更なる ときめきを求めて!

「七色唐辛子+一味唐辛子の会」は、卒業しました。

全て変わりつつあります。

2017年04月21日 | 日記

 「ロイヤルパ-クホテル・ザ汐留」 昨夕は東京城南と自由が丘両ロ-タリ-クラブの合同例会でした。同じ港区内、神谷町の事務所から20分、”逢魔ヶ刻”の街並みの変化を楽しみながら 虎ノ門ヒルズ、日比谷通り、第一京浜を通り抜け、目的地の汐留まで歩きました。

1872年、”汽笛一声、新橋を・・・・・゛新橋~横浜開通。汐留は、数十年前までは貨物駅舎として存在していました。今はゆりかもめ「汐留駅」を中心にミュ-ジアム、ホテル、レストランが立ち並ぶお洒落な街に様変わりしています。

 卓話は、「変わりゆくお米の世界」、五つ星お米マイスタ-、西島豊造氏のお米に纏わる様々のお話し。驚きました。日本の4人家族一ケ月のお米消費量は、たったの3.6kg。我が家は、老夫婦二人で10kg。食生活のスタイルも変わりつつあるのですね。

親睦を深めあった2時間でした。

  

 

 

 五黄巳年の3歳の孫娘「ライリ」、背がすらっと伸びて大分生長して、赤ちゃんから幼児へと変わってきました。相変わらずの気の強さ、欲深さは私のDNA。この気質、変わって欲しいのですけど・・・、変わりません。保育園にもすっかり慣れたようです。ロシアのリイマ君、韓国のシオン君に気に入られて、ライリとの手つなぎたくて、散歩の行き帰りは、二人のMR.交替だそうです。昨日は、リマ君に指を噛まれ、微かに痕が残っていました。3~4歳の幼児でも異性を意識するのでしょうか?モテた経験の全くなかった私には今持って未知の世界です。モテモテのライリは、誰のDNA・・・??

  

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主役交代

2017年04月19日 | 日記

 半月留守の間、我が家の庭の主役はすっかり交代していました。ソメイヨシノは葉桜の装い。代って爛漫と咲き誇っているのは八重桜。

 

 君子蘭、牡丹も競いあって咲き誇っています。 季節は  ”・・・青葉若葉のひの光り” に移つろっていました。人生にも交替、引き際があるのかもしれない・・・・。そろそろ子供に突っ張るのを控えようかしらと、チョッピリ神妙な考えが頭の片隅を掠めました。

   

蔓延っている蕗、夕食のひと品を加えました。久しぶりの和の食材、やっぱり良いなア、と改めて。

 

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ナマステ!!

2017年04月17日 | 日記

 「ナマステ」は、ネパ-ルの挨拶の言葉です。相手の目を見ながら、胸の前で両手を合わせて言います。三度目のネパ-ル訪問は、カトマンズからポカラ、2750mのジョムソンを経由して、チベットの国境に限りなく近づくチベット仏教、ヒンズ-教の聖地、ムクチナ-ト3800mを目指しましたが、道路状況が悪く3500mで撤退。残念!広がる荒涼とした雄大な風景。体調、今一つはっきりせず、初めて軽い高山病に罹りました。頭痛とム-ンフエイスになりました。

 

 4日間の滞在は、北に8167m、真ん中の氷河を挟むダウラギリ、西に6940mのニルギニを望む、2800mに位置するロッジ・タサン・ビレッジ。ご一緒した楜沢成明先生設計です。

 先生の設計されたムスタンヒマ-ルにホテルが建造中。こちらは5000m級の峰をいくつか超えていく大変な難所にあります。今のネパ-ルは民主共和制ですが、数年前までは王制で、その時の王様からの依頼だそうです。依頼主のロ-マンタンのプリンスジグミ氏が楜沢先生を訪ねて見えました。今回の旅をお誘いしたロ-タリ-クラブの安東さん。”王様と私”のノリの彼女の満足そうな顔をご覧ください。

 4月10日はアンナプルナ山群を望みながら6時間。翌日11日はチベット難民キャンプ、チベット仏教のチャイロゴンパを訪ね5時間のトレッキング。足は痛いし、膝も限界でした。途中オ-ストラリアからのトレッキング連中と同じ場所で休憩。ホツ!

 

 これは大麻。嗅いで見ましたが無臭。葉っぱを一枚、持ち帰りたかったのですが関税でひっかかるのを懸念して断念。

 カトマンズでは、幸運なことに”生き神クマリ”を乗せた山車に出会えました。滅多に拝めないのです。クマリは初潮前の怪我や病気の痕のない美しく利発な少女が選ばれ神としての振る舞います。街のいたるところにシヴァ神の象徴であるシヴァリンガ(シヴァ神の象徴である男根像)を目にします。チベット仏教の歡喜仏像も沢山見られます。日本の神道の豊饒に繋がるように思いました。

  

ホテルからの夕日は赤く染められて、旅情タップリでした。これからも続くであろう夫と一緒のシ・ア・ワ・セな旅時間。私のエネルギ-は2倍いります。身の回りの事が何一つできない「殿様亭主」、私は草臥れます。

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三度目のネパ-ル・・・ちょっと不安

2017年04月03日 | 日記

 最初の訪問は1996年。相部屋は、坂本龍一のお母さん。「テクノポップスって知っている」 20年以上も前の会話。恥ずかしいことに、当時の私は世界の坂本龍一を知りませんでした。後になって彼が如何に優れた音楽家であることを知るところとなりました。容姿は、よく似た母子でした。坂本夫人は「日本百名山」を踏破された行動的な方でしたが、数年前お亡くなりになりました。その頃は私も元気いっぱい、ブ-タン、モロッコ、チュニジア、トルコ等々飛びまくっていました。最近、少し臆するところも出てきましたが、行ける元気のあるうちにと・・・。

 今回の旅は、建築家の楜沢先生を中心に5名の旅です。その頃の写真を見ると、やっぱり若いですね。

先生には数年前、東京城南ロ-タリ-クラブで卓話をしていただいたことがあります。

 

 

 先生が設計された、”ロッジ・タサン・ビレッジ”に数日宿泊します。ホテル正面、目前に、8167mのダウラギリの雄姿と大氷河、背後には7061mのニルギリが見えます。夜、ロッジの屋上で寒さ対策をして、息を呑むような大パノラマを堪能します。日本では、決して見ることのできない光景です。今年の夏は、さらに高い所に先生設計のホテルが完成予定です。今回はどこへ連れて行ってくださるのかしら・・・? 100m登るごとに0.5℃気温が下がります。酸素も薄くなるし大丈夫かしら。先回は、3000mぐらい迄、登ったんような記憶があります。チベットの国境に、迫りつつあるような・・・??

  

  出かける時の我が家の前の桜は、三部咲かしら?帰る頃は花の美しさは終わっていることでしょう。気にかけながら行って来ます。

 

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ブルブル・・・春の文化の寒い一日

2017年04月01日 | 日記

 30日のあの陽気は何だったのかしら?寒い小雨交じりの今日、午前中は、目黒区民ホ-ルで、東京城南ロ-タリ-クラブ、今期最後の奉仕活動。一時代の日本文化を彩った、活動弁士に依る「椿姫」の上映会。このお天気、客足が気になって、9:00am一番乗りで会場待機。最初のお客様は私がお声がけした男性。「ようこそ!ようこそ!」。足元の悪い中、私の知友人も20名近くがお越しくださり(もつべきは友)、客席は何とか収まりました。ホツ!

活動弁士の無声映画を初めての方が殆ど。斯く言う私も、昨年が初めてで、今回が4回目。あの語り、「凄い!」としか言いようのない。

 

 今年度の若い徳山会長も、話芸の巧さに圧倒された一人。心強い!!ひとりでも二人でも理解者が増えることが、日本の伝統文化を育てることになるのです。

 午後からは、常陸宮御夫妻ご列席の元、東京オペラシテイ、「がん患者が歌う春の第九チャリテイコンサ-ト」。指揮者は小林研一郎マエストロの愛弟子の」山田和樹。サントリ-ホ-ルや、芸術劇場で演奏会を実施したした10年の過去が、走馬灯のように頭を掠める。客席で聞く「第九」感無量・・・・。直美先生のご招待でした。ありがとうございました。

 文化を堪能したブルブル((((;゚Д゚))))のエイプリルフ-ルの一日でした。

明日は、なんとしてもネパ-ルへの旅支度をしなければ・・・・時間がない。アアアァァ( °∀°)ァァアアア忙しい!イソガシイ

  

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