ぱそらぼ (ぱぁと1)

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夢の途中

2014年09月17日 | 雑談
あわや優勝?と、久々に大きな夢を見させてくれた、テニスの錦織選手。残念ながら、決勝には敗れてしまいましたが、それでもテニスの全米オープンで準優勝という快挙で日本中を沸かせてくれました。その錦織選手に、島根県と松江市が県民・市民栄誉賞の授与を打診したそうですが、辞退したいと伝え、授与は見送られたそうです。今は、夢に向かって努力している最中だからというのがその理由。何かを成し遂げ、キャリアに区切りをつけた時が受賞にふさわしいと述べています。

かつて、イチロー選手に、国民栄誉賞の話が持ち上がった際、彼は2度にわたってこれを辞退しています。理由は、現役でプレーをしている間は、もらうべき立場ではないというものでした。が、恐らく言わんとしていることは、錦織選手と同じなのだろうと思います。

日本中には、非常にたくさんの賞があります。中には「もっとも○○が似合う賞」といった訳の分からない賞も多くあって、芸能人が受賞しています。もともと、殆どの賞というのは、(皮肉な言い方をお許しいただければ)、もらう人のためにあるものでは無く、あげる人のためにあるもののようです。賞にノミネートされる側は、並々ならぬ才能と努力によって業績をあげなけばならないのですが、賞をあげる側というのは、何の努力も必要なく、むしろ功労者を呼びつけて、その功労者の人気と栄誉に便乗することができるといつものです。

が、そうであっても、波風立てずに、有難くもらってくれる「大人な」対応の方々も、同時にたくさんおられます。昨年の芥川賞を受賞された20歳の金原ひとみさんは「芥川賞はいつか取りたい自分の夢だった」とコメントして、賞への敬意を表されました。それはそれで、またさわやかです。一生に何冊、渾身の作を書きあげられるか分からない作家と、年間を通じてコンスタントに試合に出続けるスポーツ選手との違いかもしれません。

賞を贈る側も、贈る側の論理ばかりで無く、贈られる立場の人の心情に沿う必要もありそうです。が、それにしても錦織選手の断り方が美しい。



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