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長く働かされ短い寿命 国が対策に乗り出す 「信長くんがゆく」「ビクトリア時代」

2016年01月28日 13時00分49秒 | 
長く働かされ短い寿命 国が対策に乗り出す 「信長くんがゆく」「ビクトリア時代」

その他 2016年1月27日 (水)配信共同通信社

 サル「ビクトリア女王時代の工場で働く人は、こき使われ苦しんだよ」

 信長くん「はなやかさの陰かげには、多くの民(たみ)の犠牲(ぎせい)があったのか」

 イギリスでは産業革命の結果、工場で蒸気の力を利用した、いろいろな機械を使い、すぐれた品物を安く、大量に生産できるようになりました。

 工場を建て機械をそろえられる金持ちの資本家(しほんか)は大もうけしました。でも、資本家にやとわれ、工場で働く大勢の大人の男性労働者はつらい仕事を長時間しても、もらえる給料はわずかでした。

 もっと安い給料の女性や子どもも使われ、19世紀前半のイギリスでは、1日14~16時間働く少年少女はふつうでした。

 都市には多くの工場ができ、人口が急増しました。工場の煙(けむり)で空気はよごれ、上下水道づくりは追いつかなくて、川のきたない水を飲むなどして伝染病がはやりました。

 サル「19世紀半ばのイギリスの工場労働者は平均寿命(じゅみょう)が15歳(さい)だって」

 信長「そんな短い寿命では国がほろびるな」

 国は対策に乗り出し、ビクトリア時代の直前の1833年に工場法(こうじょうほう)ができました。この法律は、9歳未満の子どもが働くのを禁止し、18歳未満の少年少女が仕事をする労働時間を1日12時間以下に制限しました。

 44年に13歳未満の労働時間は1日6時間半以下とされ、47年には女性、少年少女の労働時間は1日10時間以下と定められました。大勢の労働者が手を結び、資本家に給料の引き上げや労働時間の短縮などを求める労働運動も広がりました。

 サル「71年には労働組合法(ろうどうくみあいほう)ができたよ」

 信長「労働者が集まり、労働運動をする労働組合が国にみとめられたな」(飛世良範)

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