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人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

武田先生は原子力村の宣伝部長なのか?

2011-09-21 10:41:00 | 福島原発事故
 

■ 1年100(mSv)以下は不明なのだから・・・ ■


「学問で判っていること」
http://takedanet.com/2011/09/post_f23f.html

一部だけの引用では文意が歪曲されますので
全文を引用させていただきます。

<武田邦彦先生のページより引用>

研究者として若く、夢の固まりだった私。物理学を勉強した当時の私はこの世のことは何でも判っているように思っていました。そして科学はその知識を使って「創造的なこと」ができると錯覚していたのです。


40歳ぐらいになった時でしょうか。私の恩師の増子昇先生が「学問は本来、整理の学、解析の学なんですよね」と言われました。ヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」という文章を覚えたのもその頃だったと思います。それとほとんど同じ内容の文章をある読者の方から送っていただきました。


「いずれにしても、自然現象に関する研究は起こってしまってから解説するのが精一杯で、因果関係を解明できるほど発達していない。生物学と同様、わからない方がよほど多いのである。自然現象は常に連鎖反応を起こしながら進行するので、予測不能なことが多い。これから一体何がおこるのか、正確にわかっている人は誰もいないだろう。」(小林真「菌と世界の森林再生」)


まさに学者が心の底から感じていることを正面から書いておられます。恩師の「整理の学」、「解析の学」と同じで、ヘーゲルの言葉通りでもあります。学問は未来に対して無力です。せいぜい「過去のことを必死になって説明する」ことができるだけです。それが人間の頭脳の限界なのでしょう。


・・・・・・・・・


ところでそんな学問から見て、地球温暖化はどのように見えるでしょうか? 私はなぜ「CO2は出した方がよい」と言っているのでしょうか?少し解説をさせていただきます。


地球温暖化は予防原則の問題です。科学的には不確かだけれど、重大で致命的な結果が予想される時には科学の結果を待たずに規制するということです。地球温暖化にこの原則を適応するのが適当かどうかは次の判断によります。


1) 気温が変化することが重大で致命的か? 


2) どのぐらいの温度範囲は重大で致命的か?


3) 気温は下がる方が致命的か、上がる方が致命的か?


4) 地球の気温は人間の活動で左右されるか?


第一の設問に対しては「変化の幅が問題」と言うのが正解でしょう。そしてその幅(第二設問)は2,3℃ならそれほど大きな影響はありませんが、10℃となると間氷期と氷期の差ですから、これは問題ということでこれも学者の間で一致すると思います。


問題は第三設問で、意見が分かれます。1970年代までの多くの学者と私の考えは、現在の地球が地質学的には氷河時代の間氷期であることと、新生代(恐竜が滅んで以来)に入って気温が低下し続けていることから、寒冷化が致命的と考えています。今より気温が下がると日本などは一部が氷河に覆われ、作物が採れなくなり大量の餓死者がでると思われるからです。


温暖化が怖いという人の意見はかなり広く伝わっていますから、ここでは割愛します。


また、気温は、1)太陽活動、2)都市化、3)CO2 で決まりますが、現在はそれぞれ3分の1ぐらいでしょう。太陽活動は500年ほど前の「小氷河期」から徐々に活発になって来ていますが、今後50年程度で下降に向かうでしょう。CO2は人間が出せば増え、控えれば増大の幅は減少すると考えられます。


・・・・・・・・・


以上のことを考えて「学問は未来が判らない」ということと、「予防原則」を適応すると、問題なのは現在より気温が上がった方が危険か、下がった方が危険かというところにもっとも大きな別れ道があると思います。私は「世界の多くの学者は冬の前にいる」と考えていると思っています。それはこれまでの気温変化とCO2の変化からあまり考えずに推定するとそうなるからです。だから寒冷化に備えて今は温暖化するべき時期という結論になります。


仮に温暖化しても、今より気温が高かった時期が多いのですから、地球がどうなるということはありませんが、寒冷化するとアフリカの一部を除いて氷河になることは判っているので、そちらの方が危険です。


今回の被曝では、1年100ミリ以下は不明なのですから、被曝量を減らして(1年1ミリを貫く)、学問の不備を補わないといけないと思っています。1年1ミリを守るのは、「除染、疎開」で可能だからです。


<引用終わり>


■ 放射能に関して分かっている事と、分からない事 ■

放射能に関して、現在は人体実験の様な事は倫理的に不可能です。
しかし、かつて米国は、核実験場で兵士を行軍さてその影響を調べたり、
末期癌の患者に、プルトニウムを服用させてその影響を調べました。

その他にも、実際に被曝した人達が存在します。

1) 東海村臨界事故を含む、原子力関係の重大事故の被害者
2) チェルノブイリの事故直後に対策に当たった作業員
3) ビキニ環礁で水爆実験の死の灰を浴びた、第五福竜丸の船員
4) 時計の文字盤塗装の作業員(ラジウムを含む夜光塗料を塗った筆をナメて作業)

5) 癌などの放射線治療を受けた患者群

6) 多くの一般的な作業環境下での原発作業員
7) チェルノブイリ原発の周辺住民

9) 放射線医や放射線技師、造影剤などを日常的に扱う医師達

8) ラムサールなど自然放射線の比較的高い地域の住人

その結果、現在分かっている範囲では、
100(mSv/年)以下の被曝においては
発癌などの健康被害が発生する事例は確認されていません。
 

この様に書くと、多くの方達が
「100(mSv/年)以下の発癌などの事例は隠されているのだろう」
と疑われると思います。

また科学的知識をお持ちの方の中には
「人体実験が出来ない以上、有用なデータの蓄積に欠けるのだろう」
と推測されるでしょう。

皆さん被曝に関する有用なデータは無いとお考えの様ですが、
多くの放射線治療を受けた患者の方々を含め、
日常的な放射線の被曝者は、実はそれぞれの被曝レベルで大勢存在します。

それらのデータを検証した上で、
現在の科学では100(mSv/年)以下の被爆量での
放射線の人体への影響は立証できないのです。

そして、これらの被曝経験者の調査によれば、
人体に影響を与える被曝の閾値は
100(mSv/年)よりも遥かに高い事が判明してきています。

なぜならば、一月の間に50(sV)もの被曝をする放射線治療を受けても
多くの場合は、その後数十年に渡って
癌を発症する人はその一部である事が分かっています。
50(Sv/月)というのは100(mSv/年)の6000倍の被爆量です。
そして現在の放射線防護の国際的基準値1(mSv/年)の60万倍の被爆量です。

この事から言える事は、人間の放射線に対する免疫防御機構は、
世間一般の認識をよりも、相当に高いという事です。
それは2倍や10倍というレベルでは無く、1000倍のオーダーです。

■ 「上方硬直性」を持った放射線防護 ■

放射線防護という概念が発達する頃
まとまったデータは広島と長崎の被爆データしかありませでした。

広島と長崎である程度の年月が経っても発癌しなかった人々は、
原爆投下時の被曝線量が100(mSv)以下の人達でした。

原爆による被曝は一瞬で放射線を発散しますので、
これらの健康に害を受けなかった人達の被爆の線量率は
実際には100(mSv/年)という線量率よりもはるかに高くなります。
仮に1時間の被曝量だと仮定すると8760(mSv/年)に相当します。

そかし放射線の人体への影響と免疫のメカニズムが判明していなかったので、
ICRPは最大の安全を確保する為にLNT仮説に基づき、
1(mSv/年)を、放射線防護の基準と定めます。

しかしICRP自身、この基準値が過剰安全性である事を承知していて、
事故時は20(mSv/年)を目安として防護に当たる様に勧めています。

ところが命の危険に関する事に関しては人々は過剰に反応します。
1(mSv/年)は絶対に安全であるのに、
反原発派は1(mSv/年)も怪しい・・・そう疑う様になります。

この事によって放射線の人体への影響が明らかになってきて、
100(mSv/年)ですら充分な安全性を確保していると
研究者が考える様になっても、彼らの声は一般の市民からは無視されました。

無視されると言うよりも、まるで魔女狩りの如く、
「純粋に科学的な発言」に対して、
まるでその研究者の人格まも崩壊しているかの如く攻撃が繰り返されています。

これを「集団ヒステリー」とか「集団催眠状態」と言います。 


■ 武田先生の議論は合理性を基準とする ■

そこで上の武田先生の書かれた内容に戻ります。

「集団催眠」という意味では、
「放射能の恐怖」も、「二酸化炭素による温暖化の恐怖」も類似しています。

「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の
データ捏造(クライメート事件)までもが発覚しても、
大手メディアがこの事件を黙殺しているので、
未だに多くの方達は「二酸化炭素による温暖化」を信じています。

しかし武田先生は以前より、非常に合理的に「温暖化の誤謬」を指摘しています。

多くの気象学者達が、「温暖化しているのか、していないのか」
「温暖化の原因は二酸化炭素なのか、そうでないのか」という問題に終始する中で、
武田先生は違う視点を提供しました。

1) 人為的に排出される二酸化炭素の量は全体の2%程度
2) その内の6%を削減しても、全体に与える影響は皆無
3) 温暖化の原因の90%は水蒸気によるもので、二酸化炭素の影響は少ない
4) たとえ温暖化が進行しても海水面の上昇は100年で数センチ
5) 温暖化対策にコストを掛けても、その実効性は乏しい
6) 寒冷化は人類に被害を及ばすが、温暖化はむしろ恩恵を与える

実に合理的な判断です。
一般的な研究者に武田先生が非難されるのは、
その発言が科学的と言うよりも、
むしろ社会的であり経済的合理性を基準にしているからに他なりません。

ですから、温暖化論者がどんなに武田先生の科学的誤謬を指摘しても
全体としての「温暖化対策など無意味」という結論は揺らぐ事がありません。

■ 武田先生らしからぬ、1(mSv/年)を守れという主張 ■

本来の武田先生であるならば、
放射線防護に対して、こう発言されたはずです。

1) 1(mSv/年)の基準値は原発運営の為の基準値である
2) LNT仮説は安全性を過剰に担保しすぎるので妥当では無い
3) 様々なデータから判断すると100(mSv/年)でも充分な安全性がある
4) 過剰な安全性は経済的な損失と、不必要な避難による精神的ストレスを生む

ところが、放射線に関してだけは
武田先生は、二酸化炭素の温暖化の欺瞞を引き合いに出してまで、
全く逆に世論を誘導しています。


これは永年、武田先生を崇拝してきた私には納得の行かない現象です。
考えられる理由は二つだけ。

1) 武田先生は1(mSv/年)という基準を死守したい陣営(原子力産業)の見方

2) 武田先生は政府が到底守り得ない1(mSv/年)という基準をことさら強調する事で
   LNT仮説を含めた放射線防護の過剰安全性の問題点を、白日の下にしようとしている。


・・・原子力推進派にも、原子力反対派にも恩恵を与える
「LNT仮説の集団催眠」から人々の目を覚まさせるには、
むしろ「過剰な安全性の破綻」を誘導する事が最適なのかも知れません。


そうで無ければ、武田先生は原子力村の宣伝部長になってしまいますから・・・。