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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

機能停止状態にある日本の国会・・・憲法改正の最優先課題とは

2017-10-31 06:01:00 | 時事/金融危機
 

■ 「国会運営」という名のプロレス ■

「国会運営」なる言葉をニュースで良く耳にしますが、国民にはチンプンカンプンです。

昨今の様に与党が国会で安定的な多数を占める状況では、いかなる法案も強硬的に可決しようとすれば出来てしまいます。しかし、実際にはそれは最終手段であり、会期ギリギリまで政府は国会で野党の質問攻めに合っています。尤も、最期は多数決の原理に則り、多少の修正が加えられたとしても法案が可決される場合が多い。

これは一つの儀式の様なもので、「民主主義が機能している」と国民が信じる為には、「国会できちんと話し合いが行われている」というポーズを示す必要が有るのです。

もし仮に与党が強行採決を繰り返したらどうなるか・・・国民の多くは「国会が機能していない」と判断し、次の選挙で与党の票を削り、与野党伯仲の状況になるはずです。だから安定的な多数を確保していても、「国会運営」においては与野党ともそれなりのプロレスが要求されます。

■ 憲法が定める「臨時国会の開催要求」 ■

先日の国会では、日本の国会のシステム的な問題点が見事に露呈しました。

モリカケ問題で野党の追及が厳しくなり、内閣支持率が低下する中で安倍政権はどうにか通常国会を乗り切りました。

通常であれば、次の通常国会まで休会となりますが、野党は「臨時国会」を開催しろと政府の要求します。

憲法第五十三条
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。


野党は憲法53条に則り「臨時国会の召集」を要求しましたが、内閣はこれに応じず「休会中審議」でお茶を濁します。当初は安倍首相が出席する予定は無かったのですが、内閣支持率がジリジリと下がり、仕方なく首相が出席し「丁寧な説明」と発言して国民を納得させようとします。

この間も野党は「臨時国会の召集」を要求し続けましたが、内閣はこれを拒み続けます。しかし、このまま臨時国会の召集を拒み続ければ明らかな憲法違反になりますから、どこかの時点では臨時国会を召集しなければならない。

■ 北朝鮮のミサイル発射と「臨時国会の冒頭解散」 ■

出来ればモリカケ問題が沈静化するまで、或いは加計学園の大学審議会の審査が終了するまで臨時国会を召集したくなかった安倍首相ですが、風向きが突然変わります。

北朝鮮が相次いでミサイルを発射し、「Jアラート」に国民が度肝を抜かれたからです。これで内閣支持率が回復し始めます。

さらに「安倍首相でなければ憲法改正を成し遂げる事は難しい」。「野党が憲法改正に反対している間にも北朝鮮は日本にミサイルを撃ち込むかも知れない」。こんな声が国民の間で急激に広がります。

この状況に焦りを抱いたのは民進党です。憲法改正に消極的な党内のリベラル勢力を抱えたままでは支持率が下がる事が明確だからです。

安倍首相はこの「潮目」の変化を見逃しませんでした。「臨時国会を召集」して、冒頭で衆議院の解散を宣言したのです。

■ 憲法7条の「衆議院の解散」■

社会科の授業では、「内閣不審銀案が可決された場合、内閣は衆議院を解散する事が出来る」と教わります。

憲法第六十九条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない


これは「対抗的解散」とも呼ばれ、内閣は不審銀決議案が可決された場合、総辞職するか、或いは衆議院を解散して国民に是非を問うものとされています。

しかし、今回の臨時国会で野党は不信任案を提出していません。議席数が過半数に届かない状況で不信任案を提出しても与党側に否決されるだけだからです。ところが、何故か安倍首相は臨時国会冒頭で自ら衆議院の解散を宣言します。

憲法第七条(天皇の国事行為)
天皇は内閣の助言により衆議院の解散を宣言する


通常は次の様な流れで憲法第7条が運用されます。

1) 内閣不信任案が可決される
2) 首相が衆議院の解散を決める
3) 衆議院議長は本会議において「日本国憲法第7条により衆議院を解散する
   という解散詔書を読み上げる

ところが、今回の冒頭解散では、安倍首相は7条だけを適用して自ら衆議院を解散してしまいまいした。実はこれと同じ事を、民主党政権時代の野田首相が実行しています。

■ 解散によって自公が安定多数を占める不思議 ■

本来は内閣不信任案とセットであるべきの首相による衆議院の解散ですが、これが単独で行使われると色々と問題が発生します。

1)事件などによって与党に大幅に有利が世論が形成される
2)与党の首相が衆議院を解散して、有利な状況で衆議院選挙を行う
3)選挙の結果、与党の議席が大幅に増える

実は非常にトリッキーな方法ですが、野田元首相の解散は、自公の票が大幅に増えるタイミングで行われています。いくら世論が民主党政権に否定的であったとは言え、衆議院で民主党が多数を占める状況で不自然極まりない。

同様に今回の安倍首相の解散も、北朝鮮のミサイル発射で世論が若干安倍支持に動いたとは言え、共産党と民進党が仮に共闘したとすれば、与党の衆議院での安定多数は崩れていたはずです。

この明らかに不自然な解散によって、結果としては自民党と公明党の与党が衆議院の2/3以上を占める結果になっています。

私は安倍首相が解散を実行した時点では、小池氏と前原氏の話が着いていたと妄想します。そして、安倍氏と小池氏との間では、今回、小池氏が衆議院選挙に立候補せず、公約もグダグダで新党が自滅する筋書きも出来ていたと妄想しています。

だから安倍首相は解散に踏み切った。

■ 問題の多い憲法7条による衆議院の解散に制約を加えるべきだ ■

あくまでも陰謀脳による妄想ではありますが・・・

憲法7条によって首相が勝手に衆院を解散する事が出来てしまう現行憲法には、上記の様な大きな問題が存在します。

これは「天皇の国事行為」という「衆議院の解散を拡大解釈」して強引に運用しているだけなのですが、それに歯止めを掛ける法律が存在しません。

本来ならば、この様な法律システムの欠陥は、法律の改正によって是正されるべきですが、与野党ともこの問題に触れる事はありませんでした。何故なら、野党が政権を取った時にも便利に利用出来る抜け道だからです。

今回、枝野氏は憲法改正議論に当たり、9条よりも7条の改正を優先すべきだと主張しています。これは全く持って正しい意見です。憲法7条の拡大解釈を放置したままでは、今回の選挙の様にこれを与党が便利に利用して勢力を伸ばす事が出来るからです。

憲法7条に制約を加える方法として、憲法改正よりもハードルが低いのは「国会法」の改正です。ここに「内閣は不信任案の可決無くして衆議院の解散を宣言出来ない」と加えるだけで、現在の異常な状態は解消します。


「議会制民主主義」の根幹に関わる、憲法と法律の根本的欠陥を国民が容認するのであれば、飾りだけの民主主義なんて犬に食われた方がマシだ。



地縁、血縁の政治・・・どこぞの国の話

2017-10-30 23:10:00 | 時事/金融危機
 

イギリスが他国を裏から支配する方法に、「マイノリティーに権力を持たせる」という手法を用いる。中東などでも、あえて少数勢力の部族長を王にする。すると、彼らは権力維持の為にイギリスの力の後ろ盾を必要とし、結果的にステルス支配が完成する。

日本の明治維新の後ろには、イギリスの影がチラチラと見え隠れしますが、彼らが好意で日本に加担したとは到底思えない。当然、彼らの支配が及ぶ仕掛けがあったはず。

同様にイギリスの意思を継いだアメリカが戦後日本をステルスに統治する為には、マイノリティーに権力を持たせ、これを裏から支えるという構図は合理的とも思える。

時代遅れのアナクロイムズを振りかざすのは、「保守」を自称し始めた枝野氏だけでは無い。日本の中枢に居る者達も、戦前復古主義的なアナクロイムズを標榜しているが・・・これを真に受けるのは危険かと。何故彼らはそういうポーズを取る必要があるのかを考えるのも楽しい。

血縁、地縁を重視する政治はお隣の国の専売特許では無い。我が国を外から眺めたら、政治形態は大して変わらないのでは無いか。これをアジアの特殊性と見るのか、あるいはどこかの国の民族性と見るのか・・。

怖いのは党執行部が候補者を決める今のシステム。仲間が仲間を呼び寄せ、気付けば国家が乗っ取られるというのはネトウヨの妄想では無いかも知れない。既に日本はそうなっていると妄想するのも楽しい。

こういう極端な視点から今の日本を眺めると・・・意外に合理的で整合性が取れている様に感じる。


憲法に定める国会の開催を伸ばすだけ伸ばしたあげく、冒頭で解散を宣言する・・・・・。これでは国会は機能していないに等しい。


隣の国の大統領が失脚する度に、隣国をバカにする者達も多いが・・この国では既に国会が機能していない・・・。憲法9条をどうこうする前に、衆議院の解散権に制約を掛けないと日本は一部の者達の思いのままになる事に気付いている国民はどれだけ居るのだろうか?

モリカケ問題はオワコン?・・・粛々と「処理」されていく

2017-10-26 12:29:00 | 時事/金融危機
 

■ 衆議院解散の目的は達成されたのか? ■

「大儀無き解散」と言われた今回の解散総選挙。安倍首相は「北朝鮮の脅威」と「待った無の少子化対策」を「国難」と定義しました。

一方で、世間の殆どの人が「モリカケ隠し」が今回の解散の目的だと考えています。これは安倍信者のネトウヨとて本心ではそう思っているに違いありません。「モリカケ問題で国会が紛糾しては、もっと大事な審議に費やす時間が無くなる」と言い換えてはいますが・・・。

選挙の結果は自公と野党の議席数は変わらないので「モリカケ問題のミソギは済んだ」とされる可能性が高い。メディアは野党の集合離散など、目新しい話題に報道の中心を移して行くでしょう。民主党が解党していない現状で、立憲民主党も希望の党も選挙選を戦う為の「集まり」に過ぎません。正式に離党していない限り、旧民進党議員の党籍は現在も民進党のままです。

民進党を解党しなければ「政党助成金の山分け」が出来ないので、参議院や地方組織も含めて、今後民進党をどうするのかが、しばらくメディアの注目の的となります。

報道各社は選挙翌日に申し訳程度に「森友・加計問題は終わっていない。丁寧な説明を」などとこの問題に触れていますが、既にニュースとしての旬を過ぎてしまいました。

安倍首相は首班指名の特別国会を召集した後は、野党が希望しても臨時国会は開く事は無いでしょう。そして来年1月の通常国会の頃には、加計学園の獣医学部の大学区設置認可が下りていますkら、この問題は「解決済み」とされるハズ。「文科省が認可したのだから、何ら問題は無い」と言えば国会は乗り切れます。

自公が解散前の勢力を維持し、さらにや民進党を分解して改憲勢力の希望の党まで作り上げたのですから、今回の解散総選挙は安倍自民党内閣としては100点以上の結果になったと思います。

■ お飾りの第三者委員会 ■

今治市では加計学園の補助金を差し止める住民訴訟が起こされています。これを受けて氏では第三者委員会を設けて、大学の運営や、建設コストの妥当性を審査する事になりました。

尤も、企業の不祥事に際しても設置される第三者委員会ですが、大抵は企業に都合の良い結論しか出しません。「第三者委員会を設置して調査したが、重大な問題は見つからなかった」という言い訳の為の設置されるからです。

ですから、今治市の設置した第三者委員会が加計学園で大きな問題を指摘する可能性はゼロですが、それを理由に今治市の行政訴訟は不発に終わるはずです。

■ 大学審議会の認可がいつ下りるのか ■

「衆議院選挙の翌日に電撃的に大学審議会が加計学園の獣医学部の設置認可を出すのでは無いか」との憶測がネットでは広がっていました。生徒の募集を考えると、タイムリミットが迫っており、電撃解散もそこから逆算さたとの噂も。

この憶測は外れましたが、しかし、今月中には認可を出さないと実際に生徒募集に支障を来すかも知れません。今、一番プレッシャーを感じているのは審議委員の方達だと思いますが、8月末に問題点を指摘したので、今回の審議は、問題点が改善されたかどうかだけを検討するはずです。

教員数と、実習カリキュラムの組み方が改善されたら、審議会はあっさりと認可を下すはずです。

■ 違法性が認められなければ事件にすらならない ■

森友問題にしても、加計問題にしても、多くの国民は「もの凄く怪しい」と考えていますが、しかし検察が起訴をしなければ「事件」にもあんりません。単なる「疑惑」で終わります。

森友問題では籠池夫妻が、工事費を水増しして補助金を不正にだまし取ったとした詐欺罪に問われていますが、一方で、国有地を不当に安く払い下げた財務省の近畿財務局の問題を検察は「事件」とは捉えていません。

森友学園同様の工事費水増しがあった可能性が高い加計学園の獣医学部も、検察は「事件」として捉えてはいません。

「住民訴訟」が起こされると「事件が有った」様に報道されますが、これは「名誉棄損」の訴訟の様に、一方的に訴えを起こしただけで、「違法行為」があったかどうかは裁判所が判断する事です。判事が違法性を認めなければ「事件」にはなりません。

■ 民主主義の末路 ■

日本において検察も裁判所も決してフェアーではありません。いえ、世界のどの国においても「公平」や「正義」などである国は見当たらないでしょう。特に政治が絡む問題では「正義」はどこかに仕舞われる傾向が強い。

では国民はどうして彼らの信じる正義を貫けば良いのか・・・。政治に関しては「選挙」や「内閣支持率」でしかそれを示す事は出来ません。

ところが、今回の選挙で明らかになった様に、小選挙区制においては、野党が乱立した状態では「批判票」が効力を失います。だから、前原氏らは二大政党制を目指して民進党を割った訳ですが、結果はご覧の有様。むしろ敵に塩を送る結果となりました。

「国民の声が選挙結果に反映されない」というもどかしさを日本人は長年味わい、多くの人が投票所にすら行かなくなりました。

実は私はその事自体に問題をあまり感じては居ません。何故ならば国民は空気に流され易く、自分の利益ばかり追求するからです。だから国民の声が政治にダイレクトに反映されない方が国家運営は上手く行くと考えています。但し、その為には為政者が国民や国家の利益を最優先にするという条件が付きます。

しかし、現在の世界を見渡すと、政治はロビイストである企業に支配されている国が殆どです。これが「民主主義の辿る末路」であり、どこかで決定的にバランスを欠いた時に民主主義は国民の暴動や国家の衰退と言う形で内部から崩壊します。


ある意味においては、最期に安全装置は準備されているのですが、それが作動する時には国民皆が不幸になる時です。結局は民主主義の責任は国民が負うしか無いのです。



既に我が国の首相は「対話」や「会話」が成り立たない人物になっています。私には彼が「準備された原稿」を捲し立てている様にしか見えません。だから予測不能な質問は無視するかキレる。選挙戦を通してTVで一方的に語る安倍首相を観て、それを異常と思わないのならば、国民はどこかでその対価を払わなくてはならないでしょう。


最期は安倍首相への個人的な感想になってしまいましたが・・・それでも私は現状を異常に感じています。だって、私が子供の頃から見ている日本の首相達は、少なくとも「会話」が成立する人達であったから・・・。

ああ、もう一人思い出しました。小泉元首相が会話が成立しない方だった。ただ小泉氏の場合、もはや「芸」の域に達していて...あそこまで行くと一種の潔さすら感じるから不思議。


「崩壊する身体」と「再生する無機物」・・・『宝石の国』

2017-10-25 05:24:00 | アニメ
 

 


『宝石の国』PV(ここをクリック)


■ 市川春子という現在最高のファンタジーの描き手 ■

まさか市川春子の『宝石の国』がアニメになるなんて予想もしていなかった。

そもそも、市川春子が商業誌向けの作品を連載「出来る」と考えていなかった私は、アフタヌーンで連載されている『宝石の国』を買う事すらためらっていました。



『虫と歌』 市川春子 講談社


『25時のバカンス』 市川春子 講談社

私が市川春子を知ったのは2011年に出版された『25時のバカンス』からです。確か帯に「萩尾望都・絶賛!!」と書かれていたと記憶しています。しかし購入の決め手は、浪打際でしどけない表情で横たわる黒ビキニの妙な艶めかしさ。一瞬で悩殺されました。

ところが、中身はファンタジー色の強い「不思議なSF]の短編集で、全然エッチな内容では在りません。一瞬がっかりしましたが、2ページもめくるうちに、独特の世界感に溺れそうになった事を覚えています。現実がフッっと遠のく感じがした・・・。

表題の『25時のバカンス』は、貝に寄生された女性研究者とその弟の話。と言っても科学的な描写は「貝に寄生され共生する身体」という突拍子も無い設定を補完する目的で利用され、彼女の目的は「貝に寄生さえたグロテスクな人体」と「黒ビキニのしなやかな身体」のコントラストを描く事にあると思われます。

「美しい肉体が貝に侵食される様」は、まさに「美しい女性の体が腐敗していく様」でもあり、「身体の崩壊と、それを補完する何か」を描く事が、彼女の作品のテーマとなっています。

『月の葬式』では地球に住む月の王子の体表が、ボタンの様に円形にボロボロと剥がれ落ちて、内蔵がその穴から見える・・・そんな話。これにもSF的な設定がされていて、王子の体表の組織は月の砂などと同じ無機物で出来ていて、地球の環境下ではボロボロと剥がれ落ちる・・・と説明されています。

『虫の詩』の冒頭の『星の恋人』では、死んだ夫の子供を作る為の、夫の体組織からクローンを作りますが、その補完に用いられたのが植物の細胞。生まれた子は、リンゴを切ろうとして指を切り落としますが、その指を挿し木すると、もう一人人間が作れる・・・そんな話。

この様に、市川春子の作品は、「崩壊する身体」と「身体を補完する何か」で構成されますが、「何か」が貝であったり、無機物であったり、植物の細胞であったります。

そして崩壊と補完の微妙な関係性の中から、摩訶不思議なお話が生まれるのです。

■ SFの描き手としのて市川春子 ■

市川春子の作品のSF設定は、あり得ない設定に現実味を付加する「おまじない」として機能しています。

これは20世紀最高のSF作家の一人であるJ・G・バラードの科学的設定に似ています。『結晶世界』では、アフリカの奥地で全ての物が結晶化するという現象が起こります。これ、結晶化の原因は書かれていないのですが、「結晶」という科学的事象が物語の全体を硬質に支えています。

『乾燥世界』では雨が全く降らなくなった後の地球の生活が描かれますが、雨が降らなくなった原因は、「海の表面を極薄い膜が覆い尽くして水が蒸発しなくなった・・」とさらりと1行で説明されます。

市川春子のSF設定もほとんど同質で、「不思議な世界」を成り立たせる為の「おまじない」的な役割を担っています。

■ 『結晶世界』と『宝石の国』 ■

私は市川春子はJ・G・バラードの大ファンだと妄想していますが、バラードの『結晶世界』と市川春子の『宝石の国』は似ている様で実は真逆の作品。

『結晶世界』では生物は結晶化により無機物と化し、生命を失います。一方『宝石の国』では度重なる流星の落下で絶滅寸前にまで追い込まれた生命は、微生物となり無機物の結晶を結合させて人間の姿を形作ります。「結晶は生き物」なのです。

■ 「崩壊する身体」と「結合する無機物」 ■

『宝石の国』でも、「崩壊する身体」と「補完する何か」というテーマが繰り返されます。

宝石故に戦闘によって身体は何度でもバラバラになりますが、それを結合するバクテリアによって無機物の体は、砕け散った欠片を集めれば何度でも再生します。ただ、失われた欠片の分は記憶が失われるだけ。こうして宝石達は300余年という歳月を生き続けています。

■ 荒唐無稽な内容を、商業誌で連載される作品に仕上げたアフタヌーンの編集者は凄い ■

初期の作品の「不思議なSFファンタジー」の描き手としの市川春子は、一部の漫画ファンに熱狂的に支持されますが、一般性を持っていたかと言えば答えはNO。本来、商業誌に掲載される様な作品では在りません。

だから私は『宝石の国』の第一巻が書店に並んだ時、怖くて買えませんせんでした。彼女独特の世界感が薄まってしまっている可能性を憂慮したのです。それにバトル物と市川春子の作風どうしても結び付きませんでした。

しかし、TVアニメを観て、それが杞憂であった事にホットしました。「バトル=身体の欠損」として市川春子のテーマは徹底されていたのです。バラバラに何度も砕け散ります。

特に序盤、戦闘に巻き込まれただけで砕け散った主人公のフォスフォフィライトが、死体を入れる黒い袋に回収されながらも、その中で暴れるシーンなんてシュールを通り越して、市川節の全開!!

■ CGアニメでしか表現出来なかった透明感 ■

アニメ版はCGを使って製作されていますが、宝石で出来ている頭髪の透明感や、肌の透明感を表現するのにCGという選択は最適です。

一方でCGアニメで多用されるモーションキャプチャー的なヌルヌルという動きはあまり多くありません。むしろ手描アニメの様な、動きを省略する事によってスピード感を作り出す演出がされています。(もしかすると、一部は手書きの作画じゃないかな・・CG臭さが無いんだよね・・・)

そして、『進撃の巨人』のアニメ同様に、戦闘シーンでの視点移動が画面にダイナミックな躍動感を与えています。ここら辺は、CGアニメならではでしょう。手描きでも出来ない事は有りませんが、手間を考えたらCGは圧倒的に省力化できます。ただ視点の移動はセンスを必要とします。手描きでもセンスのある作画家でなければ耐えられないシーンですが、CGでも同様に、どう動かして、どう寄るか、あるいは引くか・・というのはセンスの領域。

監督はサンライズでCGを担当していた京極尚彦。「CGを動かす」という意味においてベストな人選だと思います。


『宝石の国』より


『宝石の国』より

CGアニメという事で動きのあるシーンに目が奪われがちですが、極端なロングショットや、極端な位置に人物を配した構図構図など、映像への拘りがビンビンと伝わって来ます。



■ 『宝石の国』のアニメは芸術アニメでありながら商業作品として面白い 


アニメ版『宝石の国』のクオリティーは「芸術アニメ」の域に達していますが、一方で演出は商業作品として十分に面白い。とにかく主人公のフォスフォフィライトが可愛いのですが、その他の人物もキャラ立ちが良い。音楽も素晴らしい。

多分、この作品は、世界のアニメ―ションの現在の到達点の一つです。

CGアニメと言えばピクサーやディズニー作品の様に「縫い包みの様な3Gらしい造形がヌルヌル動く」というイメージが浮かびますが、日本のアニメキャラはあくまでも2次元の造形をしているので、CGと相性が悪い印象でした。

しかし、この作品は、あくまでも「手描きアニメの2次元性」を残しながら、そのさらなる可能性を追求しています。多分、欧米のアニメ作家達が驚愕の思いでこの作品を観ている事でしょう。


はっきり言います。この作品は必ずや日本のアニメの次なる時代を開くエポックになるはずです!!

この作品を観ないのは、人生の無駄遣い・・・・と断言しよう!!


最後に、一般的な「萌え系」とはかけ離れた美意識の地平に存在する原作を、普通のオタクでも楽しめる作品に「コンパイル」した京極監督の手腕に拍手を送りたい。それに大きく貢献している声優陣の素晴らしい演技に感謝を!!




『宝石の国』OP


『ゼーガペイン』OP

ところで、『宝石の国』のOPを観ていると、どうしてもこの作品のOPを思い出してしまいます。それは『ゼーガペイン』。サンライズが本格的にCGを採用した最初の作品だと思いますが、サンライズ出身の京極監督がそこら辺を意識したかどうかは・・・?





「脊髄反射」の政治・・・空虚な劇場型政治

2017-10-23 07:47:00 | 時事/金融危機
 

■ シラケてしまった劇場型選挙 ■

小池代表の「排除いたします」発言で一気に希望の党の人気が落ちて2大政党体制誕生の芽が摘まれた今回の衆議院選挙。

元々、モリカケ問題で臨時国会を乗り切れない安倍首相が苦し紛れに放った解散総選挙でしたが、蓋を開けれみれば自公は解散前からちょっとだけ議席が増えました。

一方で、批判票を一身に集めた立憲民主党が大躍進し、その分、希望、公明、共産党、維新が議席を失った。

■ 敵のターゲッティングを間違えた小池氏 ■

今回の選挙でメディアは「排除いたします」発言以降、小池氏に批判的なでした。小池氏としては今回の選挙選の敵を「化石リベラル」に定めたのでしょうが、これが見事に失敗しました。

「巨悪に立ち向かう小池百合子」を演出する事で票を集めていた彼女ですが、今回の敵が「小物」過ぎたのが敗因でしょう。「弱いものイジメ」感がハンパ無く、判官贔屓の日本人は思わず「化石リベラル」を応援してしまいました。

メディアの記者の多くも左巻きの方達が多いので、「都政自民党と戦う小池百合子」の時程、メディアが彼女を持ち上げる事はありませんでした。

■ ターゲットを「打倒安倍」に変更すれば善戦したかもしれない ■

今回の選挙、少なからぬ国民が「安部政治を許さない」という意識を持っていました。「いつもは自民党支持だけど、今回だけは自民党に入れたく無い」という方も多かったはず。安全保障問題で自民党と近い考えを持つ小池氏は、この層をガッチリと獲得する立場に居ました。

ところが、彼女は最後まで安倍首相をターゲットにする事は無く、有権者をバカにした様な公約を発表する事で、「政治ポリシーが無い」事を露呈させてしまいました。

■ 小池百合子の政治生命は終わったも同然 ■

ジャパンハンドラーの誰かが「今度はユリコだ」と言ったとか、言わないとか真相は明らかではありませんが、彼女は実際に「日本初の女性首相」に一番近い所に居ました。

都知事選、都議選で彼女を支持した女性の多くが、「男社会に立ち向かう女性」としての彼女の姿にエールを送ったはずです。

ところが、小池氏は少し増長してしまった。「排除いたします」はかなり「上から目線」の発言で、小池氏が「弱者としの女性」から、「権力を振りかざす女帝」になってしまった印象を与えてしまった。

芸能人の〇〇バッシングではありませんが、女性は移り気で、昨日まで応援していた女優でも、一たび悪い噂が立てば「私、昔から〇〇って気に入らなかったのよ」と豹変する。

劇場型政治の脆い所は、一度人気を失うと、挽回が難しい所。元々、確固とした主義主張や政治理念が有る訳では無く、「日本初の女性首相」の様な自己実現を目的としていた小池氏は、有権者が醸し出す「空気」を読んで政策を決めていました。ところが、その空気が「小池百合子ってキライ」になってしまったのですから、「魔女っ子百合子ちゃん」のマジックタイムは一瞬で終わってしまいました。

キラキラの衣装が剥がれてしまっては、彼女のマジックは何の効果も生み出しません。これから彼女を待っているのは「都政運営の泥沼」でしょう。

豊洲移転が近づくに従って、「だったら最初から豊洲で良かったじゃないか!!」という怒りの声が沸き上がるはずです。不審を抱いた有権者は、築地の跡地開発にも疑惑の目を向けるでしょう。仮に築地にカジノを誘致しようとしても、ハードルがメチャクチャ上がってしまいました。

こうして都政でも躓くであろう小池百合子は「日本人初の女性首相」という名誉から大きく遠ざかってしまいました。

挽回するには「新たな分かり易い敵」を探すしか有りませんが・・・もはや彼女自身が「都民の敵」になりつつあります。

■ 結局、自民を有利にしてしまった立憲民主党だが・・・ ■

今回の選挙で一番残念だったのが、立憲民主党の旗揚げが安倍政権を助けてしまった事。結果的には希望の党から票を奪うと事で、小選挙区で「反自民」の票を割れさせてしまいました。「立憲+希望」の票数が当選した自民党候補を軽々と越えている選挙区が沢山在ります。

しかし、「モリカケ問題の安倍自民」VS「安倍ヨイショの小池希望」の対決では、国民はどこに希望を持てば良いのか分からなくなってしまったでしょう。

今回の「本当に空虚な劇場型選挙」の中で、国民の民主主義の幻想をかろうじて繋ぎ止めたのは立憲民主党の存在です。枝野氏だけが一本筋を通った主張をしており、ポピュリズムの政治家達とは一線を画していました。

枝野氏の主張を簡単に言ってしまば「草の根からの政治」となるのでしょうが、劇場型選挙で国民の声が政治に反映されなくなったモドカシさを、枝野氏は上手にすくい上げた。


「対米従属」や「親米保守」一色になりつつある日本の政治の中で、国民の声を政治に届け、政権の暴走に歯止めを掛ける政党は絶対に必要です。ただ、それが「化石リベラル」では国民の期待は直ぐに失われます。

私は常々「本当の保守はリアリストでなくてはならない」と書いていますが、「保守本流」を自称する枝野氏と立憲民主党が、どこまで「リアリスト」になれるのかによって、今後の日本の政治風景は大きく変わって来るかと思います。

現実味を帯びて来た憲法改正に対して、彼らが「化石の脊髄反射」で対応するのか、しっかりと「生きた大脳で考える」のかに注目したい。そして、国民もしっかりと「大脳」で考えて自分達の未来を選んで欲しい。


尤も、「脊髄反射で陰謀を妄想する」私は、マスコミが小池氏を応援し続ければ希望の党に失速は無かった・・・と妄想する。

個々の記者がいくら立憲民主を応戦していたとしても、トップダウンで「小池人気を煽れ」と指示が出ていたならば、希望の党は躍進していたはずです。やはり政治を操作しているのはマスコミだというのが陰謀論的な結論。