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穏やかな日々を

原子炉格納容器の水位30センチ以上低下 福島第一原発1、3号機で 震度6弱の地震の影響か

2021年02月19日 21時51分31秒 | 原子力

原子炉格納容器の水位30センチ以上低下 福島第一原発1、3号機で 震度6弱の地震の影響か

2021年2月19日 21時17分
 東京電力は19日、事故収束作業を続けている福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、3号機で、原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下し、1日数センチのペースで続いていると発表した。13日夜に両町で観測された震度6弱の地震の影響で、10年前の事故で損傷した部分が広がり、原子炉建屋内に漏れ出る量が増えているとみられる。
 炉内には事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)が残っており、冷却のため1時間3トンの注水を継続。注水量を増やすことを検討している。原子炉の温度や、周囲の放射線量に変化はない。
 東電によると、1号機で15日から、3号機で17日以降に、それぞれの格納容器内の温度計の一部で測定温度が低下。温度計が水につかっていないと判断し、水位低下と結論付けた。
 温度計の位置から、1号機で1.9メートルの水位が40~70センチ低下し、3号機も6.3メートルあった水位が約30センチ下がったとみられる。
 1~3号機では10年前に起きたメルトダウン(炉心溶融)で、格納容器に複数の損傷を確認済み。デブリなどに触れた水は損傷部分から建屋内に漏れ、高濃度汚染水が発生している。(小野沢健太、福岡範行)
 
 
日本の原子力発電、やばいです。
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修学旅行中止で原爆の授業

2021年01月30日 23時04分46秒 | 原子力

修学旅行中止で原爆の授業

<iframe class="video-player" style="width: 360px; height: 202px;" src="https://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/20210129/movie/4030007605_20210129195734.html?movie=false" width="360" height="202" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe>

広島市出身で、原爆で多くの友人を亡くした松江市の女性が、28日、広島への修学旅行が中止となった松江市の小学校でみずからの体験を語り、核兵器の恐ろしさや平和の尊さを訴えました。

松江市の城北小学校では、去年予定していた6年生の広島への修学旅行が中止されたため、広島市出身で、原爆で多くの友人を亡くした松江市の西尾幸子さん(88)が招かれ、6年生およそ90人が話を聞きました。
当時13歳だった西尾さんは、島根県内の親戚宅に疎開していて無事でしたが、広島の高等女学校の同級生220人あまりが犠牲になり、その体験が朗読劇で披露されました。
そして西尾さんが「燃えさかる火の中をにげまどい息絶えた人もあった一方で、いまだに行方不明の人も多い。人間らしく生きることもできなかった」と核兵器の恐ろしさを語りました。
さらに、核兵器の開発や使用などを禁じる核兵器禁止条約が1月22日に発効したことを紹介した上で「日本政府はまだ条約に賛成していませんが、われわれ国民が大きな声を上げていかなければいけない。核廃絶を実現できるかは、若い皆さんの力にかかっています」と訴えていました。
児童は「平和が大切だということが本当にわかりました。インターネットなどを使って、核兵器をなくす運動を広げていきたい」と話していました。

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人間が出すゴミゴミゴミ

2020年10月10日 20時48分23秒 | 原子力

昭和40年代、公害問題が多くあった。

川に浮かぶ泡、洗剤から出る泡だった。

洗剤による手荒れ、中性洗剤の台所ばかりか、美容師たちのシャンプー洗剤。

ゴミ焼き場からのダイオキシン、母乳から胎児に。

工場から出る水銀、海に垂れ流し。

煙突からのガス、空がないのは東京ばかりではない。

そんな時、放射能のごみの解決方法ないまま、どんどん、原子力発電所ができる。

「ゴミが将来困るだろうのに、作るっていうの?」

人間って、結構楽観主義と思った。

それから、50年経った。ゴミ問題何ら解決なし。

そして今、人間て、刹那主義。残念、いやむしろ、バカじゃないの。

すでに宇宙もゴミだらけと聞く。

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放射能のごみ

2020年10月10日 20時42分34秒 | 原子力

最終処分、地元不安根強く 難題山積の原子力政策

配信

  • 時事通信

 北海道の寿都町と神恵内村が9日までに、原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分地選定調査の受け入れを相次いで決めた。  

長年停滞してきた選定プロセスがついに動きだした形だが、地元の不安は根強い。さらに、東京電力福島第1原発から出る処理水や原発再稼働など原子力政策には難題が山積している。  

最終処分地は住民の同意に加え、地層の安定性の確認といった条件を満たす必要があり、二つの候補地だけから選ぶのは困難だ。  

片岡春雄寿都町長は9日、諸外国では十数地域が立候補する中で絞り込みを進めていると指摘した上で「最低でも10カ所は手を挙げてほしい」と訴えた。

経済産業省によれば2町村以外にも関心を示す自治体は複数あるが、住民感情を考えると受け入れに結び付く保証はない。  

一方、東電福島第1原発の処理水を保管するタンクは2022年秋ごろに満杯になる見通し。政府は年内にも処分方法を決める意向だ。

ただ、有力な選択肢の一つである海洋放出には、風評被害への懸念から「絶対反対」(全国漁業協同組合連合会の岸宏会長)と反発が強い。  

原発の再稼働も遅れている。政府のエネルギー基本計画に沿って30年度の電源構成の原発割合を少なくとも20%とするには、30基程度の稼働が必要とされる。しかし、東日本大震災から9年半が経過しても、再稼働した原発は9基にとどまる。

 関西電力は美浜原発3号機(福井県美浜町)を来年1月にも再稼働させる計画を示しているが、地元の同意は得られていない。ある大手電力幹部は「(福島第1事故で失った)原子力への理解や信頼は回復していない」と話す。

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9日、長崎原爆の日

2020年08月09日 11時42分43秒 | 原子力

原爆から75年

今だ、地球は不安のまま

人の業か

でも、

長崎と広島の復興は希望

これもまた、人の力

日本の男女の平均寿命が延びているのも

人の力

今年初めて

広島と長崎のこの記念式典

最初から終わりまでみた

長崎市長のお話が一番心打たれた

今年始めて、この時間、家事もなく、育児もなく、仕事もなく

77年(歳)の記念の夏

終戦から75年

私の戦争体験は、海軍から帰ってきた父からの体験

それは、恐怖と驚きと哀と今は・・・・・・

 

コロナ対策、今、友より、松江市で、新規陽性者二人発生とテレあり。

やれやれ、婆の心は、乱れ髪

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県外避難、被ばく医療訓練 島根原発、3日間終了

2019年11月11日 20時53分28秒 | 原子力
県外避難、被ばく医療訓練 島根原発、3日間終了
2019年11月11日 (月)配信共同通信社

 全国で唯一、県庁所在地にある松江市の中国電力島根原発で、大地震による重大事故が起きたと想定した政府の原子力総合防災訓練が10日実施され、3日間の日程を終えた。5~30キロ圏の住民が岡山、広島県などに避難し、駆け付けた県外の医療チームが被ばく患者を想定し対応した。
 10日は既に放射性物質が放出されたとして、国指針の基準値以上の放射線量が確認された5~30キロ圏の住民が県内外へ。松江市と島根県出雲市の集会所などでは、緊急速報メールなど避難呼び掛けに応じて集まり、大型バスに乗り込んだ。
 避難先の岡山県倉敷市立福田南中では、倉敷市などの職員が松江市の住民約100人を体育館に誘導。視覚障害がある安達通男(あだち・みちお)さん(70)は「災害時は、慣れていない人が介助するので大変だと感じたが、心構えができた」と話した。
 島根大病院(出雲市)では広島大などのチームがヘリコプターで運ばれた模擬患者を治療し、除染と放射線量測定も進めた。島根大病院麻酔科の日下(くさか)あかりさん(37)は「原子力事故を想定した研修はあったが、今後も定期的に受ける必要があると感じた。被ばく医療は難しいことが多い」と振り返った。広島大病院の津村龍(つむら・りゅう)診療准教授(51)は「実際の災害では多くの患者がいる。病院の受け入れ態勢をどうするかが課題だ」と話した。
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「核なき世界夢見よう」 平和賞医師、広島で講演

2019年10月07日 23時06分58秒 | 原子力
「核なき世界夢見よう」 平和賞医師、広島で講演
2019年10月7日 (月)配信共同通信社

 コンゴ(旧ザイール)東部で性暴力被害者の治療を続け、昨年ノーベル平和賞を受賞した同国の産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏が6日、広島市内で講演し「核兵器や性暴力のない世界を夢見て、共に行動しよう」と呼び掛けた。
 ムクウェゲ氏はコンゴが本格的な紛争状態に陥ったとされる1996年10月6日に、自身が運営する病院が武装勢力により襲撃され、患者やスタッフらが虐殺された状況を詳述。加害者が処罰されず、鉱物資源を巡る争いが続く現状に「国際社会は無関心と闘わなければならない」と強く訴えた。参加者らは紛争の被害者に黙とうした。
 5日に被爆者と面会後、原爆資料館を見学したムクウェゲ氏は講演後の記者会見で「生存者が加害者を許し、愛をもって生きる姿に感動した」と述べた。さらに「二度と(核使用を)繰り返してはいけない、そして希望はあるという広島のメッセージを母国に持ち帰りたい」と語った。
 ムクウェゲ氏は99年にコンゴ東部に病院を設立し、5万人以上の患者を受け入れてきた。7日には京都市の立命館大で名誉博士号を贈られる。
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原発事故、なぜ責任問えぬ 東電元トップ無罪判決に怒り

2019年09月23日 22時54分27秒 | 原子力
原発事故、なぜ責任問えぬ 東電元トップ無罪判決に怒り
2019年9月20日 (金)配信朝日新聞

 未曽有の原発事故をめぐり、東京電力の旧経営陣3人の刑事責任が問われた裁判で19日、東京地裁は無罪判決を言い渡した。「不当な判決」「市民常識とかけ離れている」。福島で被災した人や支援者からは怒りや失望の声が上がった。

 午後1時15分すぎ。福島原発刑事訴訟支援団のメンバーが「全員無罪」と書かれた紙を持って東京地裁前に出てくると、待っていた人たちからは「ふざけるな」「不当判決だ」との怒号が飛んだ。
 事故後に福島県大熊町から水戸市に移り住んだ菅野正克さん(75)は、傍聴席で判決を聞いた。「一般市民との常識の乖離(かいり)がやっぱりあった」と怒りを抑えながら話した。
 父の健蔵さんは2011年3月の事故当時、大熊町の双葉病院に入院していた。病院内で数日間の待機を余儀なくされ、その後は県内の避難所や病院を転々とした。移動距離は計250キロ。3カ月後の6月、99歳で亡くなった。
 菅野さんは「多くの人が避難を強いられ、いまだに帰還のめどが立たない状況に置かれている。企業のトップが責任を取らなくていいのか」と訴えた。
 避難先からこの春、原発から40キロの福島県飯舘村に戻った大久保美江子さん(66)は、自宅のテレビで判決を聞いた。「事故を繰り返さないため、トップの責任をはっきりして欲しかった」と話した。
 事故の1カ月後、村に避難指示が出ることが伝わると、同居する義父の文雄さん(当時102)は「避難したくない。長生きし過ぎたな」と言い残して自宅で首をつった。大久保さんらは悔しさから東電を提訴。裁判所は事故との因果関係を認め、判決は確定した。
 しかし、今回は無罪判決。「刑事裁判はハードルが高いが、無罪判決では亡くなった人が浮かばれず、遺族は心にポカンと穴が開いたままだろう」と思いやった。
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「手を貸してもらえるか」 重度障害、原発避難に不安

2019年09月04日 21時30分10秒 | 原子力
「手を貸してもらえるか」 重度障害、原発避難に不安
2019年9月3日 (火)配信共同通信社

 日本原子力発電東海第2原発の立地、茨城県東海村が原発事故を想定して行った避難訓練に、自力で逃げるのが困難な在宅の「要支援者」が初参加した。脳性まひで重度の障害がある藤枝利教(ふじえだ・としゆき)さん(48)もその一人。訓練では慣れない避難所生活を体験し、「万一の時、本当に手を貸してもらえるだろうか」と不安に直面している。
 東海村の人口約3万8千人のうち、6月時点で要支援者は190人。原発から約1キロのアパートに住む藤枝さんは、食事や入浴の支援が24時間必要。頭を前後に動かして会話補助装置を操作し、意思疎通を図っている。
 6月の訓練では、社会福祉協議会の車で移動した。だが、実際に事故が起これば緊急車両や住民の車による渋滞は必至。村は、事態の深刻度に応じた3段階の避難を想定し、要支援者は一般住民より早く行動することになっているが、「迎えの車が来られないかも」と心細く感じた。
 避難先の公民館は段差が多く、車いすでの移動に苦労。慌ただしく動き回る職員にトイレや食事の介助は頼みにくかった。貴重品や常備薬をリュックサックに入れたことを初対面の人に伝えるのも難しい。想像以上の事態を目の当たりにし、「ここまでして(原発を)動かす必要はあるのか」と会話補助装置の液晶画面上でつづった。 村からは内部被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤を受け取った。赤い包装シート入り2錠。固形物はむせやすく、手助けなしでは飲めない。7月の配布会では、緊急時に自治体の指示で服用するよう説明されたが、藤枝さんの表情は曇った。「誰か介助してくれるだろうか」
 障害がある人にとって「命の綱」となる介助者側も不安を抱える。藤枝さんを6年間担当するヘルパー小林透(こばやし・とおる)さん(36)=水戸市=は「手助けが必要な人を置きざりにできないが、自分の体力にも限界がある。また、自らの安全をまず確保すべき時に、他の人を守れる自信がない」と漏らす。
 村の担当者は「避難先での見守り体制強化や福祉避難所の整備など課題は多い。避難所のバリアフリー化や介助に関わる職員の確保を今後検討していきたい」と話した。
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帰宅は年に3回だけ 甲状腺がんと診断され 「原発事故 100カ月の記憶」

2019年07月15日 20時51分03秒 | 原子力
帰宅は年に3回だけ 甲状腺がんと診断され 「原発事故 100カ月の記憶」
2019年7月12日 (金)配信共同通信社

 福島県浪江町には約180平方キロの帰還困難区域が残る。町の面積の約8割、県内の同区域の半分以上に当たる。
 今は兵庫県に暮らす菅野(かんの)みずえ(67)も同区域の住民だ。この間、福島県内の仮設住宅や親類の家など4カ所を渡り歩いた。「大阪市に避難した時『あなたたちが逃げてくるから、高速道路で汚染が広がった』と言われ、私は腐ったミカンなんだなと思った」と話す。
 事故の8カ月前に新築したばかりの家に帰るのはお彼岸とお盆の墓参りの年3回だけ。火事を出すといけないのでお墓の線香には火を付けない。
 菅野は2016年に兵庫県で受けた避難者健診で「放っておけない甲状腺がんだ。直ちに手術を勧める」と言われた。
 菅野は「県のマニュアルで、体表面検査で汚染がひどい人に行われることになっていた甲状腺被ばく測定も、安定ヨウ素剤の服用指示もなし。詳しい記録も残っていない」と指摘する。
 7月2日、福島県に対し、マニュアル通りの対応ができなかった理由の調査や情報公開などを求める要望書を提出した。(敬称略、共同通信編集委員 井田徹治)
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島根原発3号機

2018年09月05日 23時48分59秒 | 原子力
え=======
またぁ
原発
ひどすぎる
ひどすぎる
酷すぎる

この恐ろしい機械を動かすか否かの要たる中国電力の人員方
しっかりしてくださいよ

以下新聞の記事

島根原発3号機 規制委、申請内容の不備指摘

 原子力規制委員会が4日、新規稼働となる中国電力島根原発3号機(松江市鹿島町片句、出力137万3千キロワット)が原発の新規制基準に適合するか確認する審査会合を初めて開いた。中電の申請内容の不備を指摘し、修正するまで審査できないとの見解を伝えた。中電は改めて再稼働を目指す2号機(同82万キロワット)の審査を優先するよう求めるとともに、3号機の申請を取り下げず、2号機の審査が進展した段階で申請書を修正する考えを示した。

 審査には、規制委側から原発の設備面と地震・津波対策を担当する委員2人ら計16人が出席。中電側は北野立夫常務ら15人が出席し、3号機の設備、地震・津波の想定評価、安全対策などの概況や申請内容を説明した。

【詳しくは本紙紙面をご覧ください】
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島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン

2018年05月27日 15時43分02秒 | 原子力
島根の永井隆記念館休館へ 2年後に新装オープン
2018年5月24日 (木)配信共同通信社

 長崎で被爆者救護に尽力し、白血病のため43歳で亡くなった医師の永井隆(ながい・たかし)博士が育った島根県雲南市で、平和の大切さを伝えてきた「雲南市三刀屋町永井隆記念館」が28日から、建て替えのため一時休館する。約2年後のリニューアルオープンを目指す。
 記念館は1970年に開館し長崎市の永井隆記念館の姉妹館になった。建物が古くなり、トイレなどが「不浄の場」として備わっていなかったため、建て替えが決まった。建物を現在よりも大きくして、展示する資料や一度に入れる人数を増やす。
 記念館は、永井博士が長崎から島根の旧友に宛てた手紙や自作の紙芝居、被爆した瓦などを展示している。博士が戦後、子どもたちのために長崎の自宅の横に図書室を開設したことにちなんで図書館を併設し、地元小学生らに勉強の場を提供してきた。年間約2千人が訪れ、生誕100周年の2008年度には約4千人が来館した。
 休館中は閉校した地元の小学校などで資料を保管し、一般公開はしない。雲南市主催の「平和」をテーマにした作文コンテスト「永井隆平和賞」は継続するという。
 永井博士は1908年に松江市で生まれ、島根県三刀屋町(現・同県雲南市三刀屋町)で育った。長崎医科大(現・長崎大医学部)に進学。医師として活動中に被爆し、妻を原爆で失いながらも救護活動を続けた。「長崎の鐘」などの著書を残し、白血病のため51年に亡くなった。
 藤原重信(ふじはら・しげのぶ)館長(60)は「記念館は博士の平和を願う精神を広める役割を担ってきた。これからも受け継いでいきたい」と話している。
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原発事故の健康調査難航 緊急作業員、4割に満たず

2018年03月08日 01時50分04秒 | 原子力
原発事故の健康調査難航 緊急作業員、4割に満たず
2018年3月5日 (月)配信共同通信社

 東京電力福島第1原発事故で緊急作業に携わった約2万人の健康状態を、生涯にわたって追跡調査する国のプロジェクトが難航している。実施する放射線影響研究所(放影研)によると、参加を拒む人も多く、応じたのは4割未満。担当者は「全国に散らばる対象者に連絡を取るのすら難しい」と苦心する。
 広島市中区の平和記念公園から約2キロ東の丘の上にある放影研の研究所。その一室「緊急作業従事者健康調査室」で、職員10人が郵送で対象者と連絡を取る作業に追われていた。喜多村紘子(きたむら・ひろこ)室長補佐は「今は(参加する)人を集める段階。研究はその後です」と話す。
 厚生労働省は2014年10月、広島、長崎の被爆者の健康調査を続けてきた放影研を実施主体に選定。放影研は原発事故発生の11年3月11日から政府が「収束宣言」を出した同年12月16日までに、緊急作業に従事した1万9808人の調査を始めた。
 対象は東電や下請け企業の人たちで、現場の放射線量が高いため、国が急きょ、被ばく線量の上限を従来の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる中で作業した。放影研は全国74カ所の病院や健診施設と連携し、3~4年おきに人間ドックと同様の内容に加え、甲状腺などに被ばくの影響がないかを調べる。
 しかし約3400人が参加を拒否し、約7400人からは返信がない。国から提供されたデータを基に手紙で連絡を試みるが、当時臨時で雇われていた人も多く、約1700人は宛先不明だ。参加しているのは東電社員ら約7千人にとどまる。
 「家族にも福島第1原発で働いていたことを隠している人もいるようです」と喜多村さんは明かす。自宅に届いた書類を見た対象者から「連絡しないでくれ」と電話がかかってきたこともあった。このため、当初は封筒に書いていた「原発」や「東電」といった言葉を、今は使っていない。
 対象者の最年少は20代で、追跡は今後50年以上続くとみられる。広島、長崎の被爆者の研究から、被ばく線量が100ミリシーベルトを超えるとがんの危険性が高まることが分かってきたが、作業員に多い低線量被ばくの影響は未解明だ。
 喜多村さんは「会社を辞めれば健診の機会も少なくなる。病気が見つかれば治療につなげることもできるし、無料なので上手に利用してほしい」と呼び掛けている。
 ※放射線影響研究所(放影研)
 放射線の人体への影響を調査するため、日米が共同運営する研究機関。1975年に設置され、広島、長崎両市に研究所がある。前身は、米国が47年に設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)。被爆者の健康状態を追跡調査している。同規模の研究は世界でも例がなく、成果はエックス線の安全利用など多岐にわたる。一方、設立初期は被爆者への高圧的な態度や強引な手法があったとされ、「調査すれども治療せず」と批判された時期もあった。
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日本、原発堅持へ議論主導 G7声明、「放射能」削除 86年チェルノブイリ事故 外交文書で判明

2017年12月21日 00時17分08秒 | 原子力
日本、原発堅持へ議論主導 G7声明、「放射能」削除 86年チェルノブイリ事故 外交文書で判明
2017年12月20日 (水)配信共同通信社

 1986年にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を巡り、主要国首脳会議(G7、東京サミット)の議長国だった日本が原発推進路線を堅持しようと、事故の数日後から合意文書作りを主導していた実態が20日公開の外交文書で判明した。サミットでは原案にあった「放射能」や事故への「懸念」の表現が削除され、「原子力は将来ますます広範に利用されるエネルギー源」と記した声明が発表された。
 冷戦下でソ連がほとんど事故の情報を公表せず、原因や被害規模がよく分からない段階から、日本が原発維持の国際合意形成に動いた史実が明るみに出た。安全規制強化を目指す議論も深まらず、東京電力福島第1原発事故に至る「安全神話」に結びついたと言える。
 当時の外務省担当者は取材に対し「日本の原発も危ないとか、事故を他山の石にするといった意識は政府や業界になかった」と振り返っている。
 事故は86年4月26日に発生し、ソ連側が29日(日本時間)に初めて公表した。
 「厳秘」の指定がある5月1日付の日本政府が作成した「ソ連原発事故対処方針案」では、原発政策について「必要性を再確認」することを基本に据え、国際的な事故通報システム整備を目指すと明記。議長国として数日後のサミットの議論の方向付けを行った形で、方針案は声明のたたき台にもなった。
 サミットは5月4日に始まり、5日に声明を採択した。3日付の文書によると、中曽根康弘首相は外務省幹部に「日本では死の灰に対し、強い関心(がある)」と述べている。外務省はサミットにおいて「中曽根氏がイニシアチブを発揮」と明記した。声明内容を受け、資源エネルギー庁は6日付で電力会社や関係自治体向けの説明文書を作成し「今後とも、安全第一の考え方に立って(原発を)推進」と記した。欄外には「プレス(報道機関)には出さず」との注意書きがある。
 これに先立つ4月29日付外務省公電で、事故が「深刻な影響をわが国原子力政策にもたらしうる」とし、欧州各国の駐在大使に情報収集を指示。「顕著な反対運動は見られない」などの表記もあり、国内世論や地元対策に神経をとがらせていたことをうかがわせる。
 ※チェルノブイリ原発事故
 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機で1986年4月26日に発生。試験運転中に爆発して建屋が破壊するとともに、核燃料の炉心溶融(メルトダウン)が起き、大量の放射性物質が拡散して欧州の広範囲を汚染したほか、日本にも放射性物質が到達した。消火に当たるなどした数十人が急性放射線障害で死亡。事故の深刻度を示す国際尺度では、2011年3月に発生した東京電力福島第1原発事故と同じ最悪の「レベル7」。


造られた嘘の安全
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対岸の火事、「神話」温存 チェルノブイリ原発事故

2017年12月21日 00時13分03秒 | 原子力
対岸の火事、「神話」温存 チェルノブイリ原発事故
2017年12月20日 (水)配信共同通信社

 【解説】公開されたチェルノブイリ原発事故に関する外交文書から浮き彫りになるのは、政府が原発政策への影響排除に躍起となる姿だ。事故後も原発を推進していくのが既定路線となり、安全性や規制強化の必要性を科学的に議論した形跡はほとんどうかがえない。
 政府や電力会社は当時「原子炉の型が異なる」「日本では考えられない事故」と繰り返し、チェルノブイリ原発が日本の原発とタイプが異なることや、ソ連の安全管理のずさんさを強調。事故を対岸の火事とみなすだけで、大量の放射性物質を放出する重大事故への規制対策強化に自ら乗り出すことはなかった。
 1979年にも米国のスリーマイルアイランド原発で炉心溶融(メルトダウン)が起き、周辺住民が避難した深刻な事故があった。ソ連の事故は原発政策や規制のあり方を抜本的に見直す機会だったはずだが、当時既に約30基の原発が稼働するなど日本の原子力利用は本格化しており、政府は原発推進に都合のよい「安全神話」を守ることを優先した。
 公開文書からは、政府がチェルノブイリ原発事故から真剣に教訓を引き出そうとした様子も見られない。経済性を考えるばかりで原発の安全性を厳しく問う姿勢が政府や電力会社に欠けていたことが、東京電力福島第1原発事故につながったと言わざるを得ない。


哀しい結果
地球は滅びるかも
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