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俺祭りで行こう

やりたいことしかやらない俺祭り104(おれまつりとし)のへなちょこブログ。

常盤新平「遠いアメリカ」

2010-03-08 | 読書・作家タ行
 戦後10年ちょっとの昭和30年代前半のお話で、自分の生まれる数年前でいちばん感覚的にわかりずらい時代かもしれない。いっそ、戦時中や戦前、もっと言えば明治や江戸時代のほうが全然経験値としてわからないだけに入りやすい気がする。

 この時代はコーラが上陸したけど、まだクリーネックス(クリネックス、ではないらしい)やハンバーガーは上陸していなくて、それらのイメージがつかめなかったとのことだが、その感覚はさすがにない(笑)。ただ、自分が幼少時には、まだクリネックスは「お母さんが化粧で使うもの」で、お父さんや子供たちは鼻をかむのにも「ちり紙」をつかっていたのは確か。トイレットペーパーなどもあまりみかけず、ちり紙やおとし紙といわれるものを使っていましたな。そういえば、ハンバーガーなんかも当時は高い食い物だったはず。

 いずれにしても、感覚的に微妙な時期で、自分の記憶に重なる部分と重ならない部分があってなにかしっくりきません。登場人物たちの感性もなにかしっくりこないような気が。。今よりはいい時代のようにも感じるが、これはまあ、いつの時代も「昔はよかった」になるから、単なるノスタルジーでしょうね。

出久根達郎「おんな飛脚人」

2009-10-28 | 読書・作家タ行
 地下鉄丸の内線の池袋駅(東口)改札を入ったところに「ふくろう文庫」という目立たない本棚があります。どうも本来はおそらくその「ふくろう文庫」独自の運営だったようですが、今は乗客の読み終えた本が無造作に置いてあるといったオモムキです。本来のふくろう文庫の本はそのゴム印が押してあるんですが、でもそれはめったに見ない。ブックオフの値札をつけた本がちらほら。聖書とか、健康本とか、西村京太郎とか、全然わかんないタイトルの本とか、ラインナップはバラバラながら、かなり池袋です(笑)
 
 前置きが長くなりましたが、ひばりの図書館で借りた本が尽きてしまったもんで、この本棚から一冊お借りしたのが本書です。

 なんていうことのない読み物で、徳川末期の人情話です。でもなんというか「ふくろう文庫」でお借りした本っていうのは普段絶対選ばない種類の本なんで、逆にインパクトが強い。なにしろ本棚にはせいぜい5冊くらいしかないし、朝の通勤時にみると1冊もないし(笑)
 
 ふくろう文庫の話ばっかりになってしまいましたが、この本は爽やかでいいですよ。ってなわけで、帰りに続編を図書館で借りてしまいました(笑)

寺山修司「身毒丸(しんとくまる)」

2009-07-23 | 読書・作家タ行

  つげ義春なんぞを読んでしまったせいか、寺山ワールドを久々に見たくなる。1980年発行の本です。

 83年に僕が上京したその年に寺山修司は亡くなってしまった。おかげで、天井桟敷という劇団の演劇は見ることができず。ホントに残念だったのを思い出します。

 「怪人柳田國男博士」とか「犬印安産帯のはてな?」とか、こういうの、好きなんだよね~今時のレトロ風飲み屋によくある由美かおるのアース渦巻のホーロー看板とかとはちと違うんですわ。。

 さて、くだらないことを書いていてもしょうがないので、この本に収められている「邪宗門」の一節をば。

しば

さば

ばこん

ゆりりうす

えとら

せつりょう

とど

まさえ

 

ろけん

やだいば

あら

だらに

 

いろはに

ほへと

ちりぬるを

ちりし

ちぶみの

ちのみごや

 

ぼんのう

かみきり

いれぼくろ

しんだこもりの

しょうのふえ

 

まつりばやしに

はなぐるい

なきなき

ははを

すてにいく

しんでください おっかさん

しんでください おっかさん

しんでください おっかさん

 

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帰らぬ父を待っている老女白菊に、耳なし芳一が

新聞のたずね人欄に広告をだしてみましたか?

と問う。

首を振る老女白菊。

「3時のあなた」から呼びかけてみましたか?

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 寺山ワールドは高校の頃からずっと好きなんですね。耳なし芳一が問いかける「3時のあなた」、いいねぇ。

合掌。

 

 


つげ義春「貧困旅行記」

2009-07-22 | 読書・作家タ行
 独特の雰囲気があっておもしろかった。普通の人のようでそうじゃない。またはその逆。そのフンイキがいい。

 里山を歩く話が多くて、どうしてもトレランと比べてしまう。
 
 「貧困」というべきところではないと思うが、同じ時間を掛けるなら、トレランの場合、通常歩きの3倍くらいの距離は稼げる。だから、結構遠くへ行っても宿に泊まるようなこともなくまた駅まで戻ってきてしまう、もしくは日帰り温泉で十分、ということになってしまう。だから結果的にはあまりカネが掛からない。
 富士山なんて金剛杖をもって焼印を押してもらいながら登って山小屋にでも泊まろうもんなら2~3万すぐに掛かってしまうと思うが、馬返しからペットボトルを持って山頂まで試走して戻ってくるだけなら1円も掛からない。せいぜいトイレに1回寄ったところで200円だ。
 歩くか走るかは好みの問題だけど、カネの観点でみると、走る方が圧倒的にカネが掛からないということを感じてしまった。まあ、場違いな感想だけど。。

津村記久子「ポトスライムの舟」

2009-02-13 | 読書・作家タ行
 「反貧困」の湯浅誠氏と伊藤忠商事会長の対談が読みたくて文藝春秋を買った。この号に掲載された最新の芥川賞受賞作が本作。今号は不況の話題が中心だが、受賞作までワーキングプアの話。まあ、たまたまには違いないが。

 で、感想はといえば、とにかくユルくて、あまりピンとこなかった。
 「反貧困」の観点から分析すれば、ユルいのもうなずける。
 湯浅氏が言う「五重の排除」は、言葉は正確じゃないが、

 ①教育からの排除(親が貧困でまともな教育が受けられない)
 ②会社からの排除(福利厚生や雇用保険の恩恵がない)
 ③家庭からの排除(家族や知人から金銭や住居の援助を受けられない)
 ④役所からの排除(生活保護が受けられない)
 ⑤自分自身からの排除(④レベルまで来て自分は存在価値のない人間だと思い込む状態)

 であるが、

 桐野夏生「メタボラ」のギンちゃんは家庭が崩壊して大学に払う学費がなくなり(①③)、生活費がなくなりバイトをやめてアパートを引き払って柏崎の工場で派遣労働をする(②)ものの行き詰って⑤の状態になってネット集団自殺に参加して、その生き残りというところから小説がスタートする。ちなみに、湯浅氏によれば多くの人がギンちゃんのケースと同じで④の生活保護を申請する発想はないと言う。
 ギンちゃんの場合はどん底の状態(無一文&記憶喪失)から話が始まるので迫力が違う。

 一方「ポトス」のナガセは同様に派遣労働でワーキングプア状態だが、母親と同居できているので②レベルで済んでいる。金銭的な「溜め」、人的な「溜め」があるのでとりあえず住居に住んで、毎日食べられる。これが圧倒的な差ということになる。

 この小説は政治的な関心で書かれていないからなんとかまとまったのだろうが、小さくユルくまとまっているだけで、ガッツリ感ゼロ。個人的にはおもしろくなかった。
 

辻仁成「サヨナライツカ」(ネタバレ注意)

2009-01-19 | 読書・作家タ行
 あ~、久々に外してしまった。。

 奔放な沓子も良妻賢母の光子もまったくリアリティがなく、その間で揺れる豊もまったく魅力がない。そもそも恋愛小説が好きではなく、これも恋愛小説だと知っていて読んだわけではないので不覚といえば不覚。
 第2部での沓子の手紙には同情はするが、感情移入はまったくできない。そして豊が最終的に手紙に返信するのもNGなら、会いに行くのも完全にNG。美学のひとつもなければ、想像力の欠如も甚だしい。ツボをまったくはずしている。
 こんな小説、世間ではどう思われているのかが気になったのでネットでいくつか感想文などを見たのだが、意外と「涙が止まらなかった」というような感想が多い。う~ん。いろんな見方があるものだ。この小説が好きな人はきっと太宰はんの「走れメロス」あたりにも感動するんだろうな。