
先日、横手町の知人の家に出かけた折、すぐそばの安国禅寺に立ち寄り、種田山頭火の分骨墓、というより種田家のお墓にお参りした。この寺の前をよく通るのだが、今まで一度も入ったことはない。お墓の場所がわからなかったので、坊守さんに案内してもらった。山頭火が亡くなった後、妻の咲野さんが分骨を納めたそうだ。山頭火は“漂泊の俳人”などと呼ばれているが、咲野さんはどんな想いで納骨したのだろう。山口から何のゆかりもない熊本に連れて来られ、奇行、放浪、離婚、出家などと振り回され続けた人生だったようだ。佐波郡和田村というから今の周南市の旧家の娘として生まれ、美人の誉れ高く、しっかりした女性だったらしい。手を合わせながら、どちらかというと咲野さんの人生の方に思いを馳せていた。

山頭火が出家得度した報恩禅寺に建てられた句碑

安国禅寺にある種田家の墓
種田山頭火の墓の記事を興味深く、読ませていただきました。
九州の方に家の墓はあるのですね。始めて知りました。
一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか。
種田家の墓についている家紋は何だったのでしょうか。
出来れば、高解像の家紋なども見せていただければ幸いです。
勝手なお願いですみません。
種田家の家紋ですが、写真原版を確認してみましたがハッキリ映っているものがありません。
今度安国禅寺の傍を通る時、また撮ってきます。
何卒よろしくお願いいたします。
私は山頭火の大ファンというわけではないのですが、昔から妙な縁を感じています。そこら辺の話を何度かこのブログに書き込んだことがあります。下記アドレスもそうですが、一度お読みいただければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/538095e22326e2523f11f0b53e6e21a0