4.1(木)
午後から大学に出る。今日は大学全体の入学式で、地下鉄の駅から文学部キャンパスまでの歩道が大変な混雑で、いや、キャンパスの中も新入生を勧誘するサークルの学生たちでこれまた大変な混雑で、研究室に辿りつくまでに普段の3倍くらいの時間がかかった。中庭に小栗康平監督の講演会のお知らせの立看が出ていた。文学部新入生歓迎イベントとして企画されたものらしい。彼の『泥の河』(1981年)は、小津安二郎の『東京物語』を抑えて、邦画マイ・ベスト10の第1位にランクされている。講演会は5日(月)の午後2時半から38号館AV教室。ぜひ拝聴したいものだ。率直に言えば、新入生なんかに聴かせるのはもったいない。
大学時代の友人Kと彼の長男で一文の新入生のI君が研究室にやってくる。I君は父親の若い頃によく似ている。私とは初対面でかなり緊張している様子だった。社会学の本をけっこう読んでいて、社会学のことをいろいろ質問される。一文は2年生に進級するときに専修が決まるので、それまではあまり社会学、社会学と思いつめないで、関心のアンテナを広げていろいろな学問との出会いを楽しむのがよいのではとアドバイスしておく。
夕方からI君は山岳部の飲み会に、Kと私は神楽坂にあるKの行きつけの寿司屋に食事に行く。新潮社のすぐ近くにある喜久寿司という店で、Kが検事から弁護士に転身した十数年前からちょくちょく来ているという。ご主人の話では「神楽坂にお住まいの文学部の先生もときどきいらっしゃいます」とのこと(該当するのは0先生とK先生しかいない・・・・)。鯛から始めて、カレイ、赤身、鰹(生姜で)、ホッキ貝、赤貝、穴子(タレで)、中トロ、しめ鯖、鰹(ニンニクで)・・・・などを握ってもらう(他にも注文した気がするが思い出せない)。どれも素晴らしく美味しい。おそらく値段も素晴らしく高いのであろう(もちろんKのおごり)。Kに年収を尋ねたら私の二倍あった。常時20件前後の裁判を担当しているそうで、今日も自宅に持って帰って目を通す資料の入った重そうな紙袋を片手に提げている。体重が90キロもあり(学生時代から20キロは増えたであろう)、心臓に問題を抱えていて、神楽坂の駅から階段で地上にあがるときいかにもしんどそうだった。彼も今年で50歳になる。年収は少々減っても時間の余裕のある仕事への転換を図っていきたいとのことで、さしあたり筑波大学のロースクールで客員教授として教鞭をとることになったそうだ。行く行くは「風俗」についてのきちんとしたフィールドワークに取り組みたいのだと言っていた。
寿司屋を出て、ひさしぶりに将棋でも指そうかということになり、高田馬場の将棋クラブに行ったのだが、ビルの2階にあったはずの将棋クラブは知らないうちになくなっていた。では、私の研究室に将棋の駒だけはあるから(盤は行方不明)、盤は守衛さんの詰め所にあるのを借りて、研究室で指そうということになり、タクシーで大学に戻る。途中、Kが腹が空いているというので(彼は寿司屋では刺身と日本酒で、握りは食べていなかった)、「五郎八」によって、彼は鴨せいろ、私は京にしん蕎麦を食べた(私はお腹一杯だったので、半分彼に食べてもらった)。あっと言う間に蕎麦を平らげるKを見ていると、体重問題は当分解決しそうにないと思われた。
彼の将棋の腕は初段程度で、私の敵ではないのだが、いい勝負をしているのではないかと錯覚してもらうことは大切で、3局とも彼にまず攻めさせて、適当なところで素早く反撃して勝つ。時計が11時を回り、研究棟の外に出ると雨が降り始めていた。すでに散り始めている桜は、この雨で一気に散ってしまうかもしれないと思った。
4.2(金)
午後1時から大学院の社会学専攻の新入生(修士1年)のオリエンテーション。7名の新入生のうち6名が出席。助手2名と院生研究会の幹事のOさんとI君にも同席してもらう。お茶と洋菓子なんかがあるといいねと助手の人に言っておいたが、各自の前のテーブルの上には紙コップに入った紅茶と小川軒のレーズンサンドとマドレーヌが置かれていた。社会学専攻のスタッフ、施設、時間割、科目の取り方、奨学金、院生研究会などについてひとわたり説明して、後はQ&A形式で雑談。
Q1:ゼミと演習はどう違うんですか?
A1:ゼミは一人の指導教授の下に組織された学生たちの集団を指し、演習は学生の発表を中心に運営される授業の形態を指します。
Q2:修士論文は何枚くらい書くものなんですか。
A2:読む立場としては、100枚以下だと首を傾げ、500枚以上だと溜息が出ます。
オリエンテーションは1時間ほどで終了。早稲田軒で昼飯(ワンタンメン)を食べてから、中央図書館に資料のコピーに行く。途中、大隈講堂の前は講堂で行われている学部別の入学式から出てくる新入生をサークルに勧誘しようとする学生たちで大変な混雑であった。人気のあるサークルなのであろう、サークル名が書かれたプラカードの後についてゾロゾロとたくさんの新入生たちが移動してゆく。飲み会の会場に向かうところなのであろうが、なんだか収容所に運ばれる捕虜たちのようにも見える。彼らの中の何人が生き残るのかと思ってしまう。
バックナンバー書庫で思想の科学研究会編『芽』1953年9・10合併号の「特集:身上相談」をコピーする。今年度の学部の調査実習や大学院の演習のテーマは「人生の物語」なのだが、新聞・雑誌の「身上相談」はその格好の素材だと確信している。人生の悩みとして語るに値するものは何なのか、それはどう語られてきたのか、そしてどのような解答者(=社会の代理人)がそれにどう答えてきたのか。おりしも読売新聞は今年で「人生案内」90周年を迎えた。大したものである。こちらの方も資料として使うべく、息子に月千円のアルバイト料を払って、毎日切り抜きをしてもらっている。
図書館からの帰り、本部の生協に立ち寄って、本を4冊とCDを1枚購入。教職員専用のレジの店員さんが、「この本は先生方に人気がありますね」というので、どの本のことかと思ったら、『丸山眞男書簡集3』(みすず書房)のことだった。本部キャンパスの教員たちには丸山ファンが多いのであろう(文学部店ではそれほど売れていないと思う)。CDの方は、尾崎豊のトリビュート・アルバム「グリーン」。先日購入した「ブルー」はメジャーなアーティスト中心のものだったが、「グリーン」は公募したインディーズのアーティスト中心のもの。
夜、野沢尚脚本のTVドラマ『砦なき者』を観た。何年か前の『破線のマリス』同様、TVの報道番組が舞台になっている。「いい人」役の多い妻夫木聡が殺人鬼役というのが意表を突いたキャスティングで、怖さが倍加した。最後、主人公(役所広司と妻夫木)が二人とも殺されてしまうところが凄い。残されたビデオ・テープの役所の「語り」はいかにも野沢尚らしい。彼が倉本聰と山田太一の影響を受けた世代の脚本家であることがよくわかる。
4.3(土)
山口智子『人生の語りの発達臨床心理』(ナカニシヤ出版、2004年)を読み始める。著者は有名な女優さんと同姓同名だが、もちろん別人で、日本福祉大学の助教授。本書は彼女の博士論文で、テーマは「人は人生をどのように語るのか」を臨床発達心理学の視点から検討すること。今日読んだ「第Ⅰ部 理論編」では、セオリーどおり、既存の研究が広くレビューされていて、いろいろと勉強になった。読みながら、巻末の文献一覧の気になる文献に○印を付けておき、理論編を読み終わってから、Amazonに発注した。James E. BirrenのAging and Biographyなど11冊で5万数千円。本屋で本を購入するときも一度にたくさん購入することはよくあるが、その場合は、腕にかかる本の重量が「今日はこれくらいにしておけ」という抑制要因として作用する。しかし、インターネットで本を購入する場合は、送料無料で玄関まで配達してくれるので、ついつい「買物カゴ」に入れてしまう。もちろん注文確定のアイコンをクリックする前に合計金額は確認するのだが、本は商売道具という意識があるせいか、あまり抑制要因としては作用しない(ただし、後日、一ヵ月分の買物の合計金額をJCBからの通知で知って、思わず息を呑むことはある)。
夕方、散歩に出る。いつの間にか陽が長くなった。なんだか嬉しい。TSUTAYAを覗いたら、レンタル開始になったばかりの『マトリクス レボリューションズ』が運よく棚にあったので、借りることにした。チケットぴあで、今日の「王様のブランチ」で紹介されていたセドリック・グラビッシュ監督最新作『スパニッシュ・アパートメント』の前売り券を購入。『ホテルビーナス』の舞台をウラジオストクからバルセロナに移して、内容を明るい青春群像ものにした感じだろうか。熊沢書店で、好井裕明・三浦耕吉郎編『社会学的フィールドワーク』(世界思想社、2004年)、トリシャ・グリーンハルほか編『ナラティブ・ベイスト・メディスン』(金剛出版、2001年)、小森康永ほか編『ナラティブ・セラピーの世界』(日本評論社、1999年)、小森康永ほか編『セラピストの物語/物語のサラピスト』(日本評論者、2003年)を購入。人が他人に自分の「人生の物語」を語る(制度的)場面として、新聞・雑誌の「身上相談」のほかに、精神分析療法や心理療法があるが、近年、セラピストになりたい人々が増えている。セラピーを受けたい人よりも、セラピストになりたい人の方が多いのではないかとさえ思える。なぜ彼らは他者の、それも心を病んでいる他者の、「人生の物語」を聴きたいと思うのだろうか。今年度の調査実習や大学院の演習で考えたいテーマの1つである。
夜、一家で、『マトリクス レボリューションズ』を観る。あのさ、ネオがどうなっちゃのかということは別にして、センティネルズの大群が突然攻撃を中止して引き返していったとき、ザイオンの人々が「戦争は終わった!」と歓喜していたけど、どうして「戦争が終わった」と思ったのか(そう断定できてしまうのか)が、私にはわからない。ふつうは、「理由はわからないが、敵はいったん退却した。しかし、すぐにまた攻撃を仕掛けてくるだろう」って思うんじゃないの。インディアンに攻撃されている砦の騎兵隊や、東軍に攻撃されている大阪城の西軍だったら、間違いなくそう思うでしょ。「攻撃が止んだ!」ならわかるけど、「戦争が終わった!」はないんじゃないかと・・・・。要するに、映画を終わらせたかったんだね。
『冬のソナタ』の初回をちょっと観てみたが、日本語吹き替え版で、興ざめ(副音声は韓国語でやっているが字幕がないのでわからない)。欧米人の俳優の場合は日本語吹き替えでも大丈夫なのだが、韓国人の俳優の場合は、容姿が日本人と似ているために、かえって吹き替えの不自然さが目立ってしまい、ドラマが安っぽく感じられる。
4.4(日)
昨日とはうってかわって冷たい雨の降る一日。『人生の語りの発達臨床心理』を読み終える。「第Ⅱ部 研究編」では、著者自身が行った高齢者を対象としたライフヒストリー調査(継続調査)、ならびに著者が勤務する大学の学生相談センターでのカウンセリングから、(1)高齢者の回想の特徴、(2)高齢者の人生の語りの構造とその発達的変容、(3)青年(女子学生)の人生の語りの臨床的変容、についての分析がなされている。私には特に(2)が興味深かった。2年半の間に同じ12名の対象者に対してライフヒストリー法を用いた4回の面接を行い、人生の語りの変容とその要因を分析したものである。郵送法によって、同じ対象者たちに対して構造化された同じ質問を反復して、回答の変化と持続を調べる調査(これまでの人生を回想した感想を自由に記入してもらう欄を設けてはいる)なら私にも経験があるが、面接によるライフヒストリー調査を同じ対象者に反復して行うというのは経験がない。ライフヒストリー調査をやったことのない方でも、他人の人生の語りを聞くという調査が、相当の時間とエネルギーを必要とすることは容易に想像できると思う(ついでに言うと、費用も相当にかかる)。それを同じ対象者に繰り返し行うとなると、前回とは違うデータ(人生の語りの変容を検証するのに十分なデータ)がそこから得られるはずだという確信がないと、なかなか踏み切れるものではない。対象者からすれば、「なんでまだ同じことを聞かれるんだ」という反応が一般的であろうから、対象者の理解を得るのも一苦労であろう。だから、12名という比較的少数のサンプルとはいえ、また、2年半という比較的短い期間とはいえ、同じ対象者を追跡してライフヒストリー調査を4回も行った著者の試みは高く評価されてよい。おそらくこの部分が本書の博士論文としての一番の目玉だろうと思う。
4.5(月)
午後、38号館AV教室で行われた小栗康平監督の講演「映画の中の『私』」を拝聴する。小栗さんは前橋高校の出身で、『眠る男』の舞台が前橋なのもその関係だと聞いている。私の母が前橋と桐生の間にある粕川村というところの出身で、小学生のときの夏休みにはいつも遊びに行っていたので、上州人は他人とは思えない。甘辛の味噌ダレで食べるあの上州名物の焼き饅頭を小栗さんも好きだろうか。講演は、大学入学の頃の思い出から始まり、言葉と映像の違い(映像の文法を学ぶことの必要性)という切り口から映像論に入り、「小さな物語」や「弱い私」という小栗作品を理解する上でのキーワードに言及して終わった。新入生への暖かいメッセージに溢れた講演であった。
先日の調査実習の報告書の発送作業とゼミの打ち上げに、急病で入院中であったため参加できなかったTさんが、無事退院して報告書を受け取りに研究室に顔を出した。娘を心配して福岡から上京中のお母様が廊下に来ていらっしゃるというので、ご挨拶に出る。Tさんとお顔がそっくりなのにまず驚いたが、もっと驚いたのはお若いことである。少なくとも私よりも若い。これまで学生の親ごさんというと、私よりも年上、少なくとも同年輩という先入観があったが、いよいよそうではなくなってきたようである。自分より年上の方から「先生」と呼ばれるのは面映いもので、そうした居心地の悪さからようやく解放されると思うと、ホッとしますね。いや、ホント。
4.6(火)
昨日、一昨日と少し寒かったせいか、今日は少し風邪気味。私は、高い熱が出る本格的な風邪はめったにひかないが、風邪気味(筋肉痛や寒気)にはよくなる。こういうとき、誰に迷惑をかけることもなく自宅で静かにしていることができるから、大学教員という半自由業(あるいは擬似自由業)はありがたい。理科系の教員の場合は、実験器具のある研究室にいかないと仕事にならないのかもしれないが、文科系の教員の場合は、本と筆記具とパソコン(ワープロ、データベース、統計処理、電子メール、インターネット)があればたいていのことは出来る。どうしても研究室に行かないとならないのは、研究室に置いてある本や資料が必要なときだけである(もっとも、必要度の高い本は自宅に置いたり、2冊購入して両方に置いたりしているので、そういうときはめったいない)。
そういうわけで、今日は一日、居間のソファーに座って(ときに横になって)、論文を一本と、本を一冊読んだ。論文は、土井隆義「いじめ問題をめぐる二つのまなざしー『心の教育』はいじめ問題を解決するか?」(大村英昭編『臨床社会学を学ぶ人のために』世界思想社、2000年、所収)。本は、斉藤環『心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』(PHP、2003年)。両者に共通するのは、人々の間に「心」への関心が高まっている理由とその問題点の分析であることと、論旨が明快であること。後者のおかげで、少し風邪気味の頭でも通読することができた。
4.7(水)
午後から会議があり、大学へ。会議の前に、去年の社会学専修の卒業生で、現在はTV番組の制作会社で働いているT君と「五郎八」で昼飯を食べ(私のおごり)、「カフェ・ゴトー」でお茶を飲む(彼のおごり)。卒業(就職)1年目というのは、生活構造の変化の非常に大きな時期である。「やりたいこと」と「やっていること(やらされていること)」のギャップも大きいであろう。こういう場合、重要なことは、「やっていること(やらされていること)」の延長線上に「やりたいこと」が見えているのかどうかである。見えていれば、問題はない。ギャップは時間の経過とともに小さくなることが約束されている。そうしたギャップに人は耐えることができる。頑張ることができる。しかし、見えていなければ、うんざりしてしまう。逃げ出すことばかり考えてしまう。実際、大学の新卒者の3割は3年以内に転職するというデータがある。その3割が悪いということではない。「やっていること(やらされていること)」の延長線上に「やりたいこと」が見えていないのに、転職する勇気がなくて、その状態をだらだらと続けていれば、いずれ「やりたいこと」を考えなくなるだろう。かつて自分に「やりたいこと」があったことさえ忘れてしまうだろう。T君には見えているのか、いないのか、たぶん見えてはいるようだ。ただし、距離はかなりあるらしい。調査実習の報告書『そして彼らは30代の半ばになった』を進呈する。何かの役には立つだろう。
4.8(木)
午後から大学へ。授業開始は来週の月曜日(12日)からだが、私は月・火の授業は担当していないので、最初の授業は水曜日(14日)からだ。あと一週間か。できれば、あと一ヶ月と一週間あるといいのだが・・・・(そう思っている教員や学生は少なくないに違いない)。教訓。「始まってほしくないことは、早く始まる。」
大学院生のI君が科目登録の書類に私の印鑑をもらいに来る。ついでに修士論文の相談(5月上旬に計画書を出さないとならない)。4月30日の演習で修士論文の構想を発表してもらうことにする。修士の1年生が聴いてよくわかる内容であること、文献一覧はしっかりしたものを作成しておくよう注文する。
夕方、二文3年生のOさんが科目登録の相談に来る。大学院進学を選択肢の1つに考えている彼女にとって、科目登録の相談は同時に進路の相談でもある。2時間以上話しただろうか。まず私のお腹が鳴り、続いて彼女のお腹が鳴ったところで、「五郎八」に食事に行く。帰宅すると、イラクで「事件」が起こっていた。
4.9(金)
シャンテシネで『スパニッシュ・アパートメント』を観た。パリの大学生グザヴィエが政府の機関でよいポストを得るため、スペイン語とスペイン経済を勉強するべく、欧州交換留学プログラム「エラスムス計画」を利用して、一年間、バルセロナの大学に留学する。生活費を浮かすため、ヨーロッパ各国(英・独・伊・デンマーク・スペイン)の5人の男女の共同生活に加えてもらう。いろいろなことがあり(想像していたよりも遠距離恋愛、二股愛、同性愛、不倫といった愛情やセックスがらみの出来事が多かったのはフランス映画故か)、一年があっという間に過ぎ、フランスに戻った彼は予定通り政府の機関に職を得ることができたのだが、登庁初日、自分が本当にやりたいことに気づいた彼は・・・・というストーリー。大学の映画研究会も真っ青といったコテコテのエンディング(わざとやってるんだよね?)を別にすれば、軽妙洒脱な青春映画であった。もし私の目の前の席に「シラミ男」さえ座っていなければ、もっと楽しめたはずだ。この「シラミ男」は、映画が上映されている間、ずっとどちらか一方の手で頭を掻いているのである(両方の手で同時に掻いているときもあった)。私は、その男の耳元に顔を近づけて、「頭にシラミでもいるんですか?」と聞いてみたい衝動に何度も襲われた。
娘が大学の新歓コンパで帰りが遅い。午後9時ごろ電話があり、これから横浜で二次会なんだけど(帰宅は)何時までならOKかと聞いてきたので、二次会なんかにノコノコついていくんじゃないと答えたら、それは無理と言うので、じゃあ10時にはそっちを出なさい(それなら10時半には帰宅できる)としぶしぶ譲歩したのだが、結局、帰宅したのは11時だった。どんなサークルなのかと問い質すと、冬はスキーで、夏はテニスで・・・・、い、いかん、1970年代の遺物といえる典型的なお遊びサークルではないか。バブルの崩壊で絶滅したと聞いていたが、まだ生息していたのか。さっそく文部科学省に報告しなければ。私が憂い顔で思案に耽っていると、娘がとんでもないことを言った。門限は12時にならない? ば、馬鹿なことを言うんじゃない。そんなものが門限といえるか。いまからこんなことでは先が思いやられる(娘も同じことを思っているようだが)。今後、コンパのとき、男子学生が隣に座って話しかけてきたら、父親はW大学の学生担当教務主任を務めた人間で、警察関係者に知り合いが多く、柔道5段(本当は将棋3段)であると、さりげなく言うよう指導していかなければ。
4.10(土)
初夏を思わせる今年一番気温の高い一日。午後、妻と息子は九段下にある矯正歯科へでかけた(中学入学時から始めた息子の歯列矯正もようやく終わろうとしている)。娘の作った浅利のスープ・スパゲッティで昼食。授業開始に向けて、書斎の机上の整理を始める。しかし、すぐには片付きそうにもないので、それはまた明日ということにして、散歩に出る。TUSTAYAでカードの更新をして、無料レンタル券をもらったので、『アラバマ物語』のDVDを借りる。チケットぴあで『グッバイ、レーニン!』の前売り券(すでに恵比寿ガーデンシネマで上映中)を購入。有隣堂で、長谷川櫂『俳句的生活』(中公新書、2004年)と河合隼雄編『講座心理療法2 心理療法と物語』(岩波書店、2001年)を購入。夜、『ハナンナプトラ2/黄金のピラミッド』をTVでやっていたので、『ニューオリンズ・トライアル』に出ていたレイチェル・ワイズ=マリーを見たくてかけたら、けっこう楽しめる映画で、最後まで観てしまった。
卒論ゼミのH君から文献を読んでのレポート(2本目)がメールで送られてくる。昨年12月の仮指導のときに、新年度の卒論ゼミがスタートするときまでに参考文献一覧と、その中から何冊かを読んでレポートをメールで送って寄越すようにと言っておいたのだが、参考文献一覧こそ全員送ってきたものの、文献を読んでレポートを送ってきたのはH君ともう一人のH君の2名だけである。4月16日の初回のゼミでは、「就職活動が忙しくて卒論の方は進んでいません」という言い訳を多くの学生がするのであろう。やだやだ。私の経験から言って、多忙さを理由に本を読まない学生は、時間が出来ても本など読まないのである(さすがに一冊の本も読まないで卒論を書くわけにはいかないから、何冊かは読むであろうが、いいかげんな読み方しかできない)。読書という習慣が身についているか、いないか、それだけの話である。
4.11(日)
北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(1968年)は「珍しく沈んだ書き出し」という章で始まる。
「青春とは、明るい、華やかな、生気に満ちたものであろうか。それとも、もっとうらぶれて、陰鬱な、抑圧されたものであろうか。/むろん、さまざまな青春があろう。人それぞれ、時代に応じ、いろんな環境によって。/ともあれ、いまこうして机に向かっている私は、もうじき四十歳になる。四十歳、かつてその響きをいかほど軽蔑したことであろう。四十歳、そんなものは大半は腹のでっぱった動脈硬化症で、この世にとって無益な邪魔物で、よく臆面もなく生きていやがるな、と思ったものである。まさか、自分がそんな年になるとは考えてもみなかった。/しかし、カレンダーと戸籍係によって、人はいやでもいつかは四十になる。あなたが二十七歳であれ、十五歳であれ、あるいは母の胎内にようやく宿ったばかりにしろ、いつかはそうなる。従って、四十歳をあまりこきおろさないがいい。そうでないと、いつか後悔する。/人間というものはとかく身勝手なもので、私は五十歳になれば五十歳を弁護し、六十になれば六十を賛美するであろう。」
私がこの文章を最初に読んだのは中学生か高校生のときである(志賀直哉と北杜夫と庄司薫が私の文章の師であった)。「カレンダーと戸籍係によって、人はいやでもいつかは四十になる」という箇所で、うまいことをいうなぁ、と10代の私は唸った(ちなみに私の父親は、当時、千代田区役所で戸籍係をしていた)。「四十歳をあまりこきおろさないがいい」という彼の忠告を胸に刻んだ。
北杜夫は私の母親と同じ昭和2年(1927年)の生まれだから、今年で77歳になる。そして、私は今日で50歳になった。カレンダーと戸籍係のおかげである。北杜夫の忠告に従って40歳をこきおろさなかった私は、当然、50歳についてもそれを守った。おかげで恥じ入ることなく50歳の朝を迎えることができた。しかし、40歳のときもそうであったが、今回も、若い頃に思い描いていた「50歳の男性」のイメージと「50歳の自分」との間にはズレがある。きっと誰でもそうであろう。そして、ここが肝心な点なのだが、他人は自分が思うほどそのズレを感じてくれてはいないのである。要するに、私の感じるズレはナルシシズムに由来するのである。今夜から始まったTVドラマ『オレンジデイズ』を観ながら、そう思った。気分は主人公の妻夫木聡なのだが、心理学の教授役の小日向文世と私は同い年なのである。
4.12(月)
一昨日の最高気温を上回る暑い一日。書斎の本棚に二重置きになっている本を一階の書庫に運ぶ。紙袋に本を詰め込んで階段を何度も昇り降りする。ただ運ぶだけなら、いい運動になるという程度の話なのだが、運んだ本を書庫のしかるべき場所に配置するのがけっこう手間である。第一に、本はジャンルごとに配架されているので、運んできた本の分類をしなければならない(もちろん書斎でも一応ジャンルで配架はしてあるのだが、分類が書庫よりはラフなので)。第二に、書斎の本を搬入した結果、各ジャンルの本が増え、既存のスペースでは納まらなくなると、配置替えをしなければならなくなる(あるジャンルの本を書庫の未収納スペースにまとめて移し、その空いたスペースに別のジャンルの本を移し、そのまた空いたスペースに・・・・)。第三に、書庫の書架は可動式(手動)のため、本の移動の度に、8つある通路を開けたり閉めたりしなくてはならない(モーセが紅海を渡るときみたいに)。結局、一日がかりの作業になった。助かるのは、今日のような暑い日でも、書庫の中はひんやりしていることである。本は高温多湿と埃が大敵なので、書庫は一階の北東の角に設け、窓は最小限にし、壁には蔵の土塀のように湿気を吸い取る性質をもったパネルを張り、除湿機も付けた。冬は厚着をして入らないと風邪をひいてしまうが、夏は快適である。二重置きをやめた書斎の書架は、ついでに天井の蛍光灯を新しいものに替えたせいもあって、明るくスッキリした表情になった。いよいよ授業が始まるという重苦しい気分(授業が嫌いなわけではないのだが、マラソンレースのスタート前のような気分なのだ)も、これでいくらか軽くなる。
4.13(火)
昨日の初夏の陽気(最高気温24.7度)から今日は一転して10度以上も気温が下がった(最高気温12.8度)。しかし、いまさらコートを着る気にはなれないので、厚手のジャケットとベストを着て大学へ。昼から会議が2つ。2つの会議の合間に昼食をとるつもりでいたら、1つ目の会議がいつもよりも長引いて、そういう余裕はなかった。ミルクホールに駆け込んで、あんドーナツを紅茶で腹に流し込んで、会議室に戻る。ミルクホールは店内が改装されて、自分でパンを取って、それをレジにもっていく方式に変わっていた。レジも2台に増えていた。これで混雑時の行列も緩和されるだろう。ついでに言うと、これまで店員さんは女性ばかりだった(ような気がする)が、今日は男性も混じっていた。
今夜は反町隆史・長谷川京子主演の『ワンダフルライフ』と、阿部寛主演の『アットホーム・ダット』が始まるが、どうしても見たいというほどのドラマではない(そこそこ面白そうではあるが)ので、両方ともパス。明日は2つ授業があり、前夜はその準備をしなくてはならない。今期は、妻夫木聡・柴咲コウ主演(北川悦吏子脚本)の『オレンジデイズ』(日曜9時)と、堂本剛主演(岡田恵和脚本)の『ホームドラマ!』(金曜10時)の2本と決めている。
4.14(水)
とうとう授業が始まってしまった。私にとっての最初の授業は、3限の「社会学研究9」である。36号館の581教室に180人の学生というのはかなり窮屈な感じだ。講義を始める前に、「この授業は社会学研究9です」と言うと、何人かの学生があわてて教室を出て行った。他の授業と間違えていたわけだ。念のために、「テーマは社会構造とライフコースです」と言うと、また何人かがあわてて出て行った。それでも、まだ2、3人、後ろの方で立ち見の学生がいる。室温も高い感じ。まあ、ゴールデンウィークが明ける頃にはほどよい密度になるとは思うが。ひさしぶりの講義であったが、話そうと予定していたことはだいたい話すことができたし、時間の配分にも大きな誤差は生じなかった。これって、けっこうすごいことなんじゃないか。いや、講義の内容について自画自賛しているわけではなくて、普段は寡黙な男(私のことです)が、準備体操なしでいきなり「教師」に変身できることに我ながら驚いているわけです。初めて教壇(都立駒込病院の敷地内にある看護学校)に立ったのは28歳のときだから、教師稼業も今年で22年目を迎える。すっかり「教師の身体」になっているということだろう。
授業を終えてから、「メーヤウ」で昼食。3限(13:00-14:30)の授業がある場合、たいてい昼食は授業の後に食べる。授業の前に食べると、頭の回転が鈍くなるような気がするのだ。それになにより気ぜわしい。授業が終わって、やれやれという気分と、ほどよい疲労を感じながら食べるほうがいい。今日は辛さの★印2.5のタイ風レッドカリー(ご飯は普通盛で)。
研究室に来客があってしばしの雑談の後、5限の「社会学演習ⅢD」に臨む。現在留学中で後期から参加するAさんを除いた25名全員出席。とりあえずひとわたり自己紹介をしてもらったが、「大久保先生の演習は大変だと聞いていますが、講義要綱を読んで興味をもったので履修しました」というメッセージが多かった。「講義要綱を読んで興味をもった」というのは、どの科目を履修するときもそうであろうから、ポイントは「大久保先生の演習は大変だと聞いていますが」の部分である。素直に受取れば、「が」は逆接の「が」であろう。しかし、多くの学生の口から同じメッセーが繰り返し語られるのを聞いているうちに、もしかしてこの「が」は付帯条件の「が」であって、ネガティブな意味は薄く、いや、むしろ無意識の願望として「大変」であることを彼らは望んでいるのではないかと思えてきた。昔の人は、こういうのを、「いやよ、いやよも、好きのうち」と言ったものだ。