毎年、春と秋のイベントシーズンになると「芸どころ熊本」に暮らす幸せをしみじみと感じる。サラリーマン時代は転勤族で熊本を20数年離れていたし、また赴任した先々で伝統芸能を楽しむ余裕もなかった。熊本が芸どころだということは若い頃、親父に新町の料亭に連れて行ってもらった頃から聞いていたが、最近になって、なるほどそのとおりだなと実感しているところだ。おそらく熊本に帰っていなければ、こんなに伝統芸能に親しむことはなかったろう。
そもそもなぜ「芸どころ熊本」となったかというと、加藤家から細川家と続く江戸時代から城下町には文化を楽しみ育む風土が醸成され、明治維新後は熊本鎮台が置かれた軍都であり、五高があった九州の学都でもあり、かつまた国の出先機関が集中していたことなどからお座敷文化が盛んになったことなどがその理由と言われる。熊本城を始めとする史跡や風光明媚な阿蘇や天草なども熊本の宝には違いないが、永年にわたり育まれ、継承されてきた熊本の文化こそが一番の宝ではないかとあらためて思う。
そもそもなぜ「芸どころ熊本」となったかというと、加藤家から細川家と続く江戸時代から城下町には文化を楽しみ育む風土が醸成され、明治維新後は熊本鎮台が置かれた軍都であり、五高があった九州の学都でもあり、かつまた国の出先機関が集中していたことなどからお座敷文化が盛んになったことなどがその理由と言われる。熊本城を始めとする史跡や風光明媚な阿蘇や天草なども熊本の宝には違いないが、永年にわたり育まれ、継承されてきた熊本の文化こそが一番の宝ではないかとあらためて思う。