ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

近況報告おまけ

2021-09-22 20:57:00 | 日記
先日の「ホンマでっか!?TV」で、木村拓哉さんが
今や、ほとんど見かけなくなったにも関わらず「ヤンキー」ドラマや映画が、ナゼ一定の周期で流行るのか?とお訊ねになり
「ビーバップ・ハイスクール」や「湘南爆走族」「クローズ」から
甲斐さんもご覧になっていた「池袋ウェストゲート・パーク」「今日から俺は!」や
「地獄の花園」「東京卍リベンジャーズ」まで
色んなヒット作品の名前が挙がっていたんですが

「東京卍リベンジャーズ」をご覧になった木村さんのお嬢さんが
「昔はホントにあんな人いたの?」と不思議がっておられたというのも道理で
1982年には、4万人もいた暴走族が、今は4千人になっているらしく
今の若い世代の方にとってヤンキー映画は、ハリウッド映画のようなものみたいで(笑)
また、その親世代にとっては懐かしいと感じられるため
一定の動員が見込めるコンテンツになっているとのことでした

暴走族が激減した原因としては、かつて、たまり場などで待ち合わせていたのが
今は、スマホの普及により、もっと弛い感じの繋がり方になったため…とか
1983年デビューの尾崎豊さんが曲に描かれていたような
若者が「大人」「社会」「権威」といった
大きくて強力なものに抑圧されたり、それに立ち向かおうとする時代背景がないから…とか

様々なご意見が出ていたんだけど、やはり、コミックや実写ものを楽しむ分には良くても
現実のヤンキーは「モテないんで…」というのが、一番説得力がありました(笑)
でも、欧米人は、いわゆる「ヤンキー座り」が出来ないそうで
海外でヤンキー座りをすると、人気者になれるらしい(笑)

ともあれ…木村さんよりも、少し?遡った世代の奥さんは(笑)
映画なら「暴力教室」や「高校大パニック」を
音楽なら横浜銀蝿や嶋大輔さんの曲を思い浮かべたみたいだけど(笑)
1980年~1981年は、校内暴力の発生件数が最も多かったようで

実際、その数年前…奥さんが中学生の頃、冬の最中に
1つの校舎の全教室の窓ガラスが全て割られ(汗)
10日間ほど凍えながら授業を受けたことがあったんだとか…(汗)
ちなみに…その時、担任の先生は新婚旅行でハワイに行っておられたそうで
帰国なさってからしばらくの間は、クラス全員からシカトされていらしたらしい(苦笑)

…で、その「荒れる学校」という事態を受けて「金八先生」や
甲斐バンドの「漂泊者」が主題歌となった「学園危機一髪」といったドラマが作られたり
キャロルやクールスといったお兄様方が活躍なさってたり
「なめ猫」ブームも奥さんの世代がド真ん中だったようだし(笑)

甲斐さんも当時のインタビューで…「俺たちのコンサートに来るのは
腕まくりした学ランの野郎や、スカートの裾を引きずったようなヤツばっかだよ
みんな悶々としてるんだよ」…と憤懣やる方ない「ツッパリくん達」に触れておられたし
考えてみれば、奥さんの青春時代はヤンキー全盛期だったんじゃないかと…?(笑)
宇梶剛士さんやヒロミさんなど「昔ヤンチャしてました」って有名人の方も同世代だし…(笑)

もっとも、奥さんは「見た目だけは優等生(笑)」だったようで(笑)
所持品検査でタバコが見つかった時に「私のです」と認めているにも関わらず
「誰から預かった?」やら「誰を庇ってる?」やらと質問責めにされ(笑)
でも「イヤ、だから私のタバコなんです!」と、正直に言い続ける他なくて(笑)
結局「お前の友情に免じて、今回だけは見逃してやると、そいつに言っておけ!」と無罪放免に…(笑)

甲斐バンドのライブに行く時は、駅のトイレで
親に内緒で買った洋服に着替え、バッチリ化粧もして
「すれ違っても先生が絶対に気づかない」くらいの別人ぶり…(笑)
仲の良い友達も皆さん「見た目」で、先生方から目をつけられることがなく
クラス委員や生徒会役員を務めるような、いわゆる「真面目な生徒」ばかりで
「ある意味、一番タチの悪い不良グループ」だったみたいです(笑)

そうそう!甲斐さんが関西地区のプロモーションの際に
よくゲスト出演されているラジオ番組のメインパーソナリティ
「コンちゃん」が「相席食堂」に出られた時に
千鳥のお二人は、そのお召し物が「ホンマもん」にしか見えないと大笑い(笑)
お店の方に話しかけておられる絵面が「因縁つけとるみたいや(笑)」とツッコミまくり(笑)

まあ、奥さんは、コンちゃんが花園ラグビー場の前を通りかかられた辺りから
ラグビー場近くのお好み焼き屋さんに入られるシーンまで
「甲斐さんの話、出ないかなあ?」と気を取られてたようだけど…(笑)

余談ですが…「嵐の季節」の著者でいらっしゃる石田伸也さんが
今年6月に出版された「評伝 1985年の尾崎豊」に関する様々なツイート…
例えば、出版前には「ミラクルという言葉を安易に使ってはいけないのだけど
それでも『破片』を置いておくなら
彼が『100万$ナイト』に深く感銘を受けていたというのは新発見」とか

「間もなく単行本の原稿はゴールが見えてきたのだが
それでも配本が5日ほど後ろにズレてしまった
いいモノを創る時間をくれよーー by 1982年のあのお方」とか(笑)
「このところ甲斐さんと電話で話す機会が多く、今なお、かかってきたら直立不動ですよ
僕案件もあるし、甲斐さんからの調べ物案件もあるが
やはり時代を切り拓いてきた人と話すと力がみなぎってくる感じがする」と呟かれたり

「抜粋1」として「『尾崎です。ずっと聴いていました』
それだけならば芸能界にありがちな社交辞令であるが
尾崎はもう一歩ふみこんだ質問を甲斐にぶつけた
『あの「100万$ナイト」の詞はどんな気持ちで書かれたんでしょうか?』
甲斐は面食らった…第二章 憧憬」という本文をアップなさって
「当時のサンストで、そんなことおっしゃってたなあ…という記憶が出発点です」と明かされたり

プロモーションで出演なさったラジオ番組でも
甲斐さんと尾崎さんの関わりについて話されていて
例の西麻布のお店で、甲斐さんと話したいと思いつつ
声をかけることがお出来にならなかった尾崎さんを挑発するかの如く(笑)
吉川晃司さんが、甲斐さんと親しげに話す様子を見せつけていらした(笑)
…っていうエピソードを思い出していたんですが

「発売1ヶ月半の『評伝 1985年の尾崎豊』
反響で多かったのは、甲斐さんから尾崎へのアドバイス
自分の身の回りから、はみ出すようなストーリーを描くべきだ
『ボクの奥さん』(というブログ)も早く取り上げないと」
…という石田さんのツイートを拝見してビックリ!?

「ボクの奥さん」でも「評伝…」を早く取り上げろ…ってこと?(汗)
イヤ、まさかとは思うけど「はみ出」したトコに、このブログがある…ってこと?(汗)
…などなど、ミョーな汗をかいてしまいました(苦笑)
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