ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

セレブ

2007年08月12日 | 命の生き方
言葉は時と共に変わります。それは当然です。

「セレブ」という言葉をよく耳にします。本来「celebrity」から来ていることはよく知られています。名声とか名士といった意味で、特別な力を持つ個人やグループのリーダー格を指していたようです。ですが次第に、メディアが注目する芸能人やスポーツ選手などの有名人を指すよう変わっていったのだそうです。

それはともかく、日本では、お金持ち・優雅・高級などの感触で「セレブ」という言葉が使われます。仮に、それが本来の意味だとして、今「セレブ」と呼ばれる時に本当に優雅で高級か?と振り返ると、どうも単にお金があれば「セレブ」と呼んでいるような気がします。

「カリスマ」という言葉も使われます(少し、古いでしょうか)。非日常的・超人格的・超自然的な資質を有する者で、世界史をも動かすようなスケールの大きさがそこにはあります。が今では、芸能人やある職業で人気や知名度を誇る人物に気軽に使われます。ただそれも最初は、少なくとも、圧倒的な技術力や人を無条件に惹き付けるような力に対して使われていたような気がするのに、気がつくとチョットおしゃれでメディアの注目を浴びれば「カリスマ」。

言葉はいいんです。時と共に変わりますから。ただ妙に気になるのは、どんな言葉からも、その根底を流れる「本当の深さ」が失われて、表面の「チャラチャラした」言葉になり果てていくような気がするのです。多分言葉が変化しているだけでなくて、私達が描く価値観がズレていっているのかもしれません。

ここに来て、「横綱はただ強ければそれでいいのか?」と当たり前のことが問題になっています。もうたくさんの人が飽きるほど言っているのです。「勉強はただできればそれでいいのか?」「医者は、医学にさえ詳しければそれでいいのか?」「政治家は票さえ取れればそれでいいのか?」何でも少し手を伸ばせば届くと私達は信じ込まされていますが、私達が目を背けたいと思っている「深さ」や「品性」は、そんなに簡単に手は届きません。その根底にある本当に揺るぎないものを、分かったふりなどもう辞めて、血眼になって探し始めないと、いつしかたくさんの人の心の底からもなくなってしまいますよ。



コネクタが消えていて使えません
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仕事

2007年08月11日 | 雑談
パソコンには無条件に感謝しています。これほどまでに、私の人生を深め、広く豊かにし、深く考えるきっかけを創り、自身を律すアイテムには今まで出遭ったことがありません。そしてそれは、全てパソコンを通して出逢った「人」からいただいた財産なのだと思います。要は何であってもよくて、誰しもがそれぞれのアイテムと出遭う、私にとってはたまたま「パソコン」であったのだと思います。

日々出会わせていただく人の数って、数えてはいませんが信じられないくらい多いっ! 勿論一番多いのは「受講者」の方との出会いですが、共に仕事をさせていただく立場としての出会いも、実に豊かです。

「講座をしてもらえませんか?」仕事は大抵この一言で始まり、具体的な日時・内容・条件が折り合えば実現に至ります。させていただいて、無条件に嬉しいのは、ご自分の仕事を愛しておられる方との仕事です。よりよい仕事をと思われているわけですから、「こんな風に!」「あんな風に!」と話される表情は真剣で、こんな担当者の方と出会っていると、苦労も苦労とは感じません。仮に不測の事態が起こってきても、何とも思わないくらい、こちらのテンションまでも上げてくださいます。

「仕事ができる『自分』」を愛しておられる場合もあります。生き方をも含め、ご自分を「律して仕事に臨まれる」タイプから、単に「他からそう見えればよい」派まで、様々な担当者がおられます。表面はスムーズに運ぶかに見えます。勿論、自分のテンションは自分で上げて臨みます。

大半がこうして懸命に「自分の仕事」として、当方に協力を要請してくださいますが、時に「早く自分の手から人に手渡したい」派の方もおられます。それでも、私には「いとおしい講座」達です。機会さえいただければ、後は「こちらの腕」次第ですから、逆に闘志が湧いたりもしますが、空回りせぬよう要注意です。

「自分の仕事を愛すること」それができるのは本当に限られた場合かもしれません。ただ、多くの若者が考えるように「自分にぴったりとした仕事」が存在するのではなく、仕事をしながらその中に「自分の存在価値を見出すこと」なのだと思います。


折れ曲がった矢印の描き方
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余白の美

2007年08月10日 | 社会派らぼ
雲三つくらいの青空に、街中には贅沢なほどの緑。甍の黒が白壁に地味に鮮やかな京の一角にいました。千年を遡って、恐らくは変わらぬ風景の間を歩き、現実の日常をしばし忘れました。

背丈の低い当時の体格に合わせた鴨居は、今の若い方なら頭がつかえるかもしれません。にも関わらず、天井までの空間は倍近くもあり、贅沢な空間が広がります。更に平屋の住空間の何倍もの高さの屋根がその上に美しいカーブを描き、屋根の四方には見えぬ邪気を鋭い眼差しで追い払うかの鬼瓦がその存在を誇示していました。

日本文化を支えてきたものは「余白」かもしれません。無駄をなくしたギリギリの合理性ではなく、無限を思わせる大空間をイメージできる日常。長く目を閉じた瞑想の後の一瞬の筆捌きのように、物事は大いなる無駄と余裕の上に、初めて凝縮される気がします。

…と、現実に戻ると何か自分の感情をもてあましてしまいそうです。「ボンズの756号ボール、キャッチした人は売らない方針」「<ネクタイ着用>西岡氏の義務付け提案、次期国会に先送り」「<朝青龍>高砂親方、交渉いったん打ち切りへ「情けないね」」…いずれもネット上のニュースの見出しです。一体、私達は進歩しているのでしょうか?


元表を変更してもグラフが変更しない
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人の真価

2007年08月09日 | 命の生き方
人生、順風満帆だと他人に優しくできるような気がしますが、逆だと思います。苦しんだからこそ、悲しんだからこそ、他人の痛みがわかるのだと思います。外見で人を判断するのは間違っていますが、何もかもを持ち合わせておられる(美貌・財産・能力・運…)方には、どうしても警戒が先に立ちます。そんな方が、心底人に優しくあるには、倍増す努力が必要だろうと思うからです。

人は苦しい時にこそ、真価が問われますが、どうも最近は「こらえ性」がなくなり、簡単にすぐクシャッとつぶれてしまう人が多いような気がします。そうしてそういう弱さを社会が守らねばならない…という方向に進展していっている気がします。勿論苦しむ人には、手が差し伸べられるべきです。本当に苦しい時は人に甘えるべきです(甘えることも又強さです)。が、私達が失いつつある、大きなショックにもつぶれない強靭な精神力は、「助け合い」だけでは生まれてはこないでしょう。

昨今の現代人は「神経」を病む人が増えました。後先省みず軽率だったのは自分なのに、そうした「間違った自分」すら正視できない人も増えました。10年近く前、「苦し紛れについた自分の嘘を、いつしか本当だと信じて疑わない人」と接して、腰が抜けるほど驚いた記憶があります。でも、今から思えば、それも「過ちを犯した自分」を正視することができない弱さを露呈していただけなのでしょうね。社会に大きな責任を担う人が、いとも簡単に自殺の道を選んだりするのと、基本は同じだったのかも知れません。

自分には何の責任もなくても、ある日突然災難は降ってきます。その不運にすらつぶれずに立ち上がる強さを、本来の私達は秘めているはずなのです。苦しいときは、今こそ真価が問われている。そう考えて自らが対処すべきで、周りは要らぬお節介や中傷を謹んで、偏に自力で雄々しく立ち上がる力を信じるしか術はないのです。横綱であっても、責任政党であっても…。その重みに耐えられず、内部崩壊していく姿は無様です。そしてそれを、あれこれ揶揄する姿は、モット無様です。


こんなグラフはどうやって作るのですか?
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神様の領域

2007年08月08日 | 雑談
新聞折込でペットショップの広告が入っていました。よく「犬派? 猫派?」という質問がありますが、我が家はペットは飼ってはいませんが、私は犬派です。子どもの頃は家に犬がいましたから、意外と犬の気持ちはよくわかります。

広告には「ミックス犬」と題して、写真入で可愛らしいワンちゃんが20くらいも並んでいたでしょうか。ミックス犬?…。初めて聞く言葉だったのですが、どうやら犬のブランドをかけ合わせて、新種の犬を創っているようです。チワワとダックスとか、ヨークシャーテリアとシーズーとか。純血×純血のハーフをそう呼ぶんだそうです。ミックス犬だから可愛い!みたいな広告でした。

元々、純血種を保つにはそれなりの配慮をして「血統書付き」って犬になるわけですから、ほっとけばミックス犬になる?わけでしょうか。いわゆる雑種ってやつですよね。でも、人間様の勝手な都合でというか、勝手な気紛れで、商売として意図的にミックス犬を創ろうという発想って、何か傲慢な気がしませんか。農作物のように品種改良して、「冷害に強くて」「味のよい」品種を作るとか、「病虫害に強くて」「収量が多い」品種を作るとか、私達が生きていく上での工夫は許せるとして、「可愛い~」っていうだけのもてあそび方ってどうなんでしょうね。

私は無神論者です。神という存在は信じていません。でも、神の領域を人は侵してはいけないとは思っています。神様だって完璧ではないでしょうから(などと書くと敬虔な方々に叱られそうですね、深い意味はありません)、気紛れや失敗で災いを起こすことだってありそうですが、それでもその領域まで人がやってしまえると思い込むのは大きな勘違いのようには思っています。

神の手に委ねなければならない神秘。それは、絶対必要なものだと思っています。


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しあわせ

2007年08月07日 | 雑談
そんなに好戦的ではないつもりです。穏やかに「事なかれ」で物事が進むのが、エネルギーが要りませんから楽です。戦うのには、エネルギーが必要ですからね。

それでも、仕事に関しては、どうしても譲れないことも多く、戦って来たのかもしれません。少なくとも、次々に自分なりのテーマというか、課題というか、攻略すべきものは常に「ある」状態でした。

で、恐らくはそうして、自分なりに「何かを求め続けている過程」そのものが「幸せ」なんだと、最近思うようになりました。手に入れてしまえば、その瞬間にそれは色褪せてしまいますから。そういう意味で、仕事上は常に山ほどの「夢」を抱えています。

でも仕事を抜きにしたとき…、あなたなら今何が一番欲しいですか? ダイアモンドの指輪ですか? 1億円の豪邸ですか? 不老長寿の肉体ですか? もっと現実的にブランド物のバッグですか? 家族の笑顔ですか? 家族団らんの時間ですか? 健康ですか? 平凡な日常ですか? 充実感ですか? …

フトそう考えたとき、私的には「何も要りません」。「たった今」この瞬間だけで、それ以上のものを欲しいとは思わない自分は、世界中で一番幸せかもしれません(能天気とも言う)。もしかすると、これって歳をとった証拠でしょうか?


ネット素材は探しにくい?
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魂の震え

2007年08月06日 | 命の生き方
自分の考えをシッカリと持つことは大切なことだと思っています。そして、その自分の考えを、シッカリと表現することも大切なことだと思います。日本人はどうしても、自分の意見をハッキリ言うのが苦手なようです。良くは知りませんが、外国の子ども達が積極的に手を上げて自分の意見を臆せず発表できる中、日本人はどうしても曖昧な態度に終始してしまいがちです。

ただ、伝えたいことがあれば、それをストレートに言えばそれで伝わるか?というと、実はそうではないところが辛いところです。自分の思うことは、誰彼なくそのまんまぶつけたら、真意は伝わるか?というと、そうではありません。

「言った」ことが重要なのではなく「伝わった」ことが重要だからです。人は、こちらが思っているように、言葉を受け止めてはくれません。その方なりの聞き方をされますから、言葉というのは難しいとつくづく感じます。

特に、「政治」と「宗教」の話はご法度だといわれます。が、これはある面正しいかと思います。人はその思想・心情を人にとやかく言われることはなく、何をどう考えるかはその人の自由です。ですから、相手の思想・心情を真っ向から否定することにもなりかねない、シビアな発言は熟慮を重ねた上でしか口にすべきではないと、考えています。政治や宗教を超した魂の震えを話すことでしか分かっていただけないのではないでしょうか。




まとめて均等割付したい
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ツール

2007年08月05日 | 社会派らぼ
社保庁内の不正が明るみに出てきました。今までの「信じられない」それでも「ミス」に加えて、今度は「人為的な」「不正」というわけです。ただ、今更驚かないというのが、今の日本の悲しい現状です。1,000万円を超す不正額を指摘されている、ある職員は事態発覚後自殺を図ったため、数千万円が回収不能になっているとの内容でした。例えば、この職員という人の一生って、何だったんだろう?とすら思えてきます。楽しかったのだろうか? 幸せだったのだろうか? 愉快だったのだろうか?…

先般は、医者不足の実情も報道されていました。枚方の病院で医師が引き上げたため、診療窓口を閉鎖しなくてはならない科が出てきたということです。地域医療の破綻といった見出しがつけられていましたが、枚方にしてこの現状なら地方は推して知るべしです。

様々な背景があるのでしょう。今までの医局制度が刷新されたため、医局に所属せず都会の民間病院で研修する医師が増えたのも一因のようです。又、内科・外科などを選択する医師が殆どであった以前と比べると、急患などの少ない眼科や耳鼻科などが増えているとのことです。「医者の給料が下がったから」と指摘をする人がいました。ダントツに収入の多い職業という偏見?のある中、医者の報酬が下がって看護士と同様になっている。例えばデパートのコンタクトレンズ室などに勤める眼科医の年収は驚くほど高額で、それくらいのお金を出せば医者が集まるというものです。

そんなに「お金」というのが第一義的に大切なのでしょうか。武士は食わねど高楊枝…という時代は過去なんですね。「お金」のことを云々するのはさもしいとでもいうある意味偏った時代もありました。が、逆転した時代はあまりにも「資本」至上主義に走ってしまったかのようです。思うに、「お金」というのもあくまでも「ツール」なのではないでしょうか。「ツール」はその名のとおり「道具」であって「目的」ではありません。「何か」をするために「お金」が必要なはずなのです。…という意味で、私達も企業自身も「お金」以外の目標を見失っているのではないでしょうか。「営利」や「地域経済の活性化」といったことでなく、違うところにその目線を置く必要を感じます。

日本の企業にはボランタリー的な要素がともすれば欠けがちだとは感じていました。それは恐らく企業が「お金」以外の目標を持っていないところから来るものかもしれません。パソコン技術を修得される目的が「パソコン」そのものにある方より、「したいもの」のためにパソコンを身につけようとされる方の方が、圧倒的に修得度が高いのと似ているかも知れません。




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順序

2007年08月04日 | 命の生き方
身近な人達との繋がりを大切に、平凡であることに感謝しながら過ごす日々と、世界の中心に自分を据え、そこからの論理でしか物事を見ようとせず、それを「自分らしく」あることだと勘違いすることとは決定的に違うのではないかと思います。言葉にしてしまえば、誰しもが頷かれるところですが、実際の日常を両断することはタブーであるかも知れません。

政治家の不祥事等にもよく取り上げられる言葉ですが「公私混同」。「私」を広く延長した先に「公」があるとの発想でいると、どうもことがややこしくなるのかも知れません。大きな世界から見下ろしたその足下に、小さな「個」が存在すると考える方が、この大宇宙を全身で感じられるような気がします。

ものには「順序」があって、パソコンでは「上から下へ」「左から右へ」の順序を守るのが鉄則です。それが横書き文化の原点だからです。こうしたものが常に進化していくのはご承知のとおりです。使い勝手が良くなるように、あらゆるものに対処が可能なように…。ただ、汎用性を持たせるということは、ある種の鋭利さを失うことであるかも知れません。

ほんの小さな命のゆらめきでしかない「自分」自身の外に広がる、大宇宙を頭の中心に受け止めて感じながら生きていたい…と言えば、この感触は他人に伝わるのでしょうか。つくづくと、ものを書くということは難しいと実感しています。



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出発点

2007年08月03日 | 雑談
歴史の流れを振り返ると、民衆は強圧的な支配から「自由」を得るために長い戦いの道をたどって来たのかも知れません。ですから「自由」という言葉には特別な響きがあります。目指すべき甘美なものであるのは疑う余地もないようです。

歴史を逆行しようというのではありません。究極に「自由」だけを求めていけば、社会生活は成立しなくなるのではないかと危惧するところがあります。恐らく「人」という生き物には、他の猛獣のような力も速さも毒も鋭い歯も与えられていません。「人」は群れて寄り添って生きるしか術がないように作られているかのようです。

人が個人の「自由」を可能な限り尊重され、しかも社会としての和を保つために「政治」というものがあるはずなのに、その「政治」が今は機能していないような印象を受けています。

家庭にあっては「個」を育て、学校などの社会生活が「公」の部分を育てていくのが本来の役割なのに、家庭では「個」を育てきれず、社会も「公」を育てる使命を忘れているかのようです。あまりにも個人レベルの視野に終始し、大きく広くものを見る視点、寄り添って生きなければ生きる術のない私たちの大きな出発点をもう一回見直さなければならないのかも知れません。


エクセル上で図形サイズが変わる
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