わが熊本市は、友好姉妹都市・友好協力都市・交流都市など、国内外合わせて10ヶ所ほどの都市と交流している。それぞれの意味合いの違いはよくわからないが、国内では福井市が唯一の姉妹都市となっている。姉妹都市となったのは、経済や産業面での共通点もさることながら、決定的なものはやはり、1840年に肥後熊本藩10代藩主・細川斉護公の娘である勇(いさ)姫が、越前福井藩主・松平春嶽公へ輿入れし、姻戚関係になったことや、横井小楠が福井藩に招聘されて藩政改革にあたるなど深い歴史的関係があったからという。
姉妹都市の関係を結ぶことにどれほどの意味があるものなのかよくわからないが、かつて肥後熊本藩の飛び地だった鶴崎のある大分市や、加藤清正公や忠廣公の加藤家終焉の地、山形県鶴岡市などは姉妹都市となってもおかしくないように思う。特にこの二つの町は、清正公の命日には熊本以上に敬虔な供養が行われていると聞くが。
姉妹都市の関係を結ぶことにどれほどの意味があるものなのかよくわからないが、かつて肥後熊本藩の飛び地だった鶴崎のある大分市や、加藤清正公や忠廣公の加藤家終焉の地、山形県鶴岡市などは姉妹都市となってもおかしくないように思う。特にこの二つの町は、清正公の命日には熊本以上に敬虔な供養が行われていると聞くが。