<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。ラスト

2020年03月26日 20時59分45秒 | Weblog

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今夜はこんなことを考えた。75歳の誕生日を安んじてみた。無碍の一道を歩む者=生死の迷いを出ない者。この等式に、この老人は支えられているのだ。

無碍の一道を歩む者であれば、生死を存分に迷っていていいはずである。

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妨げるものが百千万あったとしても、それを妨げとしない歩みの道がある。

妨害するものに引き摺られなければ、無碍に等しい。それを見通すことができれば、無碍に等しくなる。百千万回、妨げられまた妨げられしていても、いい。いいはずである。その先の仏陀を見通せていたらそれで、無碍となるのである。

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その5

2020年03月26日 20時55分31秒 | Weblog

それを思ってさぶろう老人はこころを安らげることがある。彼は怠け者である。彼は、へなへなな人間である。無様を晒している人間である。勇ましいことなど何もできないへなちょこ人間である。

それでよいようにしてくださっている。だからこそ一道でなければならなかったのである。無碍道でなければならなかったのである。

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ああ、よかったと思う。「十方無碍」の力量を有しているのは仏陀その人である。無力のわたしを通していてよかったのである。

この仏陀の守護に依拠することによって、生死に悩み苦しむ者の十方が無碍になるのである。

 

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その5

2020年03月26日 20時55分31秒 | Weblog

それを思ってさぶろう老人はこころを安らげることがある。彼は怠け者である。彼は、へなへなな人間である。無様を晒している人間である。勇ましいことなど何もできないへなちょこ人間である。

それでよいようにしてくださっている。だからこそ一道でなければならなかったのである。無碍道でなければならなかったのである。

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ああ、よかったと思う。「十方無碍」の力量を有しているのは仏陀その人である。無力のわたしを通していてよかったのである。

この仏陀の守護に依拠することによって、生死に悩み苦しむ者の十方が無碍になるのである。

 

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その4

2020年03月26日 20時52分50秒 | Weblog

無碍であれば、無有恐怖(むうくふ)である。恐れるものがない。無碍であれば、躓(つまづ)きがあっても、それに躓くことがない。不安に思うことがない。明るい光にまっすぐ顔を上げて進むことが出来る。

生きて死ぬまでの全生涯を無碍にしていて下さっているのである。それに気がつけば、恐いもの、恐がるものはなくなるのである。此処、娑婆道は、畢竟して、仏になる道である。必ず仏に至り着く大きな一本の道である。一無碍道である。

 

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その3

2020年03月26日 20時50分05秒 | Weblog

無碍とは、遮(さえぎ)るものがない、拘(こだわ)るところがない、ということであろう。融通無碍(ゆうづうむげ)ということであろう。そこに障碍(しょうがい)となるものがない。自由自在を得ているということであろう。何者にも妨げられることがないということであろう。

無碍光、無碍光仏とは、阿弥陀仏を指している。

念仏の一道は妨げられるもののない道である。阿弥陀仏に直通している一本の大きな道である。この道を行けば、間違いなく阿弥陀仏に迎えられることになる。成仏が約束されている。

 

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その2

2020年03月26日 20時46分41秒 | Weblog

十方無碍の人は、この十方無碍の一道より生死の迷界を出ることができる。生死の迷界を出た者は仏界に入って悟道涅槃す。安らぎに至る。

歎異抄には、「念仏は無碍の一道なり」とある。親鸞聖人の理解であろう。痛快きわまる裁定裁断である。

この句によって、怠け者さぶろう老人は生涯どれだけ鞭を打たれたことだろう。励ましを与えられたことだろう。パワーを頂いたことだろう。

 

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仏陀に至り着く娑婆の道は、無碍の一道である。その1

2020年03月26日 19時33分02秒 | Weblog

「十方無碍(じっぽうむげ)人、一道より生死を出づ」 華厳経経典より

曇鸞大師はこの華厳経に導かれて、「一道とは一無碍道なり」に辿り着いている。仏によって開かれた道であるから、凡夫衆生の力量には拠らないのである。

 

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雀の長屋作成は完成した。

2020年03月26日 18時34分04秒 | Weblog

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雀の長屋は完成している。4部屋続きの2棟。甥っ子が作成を担当してくれたからだ。これを今度は適当な場所を選んで設置しなければならない。

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設置する場所は蛇や烏や猫の近づき得ない高いところなので、長い脚立が必要になる。危険極まりない。近いうちに亦彼が来てくれるのを待つことにする。

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雀ではない人間さまより愛情を頂く。

2020年03月26日 18時29分43秒 | Weblog

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今日はあろうことか、雀ではない人間さまより愛情を頂いた。素直に嬉しい。でもわたしはその方の誕生日なんか知らない。お返しが出来ない。さあ、どうしたらいいだろう。

シーソーの片方だけが重く沈んで跳ね上げきれない。

桁外れに寛大な方だから、そんなこちらの心配は無用で終わるかもしれないが。

 

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ご近所さんより誕生日祝いを届けてもらった。

2020年03月26日 18時25分26秒 | Weblog

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今日、わたしの誕生祝いを届けて下さった方があった。ご近所に住んでおられるNさんご夫婦である。

わたしが、ブログで、今日が誕生日だと書いたのを読んで下さったからに違いない。まったく予想できないことだった。ご親切ご厚情を忝く思った。

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あいにく我が家の玄関に立たれた時間には客人が来ておられて、手が離せなかった。お礼も述べられなかった。申し訳ない申し訳ない。

 

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