前日より続きます。
「イシカリ場所」が一番華やかだった頃のいろいろな建物を、
当時あった場所に再現すればきっと話題になります。
「イシカリ場所」はこの地方の政治と経済の中心でした。
江戸時代から役人が住み商人が商いをし、住民もいた。
その名残が弁天社であり渡船跡であり運上屋です。
そして明治になれば商家や缶詰工場、倉庫などが建てられた。
その江戸時代から明治、そして現在に至るまでのいろいろな建物が現存しています。
現存していない建物もいろいろ興味深いものがある。
それらの案内が今の石狩本町にはほとんどありません。
何も別に建物を再現しろというものではありません。
せめてどこに何があったかをはっきりさせましょう、ということなのです。
現状は缶詰工場跡や弁天社などに小さなプレートがあるに過ぎない。
それでは北海道の歴史を支えたこの地区としてはあまりにも切ない。
渡船場跡の場所もわからない、缶詰所も消化不良、
弁天歴史公園も何のためにここにあるのか発信不足、サインも統一されていないなど。
産業考古学の視点が全く欠けていると思わざるを得ません。
北海道の歴史においてはこれが一番欠かせないのに、専門家がいないのが残念。
また私のようなものにとって困るのが語句が統一されていないこと。
観光センターも「石狩観光センター」と「石狩“市”観光センター」が、
パンフレットやHPなどに混在しています。
市で発行している様々な発行物でも同じものがいろいろな名前で呼ばれていたりする。
何と呼ぶのが正しいのか、よくわからないものがたくさんありました。
これらを整備すれば、昨日に続けて再度述べます。
観光地として化けますよ。
石狩本町は魅力いっぱい、それだけに残念。
関係者の奮闘が望まれます。
※石狩本町シリーズはこれで終わります。