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大学考

2012年08月26日 | 社会派らぼ
大学と企業。それぞれが育成すべき人材として考えている方向性はさして違わないのに、それに向かうアプローチ評価に大きな開きがあることが浮き彫りになりました。駿台教育研究所が実施した「時代が求める人材像」の集計を終えた結果です。

共に、「主体性」や「グローバルな視点」を備えた人材が大切だとしてはいるものの、企業からは今の学生が受動的過ぎるとして、時に大学の講義にその因があるとまで踏み込んで回答しているものまでありました。一方、大学側は、学生の基礎学力不足の補填に追われ学内でも足並みが揃わないと嘆きます。

元々、今の大学が社会の中で果たしている働きには、疑問を感じるところ大です。少子化と共に大学全入時代が到来とも言われ、それぞれ個々人の考え方や環境にもよりますが、ほぼ60%という数値が示されています。大学に進学しない方が少数派という時代になって来ています。これは生活が豊かになった証でしょうから、望ましいことだとは思うものの、では大学に行って何を学んだのか、それがその先の人生や仕事にどう活かされているかになると、漠然とした「経験による学び」は別として、あまり効果的な答えは返っては来ません。さらには、大学進学が当たり前になったせいで、更に大学院への進学率も、これまた大学や学部によってかなりのバラつきがありはしますが、高い場合は90%近い数値が挙がっています。

それだけの高度教育を受けた結果が、上記の企業が回答する「中途半端な専門性」しか持たず、「実践力」の足りない学生像というところに繋がっているのだと考えると、何のための大学だか訳が分からなくなってしまいます。少子化のせいで、大学側は学生確保に躍起にならざるを得ないのでしょうが、その結果が学力のない学生まで入学させることに繋がっています。もしくは高い学力の学生を確保できたとしても、その学力の高さが、実はつめこみの暗記型の学力であるために、高度な勉学には不向きだったりするのでしょう。

だから、大学不要論は過激ではありますし、この現状なら、私も我が子に大学進学を勧めます。根本的な教育年限を変更することを含め、今の大学は高校程度の半ば義務教育化してしまう位置にその姿を変え、中身も仕事に即反映できるような力を養成するカリキュラムに変更する必要がないでしょうか。更に、その先の高度な研究機関には、本当にその専門分野に憧憬が深く、将来も狭い専門性の分野に身を捧げる覚悟の人間だけに特化してしまっても良いのではないかと思えてきます。逆にそこに進んでしまったら、簡単には就職できないよ…的な場所でも良いかもしれません。

まぁ、言うのはタダですから。



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