8時、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
昼前に家を出て、大学へ。
蒲田駅のいつもの場所に立っていると、前のビルの自衛隊大田出張所の垂れ幕が目に入った。
自衛官募集中の「守りたいものを、守れる人に。」の標語。「守りたいもの」とはある時期までは「日本国」を意味していた(国防)。それがある時期から「大切な人」の意味に転じたように思う。
3限は大学院の演習。今日とりあげたのは、成田龍一「茨木のり子ー女性にとっての敗戦と占領」と中村秀之「黒澤明ーアメリカとの出会いそこない」。前者は戦中と戦後の連続性・不連続性の問題、後者はアメリカへの愛憎の問題、どちらも戦中戦後を生きた日本人にとっての重要な(深く考えてみるべき)問題であったが、実際には、戦後復興、高度成長の中で、あまり問い詰められることなくきた問題である。
茨木の詩の中で一番よく知れているのは「私が一番きれいだったとき」だと思うが(成田の論稿の中でも紹介・分析がされていた)、私が茨木のり子という詩人を知ったのは「六月」という作品によってだった。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
私が初めてこの詩を知ったのは、高校生のころ観ていた森田健作主演の『おれは男だ!』という青春ドラマの中でである。高校生活を描いたドラマで(森田は剣道部の主将であった)、国語の授業中にこの詩が生徒たちによって朗読されたのだ。詩人の名も作品の名も知らなかったが、とても印象に残った。
演習を終えて、おにぎり2個(鮭と昆布)の昼食。
3時に来客。他大学の教員の方で、研究上の相談を1時間ほど。
5限は講義「日常生活の社会学」。今日の38AV教室は冷房の効きがよかった。決して私の授業中に発する冗談が「寒かった」わけではあるまい。
6時半頃、卒業生のメグミさん(論系ゼミ5期生)が仕事終わりにやってきた。彼女と会うのは3月2日の彼女の結婚式以来である。
本当はもっと早い時期に約束していたのだが、彼女が体調を崩して、2度延期になったのだ。彼女はこの1年で3度食あたりを経験した。しかもそのうちの2度はノロウィルスにやられたのである。呪われているのではないかしら。でも、今日は体調万全とのこと。
研究室で少しおしゃべりをしてから食事に出る。
途中で新学生会館(早稲田アリーナ)を見学する。
初めて見る卒業生はみな感激するようである。
キャンパスの入口付近の風景が1年前とはだいぶ違う。間口が広くなり、モダンに(無機質ともいう)なった。「郊外の大学みたいですね」という感想をよく聞くが、「病院みたい」というのが私の感想である。
「すぎうら」に行く。
海鮮サラダ。
活き穴子の天ぷら(塩で)。
豚の角煮。ご飯と味噌汁をここで注文。
鴨肉の塩焼き。
お腹いっぱいになったので、「カフェゴト―」でケーキとお茶というのはやめておく。
結婚式からは2か月半だが、一緒に暮らし始めて1年以上が経っているので、新婚気分というのはないそうである。多少はあってもいいように思いますが(笑)、一緒に暮らすことがすっかり日常になったということですね。ここからが大事ですよ。共働きで、それぞれ大変なお仕事をされているわけですが、どれだけ相手の大変さを思うことができるかどうか。それが今後の長い夫婦関係のパターンを決めていくのです。普通の言葉でいえば、「思いやり」です。私自身、えらそうなことは言えませんが、反省、自戒の気持ちを込めて、そう言っておきます。しっかりね。そして健康管理に気を付けて。
一緒に東西線に乗り、彼女は九段下で降りた。
9時半、帰宅。
1時、就寝。