徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「光る君へ」と藤原保昌

2024-05-26 19:13:22 | 歴史
 大河ドラマ「光る君へ」には肥後国司を務めた清原元輔(清少納言の父)が登場しましたが、もう一人、同じく肥後国司を務めた藤原保昌(ふじわらのやすまさ)は武勇の誉れ高く「道長四天王」の一人とも呼ばれた人物ですので登場してもおかしくありません。
 熊本県観光連盟のウェブサイト「ふるさと寺子屋」には肥後の名国司の一人として保昌のことが次のように紹介されています。

▼強盗の親玉も恐れる国司 藤原保昌(ふじわらのやすまさ)
 昭和の初めまで藤原保昌が肥後の国司であったことは、伝承でしかありませんでしたが、『御堂関白記(みどうかんぱくき)』と称される藤原道長の日記に「藤原保昌を肥後守にした」と記されてあります。保昌は有名な武士で、強盗の親玉が恐れる程の人物でした。寛弘二年(1005)に肥後の国司が殺される事件があり、強剛な保昌が任命されたのです。
 また熊本の各地に「ほうしょうという国司があちこち神社を修繕した」という言い伝えがあり、それは保昌(ほうしょう)のことのようです。保昌の妻が歌人の和泉式部です。

 また、熊本の北岡神社のサイトには
「平安時代中期。今からおよそ1100年前の承平四年(934)年、時の肥後国司・藤原保昌が、疫病と兇徒の乱に見舞われていた肥後の国を鎮めるため、京都の八坂神社のご分霊を迎え創健されたのが北岡神社のはじまりと伝えられています。」
と書かれています。

 「光る君へ」に登場し、非業の最期を遂げた散楽一座の一員で盗賊の直秀というオリジナルキャラクターのモデルは、藤原保昌の弟・藤原保輔だという話もあります。


北岡神社


北岡神社の例大祭・祇園まつり


祇園まつりの御神幸

 京都の八坂神社から勧請され今の北岡神社が創建された時、京都から供奉した楽人の末裔の一つが、能楽の友枝家です。


2021年3月9日、水前寺成趣園能楽殿での「翁プロジェクト熊本公演」で「翁」を演じる人間国宝・友枝昭世師