初めて蓮台寺を訪れた。蓮台寺はここら辺の町名にもなっているほど古い由緒ある寺である。平安時代の女流歌人「檜垣の嫗(おうな)」ゆかりの寺として知られており、別名「桧垣寺」とも呼ばれている。
今年3月、92歳で亡くなった歌人で、宮中歌会始選者も務めた安永蕗子先生は、「ふるさと寺子屋塾」の「熊本の女性たち」と題する講演の中で、檜垣について次のように述べている。
▼世阿弥の能にも登場する平安時代の女流歌人桧垣
古代にあって、日本の女性は太陽のように輝いていました。『古事記』の天照大神をはじめ、邪馬台国の女王卑弥呼、神功皇后、推古天皇、額田王など魅力的な人物が輩出したのは、古代の女性が強かったからではなく、優れていたからです。男女の不平等が顕著になったのは、むしろ明治になってからだと思っています。熊本でも多くの魅力的な女性として、歴史にその足跡を残してきました。熊本の女性として、まず思い浮かぶのは、平安時代の女流歌人、桧垣のこと。桧垣は京都で歌舞の名手として有名でしたが、いつしか博多に流れて、熊本に住み着きました。
年ふればわが黒髪も白川の みずはくむまで老いにけるかな
この句は、桧垣が白川の岸辺で藤原興範に出会ったときに詠んだものです。若い時は、美しかった桧垣も晩年は白髪になっていたのでしょうか。熊本市にある蓮台寺は檜垣寺とも呼ばれるように、桧垣の像が安置されています。蓮台寺行きのバスも出ていますから、一度訊ねてみて下さい。晩年の、色あせながらも、なお残す女の美しさに教養ある女性の品位が感じられます。桧垣をモチーフにして世阿弥は能を書くなど、桧垣は後世の人々にも大きな影響を与えました。
蓮台寺山門と檜垣の井戸跡
蓮台寺の裏を流れる白川
今年3月、92歳で亡くなった歌人で、宮中歌会始選者も務めた安永蕗子先生は、「ふるさと寺子屋塾」の「熊本の女性たち」と題する講演の中で、檜垣について次のように述べている。
▼世阿弥の能にも登場する平安時代の女流歌人桧垣
古代にあって、日本の女性は太陽のように輝いていました。『古事記』の天照大神をはじめ、邪馬台国の女王卑弥呼、神功皇后、推古天皇、額田王など魅力的な人物が輩出したのは、古代の女性が強かったからではなく、優れていたからです。男女の不平等が顕著になったのは、むしろ明治になってからだと思っています。熊本でも多くの魅力的な女性として、歴史にその足跡を残してきました。熊本の女性として、まず思い浮かぶのは、平安時代の女流歌人、桧垣のこと。桧垣は京都で歌舞の名手として有名でしたが、いつしか博多に流れて、熊本に住み着きました。
年ふればわが黒髪も白川の みずはくむまで老いにけるかな
この句は、桧垣が白川の岸辺で藤原興範に出会ったときに詠んだものです。若い時は、美しかった桧垣も晩年は白髪になっていたのでしょうか。熊本市にある蓮台寺は檜垣寺とも呼ばれるように、桧垣の像が安置されています。蓮台寺行きのバスも出ていますから、一度訊ねてみて下さい。晩年の、色あせながらも、なお残す女の美しさに教養ある女性の品位が感じられます。桧垣をモチーフにして世阿弥は能を書くなど、桧垣は後世の人々にも大きな影響を与えました。
蓮台寺山門と檜垣の井戸跡
蓮台寺の裏を流れる白川