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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

ケインズ経済学的「究極の公共事業」・・・科学を無視した放射線防護

2011-09-17 11:48:00 | 福島原発事故
 



■ 六号通りの先生の記事から ■

「ホールボディカウンターの測定値を読む [科学検証]」http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-09-14#comments


先生は慎重論的なお立場なので、
安全論的な立場から、このデータを眺めてみたいと思います。
(すみません、他人のフンドシで相撲を取る事をお許し下さい)

■ 体内の天然由来の放射性物質のカリウム40は意外に多い ■


注目すべきは天然のβ線核種であるカリウム40の多さだと思います。
カリウム40は土中に普通に含まれるカリウムの放射性同位体で、
牛乳1リトルに50ベクレル含まれます。

ドイツの測定例ではセシウム137や134のそれぞれ5倍程度の量が
既に普通に体内に存在する訳です。

同じβ線核種で科学的に同じ代一族の元素なので、
体内の挙動はカリウムとセシウムはほぼ同じ部位に蓄積します。

除染の方法としてカリウムを土壌散布そ、
その結果セシウムの作物への吸収量を
相対的に低下させる方法と取られている様です。

原子や分子の領域ではカリウム40と
セシウム137や134の発する放射線差異はありません。
β線は電子や陽電子が高速で放出される現象で、
体内ではその移動軌跡周辺の原子の電子軌道に影響を与えてゆきます。
体内で一番多い物質は水なの活性酸素を作る作用が発生します。


■ カリウム40の測定誤差の範囲に収まる放射線は恐怖か? ■

今後、セシウムの体内量がどの様に変化してゆくかは、
生物濃縮と汚染された食品の摂取量に依存しますが、
その量が現状よりも減少してゆくならば、
天然由来のカリウム40に対してその影響は小さくなってゆくはずで、
カリウム40の体内含有量の個人差に近づいてゆくと予想されます。


物理学的には、カリウム40の誤差にその影響がカバーされてしまい、
その影響が観測できない状態になります。

そもそもカリウム40の発癌性が問題視されないのに、
その何分の一しか存在しない、
同じβ核種のセシウムを問題視しても仕方が無いのです。

天然由来だからカリウムは問題無い、原発由来だからセシウムは問題だ・・・
これは科学では無く、単に感情論に過ぎません。

■ 存在しない物を怖がる心理・・・現在の幽霊 ■

現在の放射線医学では100(mSv/年)以下の
発癌率の増加を立証する事は不可能です。
免疫によるキャンセル(当然カリウム40にも働いている)を考慮すれば、
発癌率は計測できないのでは無く、存在すらしないのかも知れません。

ところが、幽霊を怖がる様に、「計測出来ないから怖い」という
ムチャクチャな論理の上に現在の放射線防護政策は成り立っています。

その政治的背景を推測しだしたら切りがありませんが、
人体などはミクロの目で見れば単なる分子や原子の集まりで、
放射線は光子や電子やヘリウム2原子核の放出でしかありません。

核物理学や分子生物学などを専門とされる方が、
冷静に考察すれば放射線防護の矛盾は明確なのです。
実際にそれを発言されている方も沢山いらっしゃいます。

私は光工学を専攻したので、光(光量子)が物質に与える影響は、
原子の軌道遷移による化学的活性である事を知っていますから(光化学)、
γ線は紫外線よりエネルギーの高い光量子以外の何物でも無く、
その量において圧倒的に多い紫外線では日焼けして細胞死が発生するのに、
量が圧倒的に少ないγ線では具体的な障害が発生しない事も容易に理解出来ます。
(γ線の透過性が高い事に起因する差異は無視したとして)

■ 過剰安全性は社会的損失 ■

医学の分野では、「存在するかもしれない危険」を「安全」とは言えません。

しかし「放射線防護」は本来、経済コストと効果を計に掛けるべき学問です。
ICRPは明らかにこのバランスを欠いています。

現在の基準を用いて福島の除染を行うと、
80兆円掛かるという試算が朝日新聞に載っていた様です。

おいおい、国家予算92兆円と同等だよ・・・・。
実際にこの規模の除染が行われるなら、
全国の土建業者は福島に大集結します。
もう空前絶後の巨大公共事業が出現します。

その実態が「穴を掘って埋めるだけ」なのですから、
これは究極のケインズ経済学的な公共事業です。

フランツ・カフカが現存していたら、
「穴」という名作が生まれたかも知れません。

「寒っ」・・・変化する形容詞

2011-09-17 09:17:00 | 分類なし
 

■ 形容詞が変化している ■

オヤジギャグが滑って、部下の若い女の子に
「サムッ」と言われた経験はありませんか

先日何気なく見ていたニュースで、
「寒っ」とか「暑っ」といった様に、
最近の若者達は形容詞の「い」を外して
「っ」という発音をしている問題を取り上げていました。

国語学者の中には言葉は生き物なので
この変化を肯定的に捉える人もいる様です。

■ 等級が出現した形容詞 ■

「寒っ」は翻訳すれば「とても寒い」とか
「おお寒い」といったいった所でしょうか。

本来日本語の形容詞を強調する為には
「おお」といった「感嘆詞」を付けたり、
「とても」といった「修飾詞」を付ける事が適当です。

ところが口語は大げさな方向に進化を遂げます。
さらに会話の中で使われるので、
日本語の特徴とて短縮化が進行します。

日本語の形容詞には比較級や最上級は存在しないのですが、
「寒っ」というのは「寒い」に比べて寒さが引き立ちます。
いわば「寒い」の最上級として「寒っ」が出現したのです。
さらに「寒~っ」と「寒っ」では寒さに差があります。

口語、特に若者の話言葉はいつの時代も
「カンブリア爆発」状態です。
「人より目立つ為」、「より情感を込める為」、
「より言葉のリズムを引き立てる為」、
日々様々な方向への進化が模索され
その多くが直ぐに絶滅してゆきます。

しかし環境に適応したバリエーションが
いつしか定着して新しい口語を形成し、
それが文語に定着してゆきます。

■ 言葉の化学実験 ライトノベル ■

ライトノベルはこれらの変化に敏感です。
元々会話主体で書かれるこのジャンルで
従来然の口語表記では、時代性を獲得する事が出来ません。

さらには、「なり」だとか「なの」だとか、
無理にキャラクターに個性を与える為の「接尾語」が氾濫しています。
これがキャラクタの類型化と融合してキャラクターを記号化してゆきます。

まあ、本当に街で「なの」とか「なり」だとかを使う娘がいたら、
他人であっても電車の中で頭を叩きたくなる欲求に駆られますが、
さすがに、そこまで脳みそのとろけた輩には今の所遭遇していません。

まあ、中学レベルの言葉の化学実験と繰り返すライトノベルですが、
西尾維新レベルになると、もう言葉の錬金術です。

「叙述トリック」という書き言葉ならの非視覚性や、
「メター構造」という読者と作品の世界の境界の曖昧化を意図的に駆使し、
さらには発音と文字のギャップやら
意図的なミステークやら跳躍やら、
もう言葉のキメラが満載で眩暈がします。


■ 乖離する文語と口語 ■

しかしながら、新聞や大人の小説の日本語が
それ程乱れているわけではありません。

学校の国語では「正しい日本語」を指導されるので、
文語は比較的に変化の速度が緩やかです。
それでも単語の意味は時代とともに変化している様です。

くだんのニュースでは「姑息」を引き合いに出して、
本来「逃げ隠れする」という意味の「姑息」が
現在は「卑怯なこと」の意味で使用されると指摘していまいた。

尤も、現在普通に使用している文語ですら、
明治の文豪達が「候調」の「文語」で表記さてていた日本語を
「口語」表記に変化させた結果の代物です。

それ以来、文語も緩やかな変化を続けて現在に至ります。
しかし口語に変化のスピードは比較にならない程早く、
現在では「バビ語」なるものまで出現しています。

■ 暗号化した日本語・・「バビ語」 ■

TVでタレントのミレイさんが披露する「バビ語」なるものを
見た(聞いた)方もいらっしゃるかと思います。

「バビ語」は女子高生達の暗号会話です。
親や他人に聞かれたくない会話をする際に使用します。

「あバ、いビ、うブ、えベ、おボ」の様に、
母音の後に必ず「バビブベボ」を添える事から
「バビ語」と呼ばれます。

「あさ起きたら寒かった」というのは
「あバさバおボきビたバらバ、さバむブかバたバ」となります。

これを高速で会話されたら、
もう私達の脳みそでは翻訳不可能です。
・・・いえいえ。かなり頭の回転が速くなければ
現在の女子高生でも使用不可能です。

ちなみにミレイさんは千葉東という
千葉県では上位の進学校に出身です。

彼女達が「バビ語」を使用できる理由として
私は携帯メールの存在があると考えます。
現在の子供達は電話よりもメールを好みます。

携帯メールでの日本語入力は、
絶えず50音を意識させられます。
ですから、高速でメールをやり取りする彼女達の脳内では
五十音のマトリクスがかなり精密に存在するのでしょう。
ですから一音を発生しながら、
同じ段のバ列を瞬時に付け足す事が出来るのでしょう。

いやいや、人間の脳というのはスゴイものです。

■ 娘に一本盗られた ■

新しい知識は世間で披露する前に
子供を使ってウケるかどうか確認する私は、
早速、娘に「形容詞」のウンチクを披露しました。

「『寒っ』って何の略か知ってる?」
「ウン、『寒い』だよね。」

「じゃあ『キモッ』は何の略?」

私としては「キモイ」が正解のつもりだったのですが、
娘はこう答えました

「『気持悪い』だよね」

・・・・がーん。
「キモイ」って「気持悪い」の短縮形だったのですね。
イヤー、さすが受験生、父親よりも日本語が正確でした。
脱帽です。


ところで、コレって使えないか?
「ヒマラヤ・マラヒヤ」よりもイカシテないか?
早速来週、仕事先で女の子でも捕まえて試してみよう。

きっと「寒っ」という反応で終わりそうですが。