蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

3年振りのハチ北

2014-03-30 22:04:10 | 山とスキーでブラブラ

前週は栂池の定宿が、恒例の団体サンで泊れない週。信州へは行けないがスキーはしたい。
しかし兵庫県北部のスキー場は、春分の日あたりでシーズン終了となってしまう。

そんな中、調べてみるとハチ北はまだやっていることが判った。

と、言う事で28日、3年振りのハチ北。その前は12年振りだった

5時半出発、神戸西ICから舞鶴道、豊岡道、R9を経て、ゲレンデ駐車場着、8時過ぎ。

Imgp0716 駐車場から見上げた3月終わりのハチ北。雪解けが進んでいるのがよく判る。

Imgp0717 リフトを3つ乗り継いで鉢伏のテッペン着。真冬には見えたことのない氷ノ山が見える。

Imgp0718 北壁側は立入禁止。

Imgp0719 モーグルバーンがあちこちに見える。しかしあんなにチマチマと小廻りは出来ないワタクシ、そのコース横を少し大廻りで滑らせてもらう。

Imgp0720 ハチ側のゲレンデは既にオシマイ。

Imgp0721 雪が融け「大沼」が現れ、その側のハルニレの大木を紹介する看板。この看板、冬に気が付いた事はない。

上から下まで10往復して14時半、飽きて来たので帰ることにした。

兵庫県北部、但馬のスキーシーズンは信州に比べて2ヶ月近く短い。
3月終わりの、春が始まったシーズンオシマイのスキー場、寂しいのがイイ。荒天ばかりの真冬には、見えた事のないモノなども見えたりして。


徐々に神戸から離れて行くココロ

2014-03-30 20:20:46 | 神戸布引谷での出来事

たまらなく好きだったモノ、いやフツーに好きだったモノでも、気が付くとヘンになっていて、たまらなくキライになることがある。

ワタクシが5歳から28歳まで通園、通学、通勤していた布引谷。
新神戸から急登をあがり、最初に一服で腰を下ろす展望台横の、戦前は機能していたらしい監視小屋の石垣。
昔はそこから三ノ宮が見えた。

いつも見るのは午後の三ノ宮、日暮れの三ノ宮だったが、朝まで呑んでいて、夜明けにそこから見た三ノ宮は、ビル群に朝日が当たって幻想的だった。
早く起きて見に来たのであれば、“朝日のように爽やかに”感じたのであろうが、夜通し呑んでいた後だったので、全てがマボロシに見えた。25歳頃の大晦日の夜明けだった。

見えなくなったのは三ノ宮だけではない。至る所で遠くが見えなくなった。特に春から秋は、水の流れや貯水池の水面など、昔と比べて見えない所が多くなった。

長い時間を掛けて徐々に木々が生い茂り、通園、通学、通勤していた頃に見ていた景色を、隠してしまったのだ。

そして生い茂った木々は、地面から太陽を隠し、そのため雑草が生えなくなった。
足を踏み入れることに戸惑うほど繁っていた雑草は消え去り、多くの山の斜面は自由に歩けるようになっていた。

それは不気味にヘンになった景色だった。

蛇口を開ければ遠慮なく出て来る布引ウォーター。
それは、新神戸から箕谷へ抜けるトンネルが開通してから出なくなった。
住民の為に道路公社が給水設備を作ったが、それは昔の谷の湧水ではなく、布引谷の本流から取水したものであり、3年程前、時によっては緑がかっていることに気が付いた。
上流の堰堤工事で濁ることも度々あり、その都度、道路公社はペットボトルの水を配布しているらしい。

布引ウォーターもヘンになった。

ワタクシはオフクロが亡くなった後、遺して逝ったモノを片付け、古い建屋を改装し、40年振りに布引谷の住民になろう考えていた。
家の中をほぼ片付け、いよいよ改装工事を始めようとした時、景色と水がヘンになったことに気付いた。
小学校の20年先輩の茶店の女主人から、「街に住むトコ、あんねンから、こんなトコにワザワザお金かけて住むコトないやン」、と言われた。

そしてワタクシは布引谷・山の家に住むことを諦めた。

それでも、週に一度は戻り、庭の雑草を抜いたりしていた。

それが月一回となり、いつの間にか3ヶ月に1回になってしまった。

前回戻ったのは、12月中、もう3ヶ月以上経ってしまっている。
布引谷の景色と水が、たまらなくキライになりかけているのかも知れない。

前週は栂池の定宿が恒例の団体サンで泊れない週。信州へは行けないから、布引谷・山の家に戻ってみることにした。

Imgp0707 月曜日、雨が続いていたのか、谷の水量は多かった。

Imgp0708 布引貯水池ダムの上。今は休憩場所になっているが、40年程前までは事務所があり、水道局の職員が何人か宿直していた。彼らとは定期的に顔を会わすので、通学する我々小中学生とはトモダチだった。面白いオッチャンもいた。

Imgp0709 貯水池の色は、その頃とは明らかに違う。昔はもっと深い緑色だった。
貯水池の畔のハイキングコースの50m程上の車道からは、池を悠然と泳ぐ大きな鯉が見えた。今は生い茂った木々で湖面は見えないし、この透明度では泳いでいる鯉がいたとしても見えないと思う。

Imgp0710 冬だから雑草は少なく、庭は落ち葉のみ。取りあえず集めて燃やす。

Imgp0713 久しぶりに昼寝中のノラと遭遇。

Imgp0714 建屋のウラに溜まった落ち葉を集めて燃やしていると、昼寝を邪魔されたノラは迷惑そうにどこかへ消えた。

Imgp0715 この時期、庭に漂っている芳香の元はこのスミレ。相変わらず、穏やかな薫りだった。

しかし、相変わらず庭はイノシシが荒らし放題。次から次、掘りかえしている。

ワタクシが住まなくなってから、家にムカデ、ヤモリがいなくなった。
灯り、熱が出なくなって虫がいなくなり、それをエサにしているムカデ、ヤモリがいなくなり、その代わりにイノシシの縄張りとなった。自然になるがままに。

溜まった落ち葉はかなり多く、下の方は湿気ていて、中々燃え尽きなかった。放っておいては帰れない。気が付けば陽が傾きかけている。さっさと帰りましょ。

布引谷への行き帰りは元町駅から歩いている。垂水からのJRの切符代が、三ノ宮と較べて3割近く安い。往復で150円程、年金生活者は少しでも節約しないと。

と、言うか、元町から加納町を経て新神戸に至るルートも昔の通勤路。最初に就職した会社は元町駅の北にあった。
当然、バスの定期代は出ていたが、途中に広がるのは呑み屋街、頻繁にそんな場所に出没しながら歩いていた。

それは、元町からいくつかの坂道を登り、横切って行くことになるが、山に向かって延びて行く通りと街並みこそ、港町・神戸の景色だと思っていた。

しかし、そんな通りの両側の古いビルが、いつの間にかキレイなマンションに代わっている。ワタクシが住んでいる様な、低所得者救済マンションではない。最低3千万(?)、どなたがお住みになるのだろう。
トアロードにあった古い小学校は統合でなくなっている。ファミリーで住むとしたら子供たちはどこの小学校へ通うのか、まぁ余計なお世話ですが。

加納町から新神戸への大通り、昔、この通りに面して子供服メーカーのビルが並んでいたが、気が付けば、全てマンションに代わっている。
この日の行き帰りも、建設中のマンションを数軒見た。

そして、他によく眼に付いたのは、若く溌剌とした政治家(の候補生?)のポスター。それは、学生の頃はスポーツが出来て、生徒会長などをやっていたような感じの青年。
挫折、孤独、サウダーデなどと言う言葉を全く感じさせない甘いマスクに、多分、沢山のオバサン、オネエサンは、「アタシ、よく判ンない」とか言いながら、無意識にに投票してしまうンでしょうナ。

しかしその直ぐ側には、異次元の(?)金融緩和をして、それで株価が上がり、円が下がって、そう言う恩恵を受けない極フツーの人達にも、ナゼか人気のあるABEとか言う、ジミン党総裁でシュショウのポスター。ヒノマルをバックに、「強い日本を取り戻す」とか書いてある。
要はこのイケメン、集団的自衛権とか言う「参戦権 with USA」を、何がなんでも行使しようとしている“スマイル ミリタニズム”の一員だった。

ワタクシはお殿サマの血筋ではないし、地主、金持ちのセガレでもないし、会社を興して勝ち組になろうとも思わなかったので、選挙権を得てから一度もジミン党に投票したことは無い。
しかし、昔のジミン党の政治家たちは、コワモテのオッチャンでも、9条を標的とした憲法改悪や集団的自衛権を否定した人達が多かったそうで、コワモテのイメージは程遠い“ハト”が多かったそうだ。

それが今は優しそうなイケメンの“タカ”ばかり。そして、選挙ではそんなノが“勇ましく”選ばれる。ヤバい時代になったモンです。

そんな輩のポスターがよく眼に付く昔の通勤路。更に進めば水と風景がヘンになった通学・通勤路。

そんな神戸から徐々にココロが離れて行くような気がする。