・・・藤堂高虎は15歳の時に浅井家に仕えてから、生涯七人の主君に仕え、大坂の陣も生き残り、32万石の大大名になった武将です。
「津城内の藤堂高虎像」
彼は築城の名手として知られ、彼が手がけた城は宇和島城、今治城、津城、伊賀上野城、その他に修築をした城は、聚楽第、伏見城、江戸城、篠山城、丹波亀山城、大阪城、二条城などがある。
「再建された丑寅櫓」
丑寅櫓は城内最大の五間四方の層塔型三重三層手す。他城では天守に相当する格式を備えている。
津城は1580年に織田信包により築かれた平城で、1608年に入府した藤堂高虎により整備された。
今でも石垣に当時の威容が感じられる。 通常は藤堂高虎の築城の完成形と評価できるらしい。