気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

リタイア後の私の生き方

2010-03-06 11:17:42 | Weblog
読売新聞二月十日の朝刊「結婚指輪をしてますか?」欄に掲載された「私を飯炊きとしか思っていない夫の食事は作りたくありません」。の投書には色々考えさせられた。通常の夫婦は夫が定年を迎えると二人でゆっくり旅行をしたいとか、夫が家事を手伝い奥さんは少しは家事から解放されてのんびり過ごしたいとかの夢を抱いているのではないか。殆どの夫婦は満足では無いにしろ時間に縛られないで、気持ちの上ではそれなりの豊かな生活をしているのが普通ではないだろうか。
しかし新聞に意見をよせられた夫婦の夫は奥さんの期待を裏切り、夫はこれまでと変わり無く、全く家事一切を手伝わない。時間に余裕は出来たが夫婦の会話はほとんど無く、奥さんが夢見た事は見事に裏切られたとある。
私は今年七十九歳と八十歳を目前にした高齢で今年五月結婚して五〇年を迎える。金婚式である。一切の仕事から解放されて二〇年近くなるが、この記事を読んで定年を迎えて男はどう生きるかを考えてみたい。
若い時はお互い愛している事が二人を結びつける大きな要因であるが、定年を過ぎた高齢になると、二人を結びつけるものは愛している事はそんなに重要では無く、何十年と苦楽を共に生活をしてきた遙かなる人生そのものが、大きな絆となって二人を結び付けているのではないか。いやな事があっても、ここでお互い助け合わなければこれまでの人生は何だったのか、との思いに苛まされ、二人を強く結び付けるのである。これまで辿って来た二人にしか解り合えない懐かしい思い出は二人だけの大切な財産だ。この大切にしてきた心の財産を失いたく無い為にこれからもお互い助け合って生きて行こうと思うのである。
二人にはたっぷり時間はある。妻は幸いにも何十年この方裁縫教室を開いており、数名のお稽古さん相手に毎週裁縫を教え、また能に嵌り生き生きと毎日を過ごしている。夫から見ると時間を持てあましている相方を見るのは困ったものだが、この様に生き生きと過ごしている相方には、有り難く陰ながら応援している。妻は忙しさの余り夫に対するサービスが多少疎かになっても、妻が何するとも無く無為な時間を過ごしているよりは遙かに素晴らしい事だと思っている。当然食事や掃除の手伝をするしこまめに動く。高齢になって物事に億劫になってはおしまいである。とにかく動く。これが大切だ。
しかし友人から毎日何をしているのか?と尋ねられると困るのであるが、結構忙しいのである。
旅行が大好きなものだから、毎年1回は海外旅行に出かけたいと計画するが、相方が忙しい上に、世の奥様方と違い我が相方は旅無精と来ているので、中々計画が立てられない。それでもこれまで妻と共に16回海外旅行へ出かけた。旅の楽しみは見聞するものすべてが感動を呼ぶ事にあるが、その感動を写真と言う媒体に記録し何度も旅の感動を噛みしめるのであろ。若い時から写真にめり込み、カメラには異常なまでに興味があり、今度の旅にはどんなカメラを持って行くかそんな思いをめぐらす時がすごく楽しい。旅から帰り撮り貯めた写真の整理も旅以上に楽しい。高齢になればなるほど残された時間は少なくなり、貴重な時間を無駄に過ごさない様毎日つける日記も大切である。世間一般は日記は長続きしなものと思われているが、それは難しく考えるからであって、気軽に一日のあった事を思い返して書くだけである。一日なにをやってか思い出せない様だと、その一日は無為な時間を過ごした証拠であり、すごく反省する。「今日も一日後悔しないよう生きなきゃ!」これが私の信条である。このようにして日記は50年以上も続けている。
最近体力の衰えをつくづく感じているが、自分の身体もさる事ながら、相方の身体の方が心配である。相方が倒れたり、認知になったらどうして生活していくかが心配なのだ。
兎に角一日一日を大切に生き、二人協力して残された短い時間を精一杯生きて行こうと思う次第である。