先日米国のフロリダ州の高校で発生した銃乱射事件。この17名もの命が失われた悲惨な事件後、学生達は銃社会の危険性に警鐘を鳴らし、多くのアメリカ人の共感を呼んだ。これで銃規制に弾みがつくかと思ったら、トランプ大統領は、高校乱射事件を受けて、「教職員に銃で武装させるべきだという提案を検討すると約束し、銃器を上手に扱える教師がいれば、攻撃をたちまち終わらせられるかもしれない」と述べる始末。銃購入時の身元調査強化や購入時の年齢の引き上げ等を約束したものの、銃の保持を禁止する事には言及しなかった。これまでアメリカは銃規制を強化しようとする法案は繰り返し、連邦議会で阻止されてきた。アメリカは合衆国憲法に決められた「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」と銃の保持は憲法で保障されており、銃規制と言う課題は、自由に銃を保持させる事に大きな政治力を持つ「ライフル協会」から大きな支援を受けている大統領並びに政治家にとって極めて困難な課題である。
銃を持って自衛する権利を主張する事は、「銃には銃を」言う論理に基づいており、我々日本人はそんな自衛の論理は全く理解出来ない。そこに銃があるから銃乱射事件が発生するのであって、アメリカは自衛の為に銃を保持すると言う病に侵されている。
日本人の視点からは「憲法を変えれば良い」ってことなんですが、日本だって、自分の国の憲法も変えられないいる現状を顧みるとそれは極めて難しい事だと思う。
核兵器についても核兵器を保有する大国は、核兵器の戦いは人類破滅の危機があるにも拘わらず核には核と言う姿勢を崩していない。しかし日常生活の中で銃には銃をと言う考えのアメリカは我々日本人から見ると病んでいるとしか思えない。
銃を持って自衛する権利を主張する事は、「銃には銃を」言う論理に基づいており、我々日本人はそんな自衛の論理は全く理解出来ない。そこに銃があるから銃乱射事件が発生するのであって、アメリカは自衛の為に銃を保持すると言う病に侵されている。
日本人の視点からは「憲法を変えれば良い」ってことなんですが、日本だって、自分の国の憲法も変えられないいる現状を顧みるとそれは極めて難しい事だと思う。
核兵器についても核兵器を保有する大国は、核兵器の戦いは人類破滅の危機があるにも拘わらず核には核と言う姿勢を崩していない。しかし日常生活の中で銃には銃をと言う考えのアメリカは我々日本人から見ると病んでいるとしか思えない。