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階層社会と「豊かさ」の実感・・・シンガポールは日本より豊かか?

2011-09-13 09:46:00 | 時事/金融危機


 


■ 団地国家シンガポール ■

今回は1日フリータイムがあったので、
シンガポールの中心街を離れて、
あちこち見てきました。

チャンギ国際空港に向う地下鉄「東西線」に乗ると
電車は途中から地上に出て高架を走行します。
車窓にはシンガポールの近郊都市の風景が広がります。

これが大阪の千里あたりの光景に良く似ています。
延々と続く「高層公団住宅群」。

シンガポールは東京23区程度の国土に
473万人の人口が詰まっています。
人口密度は世界3位の6773(人/平方キロメートル)。
これは336(人/平方キロメートル)の日本の20倍です。

国土全体が東京23区だと思えば、この密度も頷けます。

郊外は延々と20階経てくらいの公団住宅が立ち並び、
473万人の人口を、立体的に収容しているのです。
まさにシンガポールは団地国家です。

■ 高効率都市 シンガポール ■

住居に限らず、シンガポールは高集積国家です。
国土を一周する地下鉄南北線ですら、
山手線一周と変わらない距離程度です。

その狭い国土の開発は非常に高効率だとも言えます。

良く「日本は狭い」と言いますが、
日本の国土の7割は山林です。
さらに地方や郊外に行けば
田園の中にポツンポツンと民家が建っています。

その一軒一軒に電気が通り、電話が通り、
上水道が敷設されているのですから、
インフラの費用対効果は非常に低くなります。

一方シンガポールでは、住宅は規格化された高層建築で、
道路インフラも交通量が確保できます。
地下鉄もいつも満員です。

この様に社会資本の運用効率の高いシンガポールでは、
インフラ整備が直接的に経済成長を喚起できます。
シンガポールが短期の間に東京をも凌ぐ都市景観を達成した原因には
この様な「高い効率性」を挙げる事が出来ます。

■ 新たな成長の始まり ■



かつての中継貿易の拠点としてだけでなく、
アジアの金融センターとして成長したシンガポールでは、
現在再開発ラッシュが起きています。

色々な地域で、新しい高層マンションの建設が盛んです。
そのどれもが、日本のタワーマンションよりもモダンなデザインです。
そうして、経済成長が生んだ中流階級が、
かつての公団住宅から、高層マンションに住み替えている様です。

新聞の広告もマンションの広告が多く、
バブル期の日本の様な光景が見られます。


■ シンガポールは「多民族社会」である ■

シンガポールで地下鉄に乗ると、
あまりの人種の多さにクラクラします。

人口の75%は中華系ですが、
彼らの多くは既に中国語を読む事も話す事も出来ません。
彼らは自分建は「シンガポール人」だと言い、
「中国人」と呼ばれる事を嫌います。

その他に、マレー人、インド人、
そして海外の駐在員や観光客がひしめきます。

日曜日の地下鉄に乗ると、
刺繍の華やかな衣装に身を包んだイスラム教徒のマレー人が、
郊外から連れ立って都心部に向う姿を目にします。

中華系がクールに携帯電話やiPadの操作に集中する中で、
マレー人達は浮き浮きと楽しそうです。

■ シンガポールは「階層社会」である ■




一見理想的な「多民族国家」と思えるシンガポールですが、
その現実は明確な「階層社会」です。

経済の中心は中華系が押さえ、
マレー系やインド系の住人は単純な仕事に従事します。

空港の係員や警備員、スーパーのレジ打ちなどは、
マレー人かインド人です。

多くの建築現場で作業に従事するのは
ほとんどがインドからの出稼ぎ労働者です。
夜中のチャンギ国際空港はこれらのインド人で混雑しています。

夕刻ともなると現場から引き上げるインド人労働者を
荷台に乗せたトラックが、彼らをどこかへ運んで行きます。

■ 「豊かさの実感」とは相対的である ■

住居の広さは、通勤時間の短さ、
社会インフラの充実度や、
食費の安さなどを考えると、
シンガポールは日本よりも「豊かさ」を実感しやすい国かもしれません。

一方で、固定的な階層社会では、
低層の住民は、「豊かさ」に触れる機会は少ないでしょう。

そして、彼らの豊かさが「外国人労働者」の低賃金に上に
成り立っている事も注目すべきです。

日本でもバブルの頃に多くの「外国人労働者」が不法就労していました。
現在は景気低迷の著しい日本から、
新興国へこれらの労働力が流れています。

彼らは「社会コスト」が掛からずに生産に従事して富を生み出し、
生活し消費する事で、経済活動の一翼を担っています。

この様にシンガポールの豊かさは、
選挙権も社会保障の権利も持たない労働者に支えられています。

日本では工事現場の作業員も日本人。
工場労働者も日本人。
農場従事者も漁業従事者も日本人。
ウェイトレスも日本人。

結局、低所得者にも同様の福祉コストと医療コストが掛かります。

■ 貧しくなる日本の労働者 ■

日本は移民を受け入れていません。
原則的に外国人の単純労働も禁じています。

不景気が続く日本では、
若年層の就労機会は失われ、
不正規雇用の拡大で、賃金は低下しています。

単純労働で無くても、労働生産性の低い日本のホワイトカラーは、
海外に比べて賃金が低めです。

■ 平均化する世界 ■

グローバルゼーションの本質は、
労働市場の世界平均化です。
様は、「同一労働・同一賃金」が世界レベルで進行します。

ですから建築現場の労働コストや、
工場生産の労働コストは本来はもっと低いはずです。

日本は外国人労働者を原則的に受け入れていないので、
これらの仕事の賃金は下方硬直しています。

「世代間格差」は確かに日本の成長を阻害していますが、
賃金が下方硬直している日本では、
ビルを建てるのにも、工業製品を生産するにも
高いコストが発生します。

シンガポールや中国の様な国では、
新たな富裕層が生まれ、経済は成長しています。
しかし、これらの富の一部は、
国内の階層構造が生み出す「富の詐収」によるものです。

これはかつての「先進国」と「途上国」の関係です。

日本の未来がどうなるかは不明ですが、
グローバリゼーションの方向性は
「国内の格差拡大」の方向を示しており、
日本だけがこの流れに逆らう事は不可能です。

但し、シンガポールと異なり、
日本には多くの農地や森林があります。
豊かな海にも囲まれています。

シンガポールの様な都市国家と、
日本は根本的に異なります。

日本の地方は未だに「自給型経済」を維持しており、
考え方によっては、それは「豊かな社会」とも言うます。

■ 「都市国家」と「農村国家」 ■

日本の政治と経済の停滞は、
「都市国家」と「農村国家」という二つの異なる形態を、
一つの法令や施策で処理するという矛盾に起因します。

その結果、「不完全な東京」が量産され、
それらは現在社会的な負担となっています。

東京、大阪、名古屋、福岡を都市国家と考えるならば、
これらの地域には充分な成長余力があります。

現在はこれらの地域が生み出す富は、
地方に再分配されて、これらの地域に効率的に投下されません。
これでは、日本は海外の投資化にとっても魅力の薄い国家となってしまいます。

■ 「ギリシャの不幸」 ■

EUではギリシャが危機に瀕しています。
ユーロの導入がギリシャを不幸にしたとも言えます。

通貨ドラクマはユーロに対して弱い通貨でした。
ユーロに対して価値が下落するドラクマでは、
ギリシャの国力が低下する様に思われました。

しかし実際に観光立国のギリシャでは、
安いドラクマが多くの混交客を呼び込んでいました。
ところがユーロを採用する限り、
ギリシャの観光はユーロ圏内で、お得観は得られません。

一方、ギリシャの多くの地域が自給型の経済圏ですから、
ドラクマの下落はこれらの地域に影響を与えません。
ギシシャはユーロを離脱してドラクマに戻る方が幸せです。
しかし、それには工業化や近代化といった選択肢を捨てる意味も含まれます。


■ 「地方の分権」とは「自給型経済」の選択 ■

日本で「地方の分権」が叫ばれてから長い年月が経ちます。
しかし、日本の「地方分権」は、
「中央からカネは貰うが、口は出させない」という身勝手な分権です。

「不完全な東京」を増産する従来の政策が機能しなくなった現在、
従来の全国一律の考え方では、東京や大阪の成長も阻害されます。

世界の「都市国家」と競争する「東京」や「大阪」という概念が必要です。

それで「地方を切り捨てるのか」と言われそうですが、
「東京」や「大阪」の成長が衰えたからこそ、
日本全体の停滞が起こっている事を認識すべきです。

では「地方の独立」はどの様に為しえるかと言えば、
やはり「自給型経済」の豊かさを追求するしか無い。

地域のコミニュテx-を復活させ、
子供や老人を地域で支えるシステムを復活させ、
東京で成功した人達の資産と引き換えに、
豊かな老後を提供すれば、地方は活性化します。

但し、地方では医療や福祉は制約されます。
無制限な高度医療や延命は自費としなければなりません。
福祉も、住人の相互扶助に依存しなければなりません。

福祉シティーの様な場所を提供しても良いでしょうが、
これは民間で運用されるべきで、
東京で作った資産を、地方に還元するというサイクルが、
地方への資金流動と投資と雇用を生み出します。


シンガポールという「都市国家」を通して、
日本の中の「都市国家」と「農村国家」を強く意識しました。