境問題は突き詰めて考えると、自己否定に行き着きます。
多くの方が、無力感にとらわれ、諦めの境地に達します。
エコ、エコと喜んでいるのは無邪気な妄信者か、
したたかなビジネスマンです。

私は小学生の頃から植物や昆虫や自然が大好きでした。
ですから、エコロジーに興味を持ち始めたのも高校生の頃、
今から30年程前になります。

自分でも「車に乗らない」とか、「エアコンを使わない」とか
いろいろ、心に決めた事があります。
しかし、一方では、オーディオが好きであったり、
熱帯魚を飼っていたりして、エネルギーを浪費しています。

結局、エコとは、エネルギーを浪費する生活の「免罪符」なんだなと考えます。
地球温暖化みたいな、うそ臭い話は別とそても、
自然環境に人間の経済活動が過負荷にならないように心がける事は大事です。

ですから、皆さんがエコを志す事は大いに賛成です。
エコとはほんのちょっとの「もったいない」で良いと思います。
まだ使えるから、もったいない。
電気を付けっ放しは、もったいない。

エコとは、経済発展とは、正反対の道程だと思います。
エコとは快適を諦める事でしか実現しません。
産業界や国家がエコを口にする時、その度にエコは損なわれていきます。