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~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

○○の主題によるソナチネ

2011年10月08日 11時23分47秒 | 家族・友人等

今回娘が発表会で弾く曲は、ランゲ(1830~1889)作曲の「モーツァルトの主題によるソナチネ」っていいます。

地味に難しい曲で、左の「ドソミソ・ドソミソ」や「ドミソ・ドミソ」の音型がどうしてもちゃんと弾けず、

よってテンポもあやしくなりますし、右手にも速いスケールがあったり、両手がかなり離れたりで、

私としては「・・・・だから先生、娘にはまだ難しいって言ったじゃないですか~」と泣きのひとつもいれたい状態です。

 

曲そのものに戻って・・・

なにが「モーツァルトの主題による~」かと言いますと、

第1楽章が、K524「クローエに」 http://youtu.be/RuZzkQnSK-g

第2楽章が、K390「希望によせて」 http://youtu.be/zHSTDcJNlGs

第3楽章が、K596「春へのあこがれ」 http://youtu.be/M_j1il65RY0

を使って作曲されているからです。いや使っている、というより・・・・まんま(逃)。

最初から聴かせるのもなんですので、最近娘にはこれらを聴かせ、訳詩もだいたい教えてやりました。

 

昨晩、非常にザツに弾き飛ばしているので、叱るのは簡単なんですけど、何を考えてるのかを探ろうと、質問してみました。

私 「・・・・・あのさ、この曲を聴いてくれる人に『こんな曲です』って伝えたいことは?」

娘 「(破顔一笑) あのね、海賊がね・・・・」

私 「えっ?海賊?」

娘 「そう、1楽章は、海賊が船に乗ってて、そのなかの酒場で、トランプを積み重ねるゲームとか、ビリヤードとかやってる。ほら、ここの音は、ゲームで『勝ったぞ~』って喜んでるとこ。そっちの音は『こっちにもビール!』って言ってるとこ。最後のほうは、波が高くなって、船がひっくり返って、宝や金が海に散らばる」

・・・・・・・・・(原曲「クローエに」あとかたもなし。波が高くなってひっくり返るといっても、そこは短調でなければ激しい表現でもなく。。。。ふつうにたんたんとしたスケールなのに、なぜ?)・・・・・

娘 「2楽章は、海に散らばった宝や金を海賊が集めるんだよ。でも波が高くて、だんだん沈んでいって、最後に数人生き残る。そのうちのひとりは船長。」

・・・・・・・・(1楽章よりはまだわからないでもないけど・・・・。全滅ではないわけだ)・・・・・

娘 「3楽章は生き残った海賊が、島に泳ぎ着いて、どんどん島の中に入っていくんだよ。いろんな動物がでてきたり、きれいな景色があったり。奥についたら、なんと難破した船の宝物がたくさん積んである場所があって。。。磁石で吸い寄せられるみたいな場所なんだよね。で、やったー、って大喜び、みたいな。」

ちなみに、今朝、忘れたふりして再びきいてみましたら、まったく同じ話をしましたので、どうも思いつきではないようです。これしかないという確信に満ち満ちております。

頭のなか海賊でいっぱいなら、そりゃ弾き飛ばしもするでしょうよ。。。いや、いいんです、別にそれで私は。

・・・・・・ランゲもモーツァルトもびっくり・・・・・ 


秋の陣

2011年10月08日 00時21分37秒 | その他音楽

ふと気がついたらほんとに3日たってる~(汗)。

パソコンに向かってないわけではないんですけど、なにをしてたのだかあまり記憶にございません。

それはともかく、とりあえず軽くメモです。

5日(水)夕、某コンクール本選の伴奏(結果が良くてひと安心)

6日(木)は午前中はソファにすわったまま撃沈、午後は娘の個人懇談(成績表をありがたくいただく)、夕方文房具買い出し

7日(金)はとくに出かけず。

このほかにいつもの通りの用事というか仕事があり、それに加えて、毎日、娘の発表会の面倒を見ているので、ほどよいペースです。

 

コンクールの伴奏は約3年ぶりでしたけど、自分自身のコンクールとも違うし、発表会の伴奏とも違う、あの独特の感じがよみがえってきました。

実際はこちらも緊張しないわけではないのですけど、コンテスタントを差し置いて緊張するなんぞ許されないといいますか・・・・、何があっても引き受けるというか・・・・、たとえコンテスタントが迷子になってどこから弾き始めようが、追いついてみせるというか・・・・、少なくともそれくらいの覚悟をもってこちらも臨むので、逆に妙に落ち着いてしまうところがあります。

コンテスタントは3年前と同じ子でしたが、ずいぶん成長したように思いました。3年前は出番前、挙動不審なくらい緊張していたのが、今回は袖でも落ち着いてて、ちゃんと「じゃ、行きましょう」の目くばせをしてきまして、なかなかよろしかったです。

 

私も子どものころは年に1回コンクール受けてましたけど、その後の人生でなにかプラスになったことがあるかと言われると、まあ少しはあるわけで・・・・

楽器の演奏というのは瞬間の勝負で、ちょっとのミスも許されないわけですけど、入試とかテストとかいうのは、時間内であればあとから「見直し」て書き直すことができますから、手が一瞬震えたからダメだったとかいうことはないわけです。そう考えて、入試はそこまで緊張しなかったように思います。

もっとも勉強してないと「出す」ものがないわけで、話にならないのですけど、逆に勉強さえしとけば、感性とか素質とか運とか審査員との相性とかには左右されずに、なんとか実力どおりに行くはず・・・という公平性はあります。

たぶん運動関係を一生懸命にやってきた人たちも、似たような、「度胸」を自然に培ってきているのではないかと思ったりするのですが・・・。

 

そういう意味で、子どもたちをある程度きつい目に遭わせるのも親の役目だと思ってはいるのですが、これがなかなか・・・・。親ばかり度胸つけてどうする(汗)