奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

かつて、渚滑線が廃止になったとき

2015-10-24 05:03:40 | 渚滑線・名寄本線
JR北海道は来年3月のダイヤ改正で留萌本線の一部廃線をはじめ、
駅の廃止・無人化、閑散区間の減便を関係各方面へ提示しています。

毎日すこしずつ、情報が流れてきていますね。
これに対し地元では、反発や諦めなど様々な声が伝えられています。

これについて地元の方の本音を知りたい。

ところで私の実家は1985年に廃止になった旧国鉄・渚滑線沿線にあります。
当時の旧国鉄の廃止提案に対し地元住民がどう反応したか私は知らない。

が、渚滑線が廃止になったからとても困った、という声は聞いたことがない。

私の実感としては…。

代替バスが新車になって快適になった、
R273にある浮島トンネルの開通と旭川までの都市間バス新設で便利になった、
鉄道がなくても車があるので関係ない。

地元でいろいろ話を聞いても私の実感と違いはない。

滝上町はオホーツク管内ということで、生活圏として紋別市や遠軽町、北見市に依存していました。
それが浮島トンネルの開通で買い物や病院など、旭川市との結びつきが強くなりました。

渚滑線を見捨てて旭川市と仲良くなる方を戦略的に選んだ、という風情。

この浮島トンネルの開通が渚滑線廃止の前年というタイミングだった。
これで渚滑線を維持するより生活が便利になるという現実があったのですね。

逆に紋別市に行くまで不便になったという声も聞いたことがない。
通学生は紋別南高校(当時)まで、通院も病院至近まで乗り換えなしで行けるようになった。

さて今、JRに廃線や減便の提示を受けている地元の方は、本当はどう思っているのか。

もちろん、当時の渚滑線と今のJR各線の事情が違うのは承知の上。
その上で私はやはり、重ねて言いますが地元の方の本音を知りたいのです。

※早く条件闘争に移るべき
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