「超人」とまで呼ばれるスーパーアルピニストの手記などを読んでいると、一つの大きな山に登るのに、チョット大きな峠を越えて行く話しとかはざらで、しかも大きな山と言うのは、ほとんど氷で覆われた1000m以上の大岩壁で、超える峠も標高3000mより高かったりして、まァスゴイ、ホントにスゴイ。
いつか自分もこんなクライミングを、と憧れて何度も読み返していたのは、40年程前の学生の頃。
それから数10年経って、もうそんなスーパーアルピニストの世界は、遥か遠く去り、ただ歩いて登るだけの日本の3000m峰でも、フウフウゼイゼイで大変。時々脚も攣るし、あぁナサケナイ。
山へ登る体力を維持するには、山へ登るしかない。
と言う事で、有馬温泉から番匠屋畑尾根を登り、紅葉谷を下り、白石谷を一軒茶屋まで登り返す、このトレーニングコースを歩くことにしたのだが、ほんの僅か、峠を越えて大きな山へ登る雰囲気もあって、時々ゴミも拾いながら、毎週行っていた時期も長かった。
そして、一軒茶屋からの下りはこの逆コース、白石谷を下り、紅葉谷を登り返し、番匠屋畑尾根を下ってこそ、峠越え大登山トレーニングは完結するのだが、これが一度もない。
実はその気だった時も何度があった。
しかし、一軒茶屋でビール1本飲むと、その気は一瞬にしぼんで、道路沿いの縦走路を極楽茶屋跡まで行って、番匠屋畑尾根を下るのがせいぜい。縦走路も番匠屋畑尾根もチョコチョコしたアップダウンがあるので、これでもそこそこハードだったけど。
やがて21世紀になった頃、一軒茶屋では道路側の席で、午後の陽光を受けながらビール1本で30分以上、ゆっくり過ごすのが楽しみになった。
15時を廻るとほとんど客もなく、茶店の先代サンとも色々お話ししたり、本も何冊か読んだ。
1本のビールは、真夏には数本になり酔っ払って、その挙句白石谷の崖で落ちた事もあった。
8年前のそんな夏が終わりかけた9月の初め、先代サンはスズメバチの被害に遭われ、あっけなく亡くなられた。
色んな事があったが、一軒茶屋での30分以上の休憩と、ホロ酔いで下る魚屋道を下るのは、まだ会社人であった当時、イイ安らぎだった。
先週の13日の金曜日、5年振りにトレーニングコースを登って着いた一軒茶屋は、何故か閉まっていた。
その日の安らぎはナシ。会社辞めてルので、安らぎは24時間、共にある。まぁイイか。
空はいつ雨が降ってもおかしくない模様。小走りで魚屋道を下ることにした。
前回、魚屋道を下ったのは半年程前、アラフォーフラガール二人のお伴で、芦屋から登って来た時だった。
それは秋の好日、ひと時のきらめき、アラ還ジジイ垂涎の一日だった。
その日、魚屋道から望む主稜線はまだ冬枯れ。
倒れた大きな樹の根。これはかなり前のもの(?)
道の反対側では、倒れた木を片付けた跡。これは最近作業した様子。周りには冬枯れの木々。
ツツジの枝の先には小さな新芽が。
有馬温泉街が見えかける辺りまで下ると、タムシバが咲いていた。
4月の、陽が落ちて闇につつまれる少し前、灰色と深緑の斜面に浮き上がるこの白い花、ワタクシの好きなモノ。今年も会えました。