安楽死解禁20年のベルギー 医師に聞く現場の声
【AFP=時事】「安楽死は他の医療処置と変わりません。違いは、それが最後の処置だということです」とベルギーの医師、マルク・ドクロリー(Marc Decroly)氏(58)は話す。首都ブリュッセルにある病院の緊急治療室に勤務する傍ら、富裕層が多いユクル(Uccle)地区で開業医を務めている。これまでに100人以上の患者の安楽死に携わってきた。
法律の要件を満たせば、「誰も患者の希望に反対することはできません」とドクロリー氏は言う。安楽死が認められるのは、不治の病に侵され、緩和できない肉体的・精神的苦痛に常時さいなまれている患者だけだ。しかも、本人が安楽死の希望を、他者の圧力に左右されずに十分考え抜いた上で明確に、繰り返し表明した場合でなければならない。
ドクロリー氏が安楽死の処置を行うのは、自分以外にもう1人の医師も患者の要求を認めた場合のみ。「安楽死は決して簡単なことではありません。しかし、患者やその家族と一緒に取り組むプロセスの終着点です。安堵(あんど)とともに終わりをもたらす方法です」
ベルギーでの昨年の安楽死は2700件で、死者全体の2.4%を占めた。当局によると、大半は60~89歳の患者で、10人中8人は余命宣告を受けていた。また安楽死の半数以上は患者の自宅で行われた。
■「安楽死の処置を受ける人、救命処置を受ける人、どちらも尊い」
安楽死の瞬間は「人間的なレベルで、非常に豊かです」とドクロリー氏は話した。「さまざまな感情を目にします。それによって私たちも成長し、前進できます」
しかし、「1か月に3件以上の安楽死を扱うのはつらいです」とも言う。ドクロリー氏は、命を救う処置と命を終わらせる手伝いをする処置は、ベルギーの法律の範囲内にあり、矛盾はしていないと考えている。「それどころか、どちらも同じことです」と話す。「安楽死の処置を受ける人も、救命処置を受ける人も、同じように尊い存在だと思います。単に状況が違うだけです」
ドクロリー氏はベルギーの安楽死法を「非常に良い法律」だと評価する。安楽死の希望が認められなかった場合でも、患者が孤立しないよう保証されていると話した。「医師が『ノー』と言っても、そこで終わりではありません。(患者が置かれた)状況について違う見方をする人々のケアを受けることができます」
■「最期はお気に入りの椅子に座って」
ドクロリー氏は、末期がんの祖父のために家族が打診した安楽死の求めを拒否したこともある。「本人は苦しんではいませんでした。見舞いに訪れた孫娘のことや、庭に咲く花について私に話してくれました。自らは死にたがっていなかった。結局は自然に亡くなりました」
患者の自宅で安楽死の処置を行う際は午後か夕方に訪問し、患者ともう一度、その決断について話し合う。 「話し合いに2時間必要なら、2時間かけます。患者には繰り返し、こう言います。『今日がその日ではないと思うなら、決めるのはあなたです。私が来るのを手配したからといって、必ず処置を施す必要が私にあるわけではないのですよ』」 「ベッドで死ぬ必要はありません。お気に入りの椅子に座って死んでもいい。どこでも、自分が死にたい場所で」
患者の死後には、親族との対話や葬儀の手続きが行われる。「それぞれが、さまざまな気持ちを表現します」とドクロリー氏。「私にとっては、信頼してくれた家族に感謝を伝える場です」 【翻訳編集】 AFPBB News
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