徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

花童くるみ 花童卒業公演

2014-12-24 11:53:42 | 音楽芸能
 昨夜は、くまもと県民交流館パレアで行われた舞踊団花童のくるみさん卒業公演を見に行く。彼女の舞姿を見ながら、5年前、初めて彼女の舞姿を見た時のことを思い出し、ふと心に浮かんだのは世阿弥の言葉。室町時代に能を大成した世阿弥は花伝書のなかでこう述べている。

 まづ童形なれば、なにをしたるも幽玄なり。さりながら、この花は真の花にはあらず。ただ時分の花なり。

 世阿弥は能に取り組む少年について述べているわけだが、これは芸能全般、男女の区別なくあてはまると考えられる。つまり「子どもはただそれだけで姿かたちそのものが美しく、何をしても幽玄であるが、それはまことの花ではない。ただその年頃ならではの時分の花にすぎない」と。
 さらに、子どもの時代を過ぎる十七八の頃についてこうも述べている。 

 一期のさかひここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。

 ここが一生の分かれ道だと、生涯をかけて能をやり抜く覚悟をもって稽古をするほかにない。つまり、この年代の頑張りいかんで人生が決まるとも言っているのである。

 くるみさんは花童を卒業することによって、「少女舞踊」あるいは「ザ・わらべ」というレッテルが外れる。「時分の花」であったわらべの時代が終わり、一人の大人の舞踊家として「まことの花」を追究しながら歩んで行かねばならない。来春には中村花誠先生が創流される新しい流派の第一号名取になるとも聞く。ハードルを一つ一つクリアしながら、新しい道を切り開いて行ってほしいと願ってやまない。後に続く後輩たちのためにも。ずっと応援し続けます!