人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

安倍政権への支持姿勢で分かる知能指数・・・私的ランキング

2018-09-28 05:18:00 | 時事/金融危機
 

ちょっとした戯れを・・・


世の中、様々な知能の測定方法が有るかと思われますが、「安倍政権への支持・不支持姿勢」でその人の知性を測定してみましょう。


1)凄く頭の良い人

政治的な立場は表明せず、政治の話は華麗にスルーしながらも、投資でしっかり稼ぎ、補助金など美味しい所もしかり頂く。

2)普通に頭の良い人

景気が良い間は政権に批判的な事は言わず、相槌程度には政権を評価する。投資も安全な範囲でそこそこに手を出していて利益も出している。補助金も出来れば頂きたいと考える。

3)普通の人 

別に自民党政権でも、他の政党の政権でも景気が悪くならなければどうでも良い。投資はちょっとリスクが怖いから貯蓄中心で、銀行の窓口で勧められた投資信託やREITなどをチョットだけ試しに買って「ちょっと得したかしら」と小さな喜びに浸る。

4)ちょっと頭の弱い人

景気が良くなったのは安倍政権の功績。民主党政権時代(不景気)に戻さない為には、積極的に安倍政権を支持。投資をするようなキャッシュフローは持っていないけれど、お金に余裕が出来たらFXで大きく稼ぎたいと思っている。

5)頭の悪い人

韓国や中国にバカにされない為にも安倍政権を絶対に支持。民主党や野党は在日勢力で日本人の敵。ネットで積極的に安倍ヨイショを拡散する事で日本に貢献しているオレ最高。安倍政権になって株価が上がったけど、投資するお金も無いからGPISの運用益の増加が楽しみの一つ。

6)相当頭の悪い人

安倍政権は米国の傀儡だから即刻退陣すべき。そもそも日本は憲法9条で平和国家なのだから、憲法改正などもっての外。平和を愛する日本に侵略する国家なんて有るハズは無いし、中国や韓国はアジアの隣人。安倍政権になってから株価が上昇したけれど、儲かっているのは一部の金持ちばかり。でも将来の生活が心配だから、学会員と仲良くなっておくのも悪くは無いかも・・・。

7)救いようも無く頭の悪い人

世界はユダヤやロスチャに支配されている。トランプもプーチンもキンペイも奴らの手先。安倍は飼い犬。世界の本当の姿を知っているオレ最高。他の連中は皆、マスコミを信じるバカばっか。投資?そんなのロスチャに金を差し出すだけだろう!!ア、ヤベェー、今月カード使い過ぎてんじゃん。まあ、いいかリボ払いにしとこう。

8) 蚊帳の外

政治?何それ美味しいの?それより今週の『マジカルののは☆キラキラ・スマッシュ』選挙速報で放送延期ってマジムカつくんですけど!!仕方無い、明日バイトで朝早いから眠るとするか・・・・

9)人外

政治?!バッカじゃない?!オッサンに興味無いし~。それよりヨンジュンってマジ可愛くねぇ。Kポップってマジ神じゃねぇーー!!あ、ヤベぇ、明日のライブのグッズ買う金、足りないじゃん。「ねぇーママーー!金貸してくんない。えーーーパパ、お願い!!」

おっとヤバイ、「人力でGO」は7)の様な・・・・。いや8)かも知れない・・・。

8)と9)は世間的に差は有りませんが・・・個人的な好みとして・・・。


映画 『若おかみは小学生』は期待以上の傑作・・・この作品に比べたら、NHKの朝の連ドラは「ゴミ」だ!

2018-09-25 05:37:00 | アニメ
 




■ 原作は小学生向けの大ベストセラー小説 ■

私が今年一番期待しているアニメ映画『若おかみは小学生』が劇場公開されました。

原作は令丈ヒロ子原作の児童小説ですが、全20巻、累計300万部を誇る「青い鳥文庫」の大ベストセラーです。(2003年~2013年)

交通事故で両親を亡くした少学6年生のオッコ(関織子)が祖母の営む温泉旅館で若女将として奮闘する物語。これだけ書くと「小学生版・細腕繁盛記」の様ですが、そこは流石に児童小説、オッコには霊的なものが見えるという設定が小学生向けのスパイス。

オッコの働く「春の屋」には男の子の幽霊が住んでいます。彼、ウリ坊はオッコの祖母の幼馴染。子供ながらに峰子ちゃん(祖母)に恋心を抱いていたウリ坊ですが、彼女が引っ越して行ってしまった後、ふとした事故で死んでしまいます。それ以来、片時も峰子ちゃんの傍を離れる事無く見守っていますが、残念な事に彼の存在は峰子ちゃんにも、他の誰にも見えません。

ところがオッコにはウリ坊が見える・・。ウリ坊は大喜びでオッコに憑きまといます。そして、オッコはウリ坊の懇願で、何故か若おかみになる事に。慣れない中居修行に奮闘するオッコですが、少女の幽霊や小鬼まで「春の屋」に住み着く様になって、彼女の周りは賑やかになります。

小鬼は客を呼び寄せるという不思議な力が有ますが、彼が呼び寄せるのは、問題を抱えた客ばかり。しかし、彼らは健気に働くオッコと交流する事で癒されて旅館を後にします。

こうして、「春の屋」の若おかみとしてオッコ自身も成長していくというのが、原作やTV版アニメのストーリーです。

■ 子供向けアニメと侮るなかれ・・・号泣する大人が続出 ■

先日、最終回を迎えたTV版アニメは原作にほぼ忠実なストーリーですが、横手美智子が脚本だけに15分アニメとして、朝の連ドラのお手本になる様な、骨太の見事な作品でした。15分という短い時間にOP.EDもしっかり入るのですがら、実質12分の間に起承転結が有り、そして次週への期待をしかりと盛り上げて終わる。

実は家内の気に入りで、「ねえ、若おかみの続きって未だなの?」って聞いて来るぐらい。ネットを見ていると、孫と一緒に観ている祖父母の方も多い様で、劇場に高齢者の姿が散見されるのはTV版でファンになった方々の様です。

一方、映画版は監督に『茄子・アンダルシアの夏』の高坂希太郎、脚本に『ガールズパンツァー』や『聲の形』の吉田玲子という完璧な布陣。

高坂希太郎は宮崎駿の共同作画監督としてジブリアニメを支え続けた人物。それ故に監督作品が少ないのが残念ですが、『茄子 アンダルシアの夏』や『茄子 スーツケースの渡り鳥』の評判は高く、彼の監督作品を期待するファンも多い。

自転車のロードレースの選手を描く「茄子・・」ですが、原作は黒田硫黄の短編マンガ。短いページに人生の喜怒哀楽がギューと凝縮した傑作ですが、粗削りな所が魅力でもあります。それを、丁寧にアニメ映画の尺に引き延ばした手腕はなかなかの物が在りますが、実は私個人としては、今一つ物足りなさを感じる映画でもありました。原作の持つ自転車乗りの悲哀が薄れてしまった感じがして・・・。ただ、アニメとしての映像表現はピカイチですから、ジブリが作品を作らなくなった今、一番期待を寄せる監督でもありました。

一方、吉田玲子は『おジャ魔女どれみ』の脚本家ですから、少女の成長物語を書かせたら彼女に右に出る人は居ないでしょう。『けいおん』『ガールズパンツァー』『のんのんびより』『聲の形』『リズと青い鳥』『夜明け告げるルーの歌』とヒット作や傑作を連発し、今一番、脂が乗り切った脚本家です。

この二人のコンビで製作がマッドハウスですから、映画版『若おかみは小学生』に期待するなといっても難しい。映画の90分という尺の中で、どんなドラマが展開されるのか、映画公開が発表された4月から、私はもうワクワクが止まりませんでした。

公開二日目に上野のTOHOシネマズに観に行きましたが、上映終了後、しばらく呆然とするくらい素晴らしい出来映え。

劇場は空席が目立ちましたが、子連れの家族の外に、中高年の男性の一人、若い女性の一人、高齢のご夫婦などが目立ちました。さすがにアンテナが鋭い方々がいらっしゃる様です。だってタイトルが『若おかみは小学生』で、さらにあのキャラデザですよ・・・普通の大人は観ないでしょう。

Yahooシネマや映画.comの評価を見ると、星五つの方が圧倒的に多く、総合評価も『この世界の片隅に』に匹敵する高評価です。

ご覧になった方のコメントで一番多いのが「泣いた」「号泣した」「肩を震わせて泣いた」「子供向け作品と思ってナメていたら、泣かされた」といった類のもの。「ハンカチ2枚持っていって下さい」というコメントも。

そして「子供も大人も楽しめる作品です」「安心してお子さんに見せられます」「見終わった後心がほっこりします」「孫を連れて来ましたが本当に良かった」などのコメントが並びます。

これがTVキー局の肩入れの作品ならば、ワイドショーなどで盛んに宣伝して劇場ももっと埋まるのでしょうが・・・上映スクリーン数も少なく、空席も目立つのが残念な限りです。間違いなく今年一番のアニメ映画です。

■ 映画版は、両親を亡くした少女が悲しみを克服する物語 ■


TV版ではオッコが両親を亡くした設定は、「祖母の旅館で小学生が若おかみとして健気に働く」という設定を成立させる為のものでいた。ですから、物語初期以降はオッコの「不幸アピール」はほとんど有りません。むしろオッコの活躍がメインの物語です。

ところが映画版は「両親を亡くした悲しみ」をメインに組み立てられています。しかし、その悲しみはオッコ自身が意識の奥に押し込めて、決して前面に出て来ません。

映画版は事故のシーンをリアルに描く事で、両親の死を観客に強烈に印象付けます。しかし、その直後のシーンで、オッコは涙も感慨も無く普通に「行って来ます」と言って両親と暮らした家を離れ祖母の旅館に旅立ちます。観客はオッコが、両親の死から立ち直ったと思い込みます。さすがに小学生向けの作品でドロドロと悲しみを引きずる事は無いだろう・・・と。

しかし、春の屋で働くオッコは、両親の夢を度々見ます。そして、彼女はお父さんもお母さんも生きている様に思えると、客の占い師の女性に打ち明けます。そう、彼女は両親心の死を心の奥では否定しているのです。占い師の車で買い物に出かける時にも高速道路で心的外傷の発作を起こします。事故の記憶が蘇って来るのです。

物語の表層は、健気に働く小学生を明るく描きましが、時折現れる両親の幻影が、物語の裏側に常に暗い影を落とします。ただ、それは巧妙に「暗さ」が隠されています。オッコの思い出に偽装されているのです。これはオッコ自身の心の自己防衛なのでしょう。

ところがオッコの両親の死という現実を否応無く受け入れざるを得ない事件が起こります・・・。それは・・・・(ここから先は劇場で)

■ 吉田脚本と高坂演出が見事に噛み合い、不穏な鼓動が絶頂に達する映画 ■


この作品、何が凄いかというと、明るく健気なオッコの姿を描きながらも、冒頭から「不穏な動悸」がスクリーンを支配し続ける事。具体的には、オッコが無感情に両親と暮らした家を出る辺りから始まり、両親の幻影をオッコが頻繁に見る辺りで、敏感な観客は違和感を覚えると思います。

さらには、登場人物には「死」の影が寄り添っています。峰子ちゃんに寄り添うウリ坊の幽霊。オッコのライバルの若おかみの姉で幼くして死んだミヨちゃんの幽霊。「春の屋」に泊まる客も母を亡くしたばかりの少年や、死線をさ迷った男など・・・「死」はこの物語の隠れたテーマとして、オッコの明るさの裏に絶えず付きまといます。

そして「不穏な動悸」が最高潮に達した時に、決定的な瞬間が訪れます。

「オッコは善良な大人に囲まれ、見守られて幸せだ・・」と観客が確信した時、小学6年生の女の子には残酷過ぎる運命がオッコに襲います。観客は、ただ唖然としてスクリーンを見つめるばかり・・・。そして、オッコの決断と決心は、彼女のみならず、茫然とする観客への救済となり感涙でスクリーンが滲んで見えなくなりのです。

「華の湯温泉のお湯は、誰も拒まない、神様から授かったお湯なんです」と劇中何度も繰り替えされる言葉は、実はオッコ自身の救済も意味していた事に観客は気づくのです。

■ 作画の凄さと言ったら・・・ ■

当然ながら、作画も背景も素晴らしいの一言。

特にジブリを支え続けた高坂の作画は、ほれぼれするばかり。

原作の挿絵に忠実なシンプルなキャラクターですが、動きの隅々から、表情の一つ一つから小学生らしい生命力が溢れ出します。基本的には人間の肉体の動きに忠実なのですが、ちょっとデフォルメする事で、アニメならではの生命感がみなぎります。

オッコの中居修行の一連のカット、廊下を雑巾がけする時の脚の描写、草履の鼻緒が切れた時の小走り・・・もう惚れ惚れとする動きの連続です。


さらには、オッコが若おかみになると決めた時に、ウリ坊が天井を突き抜けて大空に舞い上がり、喜びを表現するシーンでの俯瞰カットの使い方・・・無意味な俯瞰を多用した『未来のミライ』の細田監督は爪の垢でも煎じて飲むが良い。

このシーンと鯉登のシーンは、2次元であるアニメ―ションが実写以上に3次元的表現に長けている事を実感するでしょう。

■ 構成と演出が、素晴らしい音楽を奏でる ■

オッコの中居修行という明るいテーマが流れる裏で、ボレロのリズムの様に「死」の影が次第に旋律に覆いかぶさり、最後は救済と希望のファンファーレへと雪崩れ込んでいく・・・そんな壮大な楽曲を思わせる展開の力強さに圧倒される作品です。

脚本と演出が一体となって、90分という時間をフルに使って観客をカタロシスへと導きます。高坂監督の『茄子、アンダルシアの夏』で感じた「物語を駆動するリズムの弱さ」は、『若おかみは小学生』では完全に克服されています。

脚本の構成の巧みさと、演出の巧みさがガッチリと噛み合った時、こういう傑作が生まれます。


■ 恥ずかしがらず、堂々と傑作を鑑賞する為に劇場にGO!!。ハンカチは2枚で ■

この作品が『この世界の片隅に』の様なヒット先になる事は無いでしょう。(有名人がTVで紹介したり、日経や朝日新聞が特集を組まない限り・・・)

しかし、私は全ての方にこの作品を全力でお勧めします。アニメの技法が・・・とか、脚本の技術が・・・なんて細かい事は無視で、「骨太の物語」として、昨今の小手先ばかりの映画(実写も含む)の対極にある作品だからです。

奇をてらう事の無いシンプルなストーリーの何と素晴らしい事か。この作品を前にNHKの朝の連ドラは「ゴミ」と言えよう!!



ちなみに昨日、家内を半ば強引に劇場に連れて行き、2回目を観ました。ラストのクライマックスで家内は隣で盛大に鼻を鳴らしていましたが、「全然泣けないじゃん、アレルギーで鼻が出たけど」って‥‥正直じゃないんだな。

リーマンショックから10年・・・皆が「ソロソロ・・」と思うから崩壊するバブル?

2018-09-17 11:02:00 | 時事/金融危機
 

■ リーマンショックから10年、そろそろ・・。 ■


リーマンショックから10年が経過しました。新聞なども「バブル崩壊が再び近づきつつあるのか?」的な論調が散見される様になりました。

アメリカの過去のバブル崩壊が、ほぼ10年ずつ繰り返されて来たという「経験則」から、「バブル崩壊は近い」という私の様な短絡的な予測は、今後増えて来るでしょう。


■ 「そろそろ」と皆が思うとバブルは崩壊する ■


ダウが市場最高値を継続するなど、市場はバブルの雰囲気を漂わせtえいますが、薄く伸び切った風船でも、指で押す程度では、なかなか破裂しません。

風船が破裂するには二つの原因が考えられます。

1) 空気を入れ過ぎて破裂する
2) 針先など鋭利な突起物が刺さる事で破裂する

空気の入れすぎとは、資金の過剰供給の事を指しますが、これだけでは中々破裂しないのがバブルの面白い所。バブル的状況にあっても「まだ大丈夫」とか「もう人稼ぎ」と考える人が多い間は、市場は簡単には崩れません。


一方、風船が有る程度膨らんだ状態では、針先などのほんの小さな穴が風船を破裂させます。これは風船の表面のゴムが薄く伸び切っている為に、小さな穴から一気に亀裂が風船表面に広がるからです。

「もうしばらくバブルが膨らむ」余地が在ったとしても、それなりに膨らんだ風船は、針の一刺しには耐えられないのです。

人々が「ソロソロ・・・」と身構え始める時には、風船の表面は相当に薄く伸び切っています。こうなると針の一刺しの様な些細な原因でも風船は容易に破裂します。

この「針の一刺し」は往々にして〇〇ショックなどと呼ばれます。

■ 問題は「針の一刺し」では無く、ゴムが伸び切っている事 ■

〇〇ショックなどと呼称すると、バブル崩壊の原因がそこに在る様に錯覚します。しかし、問題の本質はゴムが伸び切るまで風船を膨らませた事に在ります。〇〇ショックというのは破裂の切っ掛けに過ぎず、伸び切った風船は様々な要因で破裂します。

リーマンショックを例に取るならば、リーマンブラザーズの破綻は切っ掛けの一つに過ぎず、仮に、あの時、リーマンブラザーズを米国政府が救済したとしても、別の問題によって金融危機は起きていたでしょう。

風船のゴムが伸びる原因は、中央銀行の資金供給です。風船の破裂を防ぐには市場への資金供給を減らせば良いのですが、そのタイミングが遅れると、「資金供給の低下」が針の一刺しの原因になります。

■ 「好調な米国経済」というオマジナイ ■

「米国の実体経済の指標は悪く無いからバブルなんて起きていない」という主張をする方もいらっしゃいますが、バブルが継続しているから実体経済の数字もお化粧されているとも言えます。

現在の世界経済は実体経済よりも資産市場の規模の方が巨大ですから、実体経済は資産市場に従属的です。世界の資金循環が活発だったり、米国へ資金還流が起きている間はアメリカの実体経済は好調のハズ。

昨今の米国経済のエネルギー元は、新興国市場から回避し始めた資金が米国内に還流している事。程よい米国債金利の水準が資金還流を手助けしています。

■ 10年債金利3%という心地良い金利 ■


米国の実体経済の好調予測でインフレが予想されると米国債が売られ金利が上昇します。一方、10年債金利が3%に近づくと、新興国から回避した資金は米国債に流れ込むので金利の低下要因になります。

こうして、程よい金利が持続する事で、FRBは米国債金利の急上昇に煽られる事も無く、淡々とFRBのペースで金利を上げる(正常化)する事が出来ます。

金利を上げるにしても「FRBは市場の期待を裏切る速度では金利を上げない」という信頼感が有る内は、市場は平穏を保つ事が出来ます。


■ 気が付いたら結構金利が上がっていた・・・ ■



トランプの保護的な通商政策は、輸入物価の上昇によってアメリカ国内の物価を上昇させます。これは金利上昇を促します。


FRBはインフレ抑制の為に金利のゆるやかな上昇を繰り返しますが、ふと気づけば金利が結構上昇していた・・・なんて事態も起こり得ます。

そうして人々がふと我に返った瞬間、「ソロソロ」という恐怖が急激に伝搬して行きます。バブルが弾ける前に売り逃げ様という動きが活発化したら・・・崩壊は一気に進行します。


結局、米の実体経済の動向よりも、FRBの利上げに市場が反応を強めるなならば、「ソロソロ」なのかも知れません。

淘汰される地方銀行・・・資金移動の広域化

2018-09-12 06:24:00 | 時事/金融危機
 

■ 安倍内閣の中では評価の高かった森前前金融庁長官 ■

安倍内閣の閣僚の中で、森前金融庁長官は評判の高い人物でした。

1) 国債金利がゼロ近傍の中で地銀は従来のビジネスモデルを捨てる必要性を強調
2) リスクを取りたがらない地銀のリスクテイクを促し、スルガ銀行を称賛
3) 地方銀行の生き残りの為のM&Aを推奨

4) リスクの高い個人投資への警鐘
   毎月分配型投資信託
   個人年金保険(特に外貨建てのもの)などの貯蓄性保険商品
   ラップ運用(特にファンドラップ)

 
1)~3)は国債の金利がゼロ近傍に張り付く(国債価格が高止まり)する中で、地方銀行の国債依存は将来的な国債価格下落(金利上昇)に大して大きな脆弱性を抱えている問題に起因します。今のままの低金利が続いても地方銀行はジリヒンですし、仮に国債金利が上昇しても含み損で債務超過に陥る可能性が高い。

金融監督省庁としては、地方経済を支える地銀の崩壊は看過する訳にはいかず、警鐘を鳴らし続けていました。

4)に関しては、老人などを相手に銀行が怪しい金融商品を乱売して手数料を荒稼ぎする中で、そのリスクを老人達が理解していない事への警鐘です。金融庁としては、低金利時代の庶民の資産運用は「貯蓄から投資」が好ましいと考えていますが、一方でリスクの高い投資で個人が「損をしたという負の記憶」を植え付けられる事を避けたいのではないかと・・・。

いずれにしても、森前金融庁長官は金融システムの事を良く理解しており、他の閣僚に比べて「的を得た発言が多い」と評価されて来たと思います。

■ スルガ銀行をベタ褒めしていた森前長官 ■

地銀ん新なビジネスモデルとして森前長官が何度もフューチャしていたのが、女性向けシェアハウス「かぼちゃの馬車」を巡る不正融資で注目を集めるスルガ銀行です。

他の地銀が住宅ローンなどリスクの低いビジネスに引きこもる中で、積極的にリスクを取るスルガ銀行を次世代の地銀のあるべき姿として、大きく評価していました。しかし、今回の事件で、そもそものリスク管理が成されていなかった事が明らかになります。

沼津を本拠地とするスルガ銀行ですが、地元での評判は昔からスコブル悪い。同じ静岡の地銀でも静岡銀行は堅実経営の優等生、一方、スルガ銀行は昔からオーナー一族の争いが絶えない問題児というのは、地元では昔から有名な話。(これ、静岡で仕事をしていた親父から聞いた話。半分ボケが入っていますが、昔の話は良く覚えています)

当然、金融庁のトップがスルガ銀行の悪評を知らないハズも無く・・・本来ならば、スルガ銀行のリスク管理を問題視するべき所を、逆に持ち上げていた。

今回のスルガ銀行の一件で、森前長官の評判は随分と下がりました。

■ 80年代に地銀が淘汰されたアメリカ ■

資本主義の世の中にあって銀行とて弱肉強食の脅威に晒されます。かつて13行あった日本の都市銀行も今では5行となってしまいました。

一方、地方銀の統廃合は進んでいません。地方の衰退によって自県内だけではビジネスが成り立たなくなった地銀は、営業の広域化を進め、他県での融資を積極化していますが・・・お互いがお互いのテリトリーを侵食するだけなので、金利の叩き合いになって利益に結び付き難い。

アメリカでは80年代に地方銀行の規制緩和が行われ、地銀の活動が広域展開し易くなります。そこで、ウェルズファーゴやバンカメ、USバンコープといった地銀が積極的にM&Aを進め、広域巨大銀行へと成長して行きます。

広域化のメリットは様々ですが、地方の外の銀行を排除する事によって市場を寡占すれば、金利金利を高く維持する事が可能です。

実は自由競争や市場主義で多くの人が誤解しているのは「自由競争が価格の低下を促進する」という点です。市場で淘汰が繰り返される間は価格や金利は低下してますが、ある程度寡占化が進むと価格や金利は上昇に転じます。それを防ぐ為に独占禁止法が有るのです。

何れにしても、金融庁の思い描く地方銀行の再編モデルは80年代以降のアメリカでは無いでしょうか。

■ 儲からない地銀が集まってもリスクは減らない ■

ところで、今回のスルガ銀行の事件が明らかにした事は、「地方においてリスクに見合う金利が確保できる投資物件は枯渇している」という事です。地方銀行は住宅ローンなど、リスクに見合る担保を取れる確実な投資しかしませんが、縮小を余儀なくされた日本の地方において「成功」する投資物件は非情に限定的です。

ですから、金融庁がいくら地方銀行の統廃合を進めても、儲からないビジネスを行う銀行同士が合併しもてメリットを事務やシステム管理の経費削減や、資本力強化による若干のリスク耐性の強化や資金調達コストの低減くらしでしょう。

本来は地域に密着して有望な企業家をサポートし、地域経済を活性化させるがのが地銀の役割ですが、バブル崩壊以降、地銀は保守的な経営に終始していまっしたから、「地域産業を育てる」というノウハウが既に失われています。まっとうなリスク管理が出来ないのです。

だから、停滞する地域経済の中で営業成績を上げようとすると、スルガ銀行とカボチャの馬車の様な不正に走ったり、アパートローンの様に将来的にはローンの借りてが絶対に損をする様な詐欺ビジネスが横行します。

■ 地域の隅々から吸い上げたお金をグローバルに運用する? ■

地銀の生き残り戦略の一つとして、地域から集まった預金の運用をメガバンクに任せるとい試みも始まっています。

日本はゼロ成長経済ですからリスクに見合う投資物件は地方には多くは存在しません。しかし、世界に目を転じればアメリカ国債だって十分な金利水準になっていますし、新興国の金利は相当に高い。ただ、為替リスクや相場の変動リスクを十分にヘッジする運用ノウハウを地銀の行員は持ち合わせません。

金利が高いからといって海外の怪しい金融商品に手を出すと、為替や相場の下落で痛い目に遭います。

ですから、資金運用をノウハウを持つメガバンクに任せるという手段は地方銀行にとって魅力的ですし、投資資金が増えるメガバンクにとってもウィン・ウィンの関係となります。

しかし、この方式ですと地方のお金は都市部や海外で運用されるので、地域経済を活性させる事は出来ません。金利が得られる富裕層は裕福になりますが、資金が吸い上げられた地方経済は疲弊します。


■ 世界の隅々から庶民のお金を集めたら破綻させる・・・・ ■


実は国際金融資本家たちは金利を巧みに操作して、世界の隅々からお金を吸い上げています。そして、庶民がコツコツを貯めたお金で投資をして利益を食い漁ります。

しかし、「全員分の利益が無い」というのが世の常。結局は好むと好まざるに関わらず、逃げ遅れるのはいつも庶民の資金です。

日本では預金が未だにメインですからリスクは低いと思うかも知れませんが、地方銀行の預金も海外で溶けて亡くなる可能性は充分に高い。

従来は、政府が資本注入したり大手行に救済させて来ましたが、それは損失を国民の税金や、預金者の金利で肩代わりしているに過ぎません。

これが金融資本家達の常套手段です。彼らは大きな危機を起こして誰かの損が確定する時に、利益を確定するのです。


■ 大蔵省から金融庁を独立させた意味 ■

金融庁は庶民の味方と思っている方は大きな勘違いをしています。

そもそも金融庁はノーパンシャブシャブ事件を切っ掛けとした大蔵省の解体で、誕生した省庁です。あまりにも権限が大きく、アメリカとて手の出せなかった大蔵省から金融庁を分離させて、グローバル金融の傘下に日本を組み入れる事を目的とした省庁だとも言えます。

だから、「地方銀行の統廃合」にしても、「貯蓄から投資」にしても、論理的に正しくても、結果が日本人の庶民の為になるとは限りません。

これは「郵政民営化」も同様です。「ゆうちょ銀行」は現在は世界最大で最悪の機関投資家となってしまいました。

■ フィンティングの時代に地方銀行は生き残れるハズが無い ■

地方銀行は、地方に充実した支店網を持ち、地域の経済に資金を供給する重要な役割を担っていました。このきめ細かな支店網や融資は、メガバンクには不可能でした。

今後、金融の電子化が進み、PC上でお金の貸し借りが容易になれば、地域密着の支店網の意味は薄らぎます。庶民はカタログをめくる様に、PCで預金金利の高い銀行を検索し、同様に金利の高い投資を物色します。

投資のリスク判断をしたり、コーディネートをする様なビジネスやサイトは増えて行きますが、地方の小さな投資案件のリスクは判断する事は益々難しくなるでしょう。

地銀が地道に地方の優良投資先を開拓しても、グローバルな金利の前には見劣りします。当然、地銀から資金は流出して、経営は成り立たなくなるでしょう。


■ 地銀が悪いのでは無く、過度のグローバル化が問題なのだが・・・ ■


いままでの記述だと、経営努力を怠った地銀が悪い様に受け取られるかも知れませんが、実は地銀は悪く無い。悪いのは過度のグローバル化です。

お金が金利に引っ張られるという性質上、成長力の落ちた地方経済から資金が流出するのは必定です。

政府は地方再生と言って、盛んにバラマキを繰り返しますが、このお金は金融を通じて地方から海外にどんどん流出してしまいます。これは見方を変えれば日本人の税金で海外の発展が達成されているのと同義。

グローバル的には正しく、日本ローカルや、地方ローカル的には間違っています。そのベストバランスを探るのが本来の政治や官庁の役目であって、「地銀の時代は終わった」と切り捨ててしまうのは無責任と言えます。


尤っも、今後、地銀からは優秀な人材がどんどん流出して行くでしょうから、好むと好まざるを問わず、地銀の生き残りは難しくなるのでしょう。





『ポップ・アイ』・・・象と旅するロード・ムービー

2018-09-08 00:11:00 | 映画
 


映画『ポップ・アイ』より


家内と映画を観に行くと二人で2200円。但し、問題は「同じ映画」を観なければイケナイ事。だから我が家では、めったにこの割引を使う事は出来ません。「同じ映画館で別の映画を観ても割引だったら良いのに・・・」とは家内の弁。


この制度を利用して観に行ったのは『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』『未来のミライ』と全てアニメ映画。さらには映画代は私持ちというのが暗黙の了解。それでもアニメなんて見たく無いという家内を、さんざん拝み倒して、「息子がこの監督好きなんだよ、きっと話が合うよ」なんて家内の琴線に触れるマジックワードを囁いたりしてみます。

本当はアニメ映画以外も一緒に観たいのですが、私の実写映画の趣味は普通の人とズレているので、多分家内は退屈してしまうでしょう。かと言って、話題のハリウッド映画なんて、お金出して観たくも無いし・・・。

ところが、先週、家内が休日に暇だと言うので、映画でも行こうかとネットで検索したら「タイ」の映画を見付けました。我が家は息子の保育園時代から20年以上、タイ人のお母さんのご家庭(ご主人はアメリカ人)と家族ぐるみの付き合い。家内や子供達はタイにも一緒に遊びに行っています。

「これ、タイの映画だってよ。観て観ない?」と誘ったらOKを頂きました。勿論、映画代は私持ち。場所は渋谷のユーロスペース。

■ 象と旅するロード・ムービー ■


私はその国の現状を知るのに、旅行以上に映画が役立つと考えています。映画には観光地を旅行しただけでは分からない、その国の裏事情や、庶民の生活や文化が詰まっています。

私はタイには行った事は有りませんが、仕事で出かけた東南アジアの国々では、よくフラフラとマーケットや裏通りや郊外を散策するので、観光地以外のアジアの素顔はある程度は知っています。一緒に仕事をすると、国によって随分と国民性が違う事も良く分かります。

ネットに載っていたタイ映画の『ポップ・アイ』のスチル写真からは、そんなアジアの国の肌触りが伝わって来ました。

<ここからちょっと粗筋>

歳を取り、事務所でちょっと邪魔な存在となった著名な建築家のタナーは、ある日観光用の一匹の象に出合います。彼は子供の頃、田舎で象を飼っていましたが、泣く泣くその象を売った事があります。彼は街で出会った象を、かつて飼っていた象の「ポパイ」と確信します。

タナーは思わず象を買い取り、家に連れて帰ります。彼の家は広い庭がある豪邸・・・。ところが、夜中に象が家の中に入り込んでしまい、妻が激怒して家を出てしまいます。実は夫婦仲は最近冷え込んでいたのです。

庭で象を飼う訳にも行かず、タナーは象を500km先の故郷に還す事に。ここから象と中年男の旅が始まります。途中、様々な人と出会い、人の縁に導かれる様にして故郷に向かうタナーでしたが、500kmの道のりは遠い・・・。

何の変哲も無いタイの田舎を永遠と象と旅をするロードムービーですが、これ「名作」認定します。とにかくロードムービーって演出が過剰だっり、突飛な事件が起こると興ざめなのですが、かといって2時間近く、ただ移動するだけの映像を観るのは退屈です。その匙加減が難しい。

何も起きないロード・ムービーの代表格がウィム・ヴェンダースの『都会のアリス』だとするならば、山田洋二の『幸せの黄色いハンカチ』は、丁度良い塩梅に小さな出来事が繋がって行き。最期に再会というメインイベントが起こる。

『ポップ・アイ』はちょうど、その間って感じで、淡々としているけれども、退屈もしない映画。なんだか、自分も象と一緒に旅をしている・・そんな錯覚を覚える様になると、後はスクリーンに流れる時間に身を委ねるだけ。ちょっと眠気も覚えながらも2時間が過ぎて行きます。

途中、家内が寝てないかチェックしていましたが、結構真剣に観ていました。むしろ、私がウトウトしたら、肘で小突かれました・・。

■ 過剰な映画が氾濫する中でキラリと光る ■

所謂ミニシアター系の作品は結婚するまでは散々観て来ましたが、ある程度のバリエーションを観てしまうと、「感動」する様な作品にはなかなか出会えなくなります。

かといって、ハリウッド映画の様に計算されつくされ、「さあ、感動してください」って感じの映画は全く受け付けません。そんなこんなで、最近は年に2~3本、仕事の合間にたまたま上映してる映画を観る程度になってしまいました。

映画ファンと言うのが恥ずかしい状況ではありますが、何故だか、フラリと入った映画に外れは少ない。昔から映画はスチル写真で観るかどうか決めていますが、スチルに魅力のある映画にハズレは少ないというのが私の持論です。

『ポップ・アイ』もスチルに惹かれました。

監督はシンガポールの新鋭、カーステン・タン。台湾のホウ・シャオエンに似た肌合いの監督です。人物と観客の距離感が絶妙な監督。

主演は、かつてはタイのプログレッシブロックシーンで名を馳せたというタネート・ワラークンヌクロという方。何と映画初出演だそうですが、なかななの演技でした。(というか演技をしていない所が絶妙に良い)

この映画、見どころといか聴きどころは音楽です。タナーの携帯電話の着信音はニーノ・ローター風だったり、エンディングはエンニオ・モリコーネ風だたりと、映画ファンには心憎い選曲。そしてタイの歌謡曲が日本の演歌に似ていたりと聴きどころも満載。


ところで、劇場を出た後の家内の感想はというと・・・・特に有りません。実は私も何も語る事が無かった。ツマラナイ作品だったからでは無く、言葉にしなくとも、何となく心に浸透して理解できる作品だから。


こういう映画、一生、記憶に住み続けるんですよね。そういった意味でもホウ・シャオエンや小津安二郎に近い監督だと思います。

予告映像を紹介しますが、予告でダイジェストにしてしまうと、この映画の良さは伝わり難いですね。





最後にこの映画を名作としているのは、象に乗って旅するのでは無く、象と一緒に歩いて旅をする点。この違いは大きい。